今日の「天職人」は、岐阜県高山市久々野町の「有道杓子職人」。(平成22年3月3日毎日新聞掲載)
父の手製の自在鉤 少し歪な木彫り鯉 煮えた鉄鍋田舎汁 椀を抱えて腹鳴らす 木蓋開けば部屋中に 味噌の香りが立ち込める 春まだ遠き飛騨の郷 有道杓子でもう一杯
岐阜県高山市久々野町、有道杓子職人の清水眞さんを訪ねた。

果てしなく続く、漆黒の闇のように高い天井。
黒く煤けた太い梁が縦横に渡り、雪国の古民家をしっかと支える。
炭火の熾る囲炉裏には、祖父母に父母、真っ赤なほっぺの兄弟がいる。
誰もが黙し、鉄鍋に立ち上る湯気を見詰め、木蓋が取り上げられる瞬間をじっと待ち続ける。
つい囲炉裏に座すと、そこで暮らした経験も無い癖に、そんな感傷に浸るのはなぜだろう。
やはり日本人だからか。
「囲炉裏の道具は、自在鉤、炭取り箱、火箸、火消しつぼ、五徳、灰掻き、灰ならし、十能、台十能、火起し器に囲炉裏鍋。それに無くてはならない有道杓子。と、ここらじゃ昔からそう決まっとんやさ」。眞さんは、杓子鉋でお玉の内側を削り出しながら笑った。

眞さんは昭和9(1934)年、7人兄弟の長男として誕生。
大学で美術工芸を学び、卒業後は教職に就いた。
「本当は戦闘機に乗りたかった。だから自衛隊に入ろうかと、悩んだもんやさ。でも最終的には教職の道へ。学校じゃ、ずっと美術一筋やってね」。
昭和35年には同市丹生川町から百合子さんを妻に迎え、一男一女が誕生。
平成6年、教職に身を捧げ通し、晴れて定年を迎えた。
「もともと有道杓子は、久々野でも一番南の渚という集落で作られとった物。農閑期の冬の収入源としてな。それを春になると高山市内へと、売りに行ったんやさ。ところが昭和35~40年頃に、村のもんらがみんな都会へ出て、廃村で有道杓子の伝統も絶えかけたんやわ。殻谷栄一さんという、たった一人の伝承者だけを残してな。このままではいかんぞと、平成12年に昔取った杵柄で、教育委員会と掛け合い、有志三人で保存会を始めたんやさ。高山市内から、殻谷さんに毎週来てもらって、木の割り方から教えてもらって」。
最初の1年目は、なんとも下手糞すぎた。
商品として売り出すには気が引けたと言う。
だが2年後、ついに発祥の地である渚地区の、道の駅で販売を開始した。

「これがまた人気が出たんやさ」。
翌年には高山陣屋の夏祭りで、実演販売をするまでに成長。
今は10人の同士と共に、月に200本あまりを製造する。
伝統の有道杓子作りは、朴の木を1尺(約30㌢)に切断し、丸鉈で7~8本に割ることに始まる。
「朴の木は削りやすく、割れにくいで加工しやすい。だから昔は、狂いが無いからと刀の鞘に使われとったもんや」。
次に柄とお玉の余分な箇所を鉈で落とし、柄の反りを鉈で削り落し、出刃包丁で仕上げる。

そしてお玉の内側は、斧で荒削りと中削りを施し、杓子鉋で仕上げて完成。「お玉に、削り跡の溝が残るようにな」
消え入る寸前であった雪国の生活道具。
だが、郷の暮らしを愛する憂卿の士の手で、再び伝統の灯は燈された。
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