今日の「天職人」は、津市大門の「蜂蜜まん職人」。(平成20年3月25日毎日新聞掲載)
今日は臍繰(へそく)り叩き出し 何ぞどこぞで買うたろと 妹連れて駆け出した 蜂蜜まんの店先へ 二つ手にして一目散 町の外れの蓮華畑 野辺の花見と洒落込めど 餡の香りに蜂が寄る
津市大門、蜂蜜まん本舗。三代目蜂蜜まん職人の水谷栄希さんを訪ねた。

「子供の頃は、よう友達に『誕生プレゼントに蜂蜜まんな』ってせがまれて。お陰で友達には恵まれたけど」。栄希さんは、引っ切り無しに訪れる客を目で追った。
蜂蜜まん本舗は、昭和28(1953)年に祖父が創業。
「曽祖父が松阪で養蜂園を営んでいた関係で、伊勢のパンじゅうをヒントに蜂蜜を加えたのが始まりなんやさ」。
栄希さんは昭和48(1973)年、一人息子として誕生。
「母は長女でして、それで婿を取ってぼくを産んだんです。でもピアノの講師の仕事を持っとったもんで、何かと忙しく子育ては祖父母にまかせっきり。だからほとんど小中学校へは、祖父母の店から登下校してましたんさ」。
やがれ両親が離婚。
栄希さんは関東の大学へと進学し、外食系の企業に就職した。
「祖父から『3年間は外で飯食うてこい』って言われたもんやで」。
ところが入社から半年、祖父が体調を崩し急遽店を閉める事に。
「様子見に帰って来たら、暢気なことゆうとる場合じゃありませんて。閉まった店の前で、お客さんが『いつ開くんやろう』って、仰山並んでしもて。それで会社を辞める準備で東京に戻ったんです。そしたら祖父の病状が急変。家へ帰った途端に、危篤状態ですわ」。
孫の到着を見届けるように、祖父は息を引き取った。
「大学時代の4年間、夏休みと冬休みに祖父からミッチリ教え込まれとったから、何とか見よう見真似で」。
俄仕立ての職人の交代劇。
しかし蜂蜜まんをこよなく愛する客は、店の前に列を成し、時には苦言を呈しながら若旦那の行く末を支え続けた。
平成17(2005)年、友人の紹介で優子さんと結婚。
「ありがとうございました」。店頭から優子さんの明るく元気な声が響き渡った。
「家は今でも経木(きょうぎ)に包むんです。せっかくの焼き立てが、汗をかいてパリッとした食感が失せてもうたらかなんで」。

今も昔も変わらぬ、庶民の味蜂蜜まんは、毎朝7時から漉(こ)し餡を炊き上げることに始まる。
そして小麦粉・卵・水に秘伝の隠し味を添え、生地を練り上げる。
後は丸く窪(くぼ)んだ鉄板に生地を流し込み、餡を添え生地で包み込むように焼き上げれば出来上がり。

「生地を練り込む時の気泡が、大き過ぎても小さ過ぎてもあかんのさ。頃良い大きさの気泡やと、パッと膨らんで食感もパリッと焼き上がるもんなんやさ」。
10月の祭の時期には、一日で10,000個の売れ行きとか。
「メッチャ忙して、昼飯もろくすっぽ食べれやんだ時なんか、お腹空いてこっそり摘み食いしたるんさ。そんな時、心底美味いなぁって我ながら惚れ惚れすんやさ」。
庶民が愛する逸品は、作り手も庶民であったればこそ生み出せるに違いない。
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