「大きくなったら何になりたい?」。
そう親に問われた記憶は、誰にでもあるだろう。
昭和も半ば、物心が付いた5歳の頃。
いつものように、市場へ母と買い物へ。

その片隅にあるうどん屋が好きだった。

旨そうな出汁の香を市場中に振り撒き、つい足止めを食らう。
苦虫を噛み潰したような不機嫌面のオヤジが、黙々と麺打棒で玉になったうどん種を伸ばす。
その巧みな手捌きが好きで、いつも眺めていた。

そして「大きくなったらうどん屋さんになって、父ちゃんと母ちゃんに、美味しいうどんを作ったげる」と、両親を糠喜びさせたものだ。
話は反れるが…。
昔の市場は、店舗配置が実に巧みだった気がする。
なぜならうどん屋の隣には、必ず天ぷら屋か、肉屋の揚げたてコロッケやハムカツが売られていた。

うどん屋の鰹出汁の香りと、揚げ物の香りが絶妙に絡み合い、胃袋は本能の赴くままに騒ぎ始める。
日本人の魂を鷲掴みにする、出汁と揚げ物の黄金コンビの香りに、抗いきれもせず素うどんを注文。
そして急ぎ天ぷらやコロッケを隣から調達し、正々堂々と持ち込んだものだ。
でもそんなことは、うどん屋のオヤジとて先刻承知。
持ち込料がどうのとか、咎め立てたりもしない。
少なくとも、うどん屋が天ぷらやコロッケを揚げ、天ぷら屋や肉屋を敵に回してまで、根こそぎ利を貪るような下卑た輩はいなかった。

昨今の「アベノなんたら」とか。
それに煽られ、利に聡い者が人を制してまで、更に利を追う。
昭和半ばは、今ほど豊かじゃなかった。

だが皆一様に、情に脆く絆され易く、互いを緩やかに支え合ったもの。
「お互い様の持ちつ持たれつ」。
庶民はその崇高な精神で、激動の昭和を闊歩し続けたのである。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。