

春の伊吹に誘われて 揖斐の山里子らの声
子ども歌舞伎の白塗りと 若衆たちの神輿渡御

八十八夜別れ霜 千枚畑に茶摘み唄
春日上ヶ流古茶 天へと届け茶葉供養
「裸電球国民ソケット1号とズボラ紐」
「さあ、いつまでもふざけとらんと、もう電気消してさっさと寝るよ」。
川の字に敷かれた綿入れ布団。

母のその一言で、父が布団から足を蹴り出し、器用に親指と人差し指を広げる。
そして裸電球から垂れ下がった紐の留め具を挟むと、足を降ろしてスイッチを切る。

昭和半ばの我が家の一日が、そっと帳を降ろしていった。
当時の茶の間の灯りは、ブリキの笠が被った、裸電球の「国民ソケット1号」と呼ばれた照明器具。

ソケットの付け根から、30~40センチ程の紐が、垂れ下がっていたものだ。
その紐の先に、市販の専用紐を継ぎ足し延ばした。
畳から30センチほど上の位置に、留め具が届くように。
紐の先のプラスチック製留め具には、蛍光塗料が塗られていた。
布団に潜り込んでからでも、蛍光塗料で淡く光る小さな留め具を足の指で挟み、スイッチを入れたり切ったりする、すなわち「ズボラ紐」。

しかし当然朝になれば、茶の間の中央に長い紐が、だらしなくブランと垂れ下がることとなる。
だから毎朝紐を手繰り上げ、ひとまとめに縛り直さねばならなかった。
子どもながらに、足の指一つで電燈を点けたり消したりする、そんな父の姿に憧れたもの。
「ぼくにもやらせて」と懇願するものの、こればかりは頑として「駄目だ!」の一点張り。
そうなりゃあ益々、何が何でもやってみたくなるのも子ども心。
するとある夜、願っても無いチャンスが転がり込んだ。
風呂を浴び布団に入り、いつものように父が、裸電球の留め具に、足を伸ばしかけたまさにその時。
「火事だ、火事だぁ~っ!」の叫び声。
やがて消防車のサイレンまで近付いて来た。
「どうも近所みたいやで、お父ちゃんとお母ちゃんは、バケツリレーの手伝いしに行くけど、あんたは危ないから、家の中でじっとしとるんやで」と、両親は火事場へと急いだ。

もはやこんなチャンスを見逃す手はない。
だって布団も敷かれ、裸電球の紐も既に足もとまで垂れ、お膳立ては完璧。
まさに据え膳喰わぬは何とやらである。
「エイッ」とばかりに、短い脚を思いっきり伸ばす。
辛うじて留め具に指が届いたと思いきや、留め具は嘲笑うかのようにサッと身を翻す。
それでも苦戦の末、やっと留め具が指の間に掛かった。
ついに夢見た世紀の一瞬、固唾を飲み勢いよく足を降ろす。
しかし灯りは消えたものの、何故か指の間から留め具が外れない。
力任せに足を振り回していると、一瞬プチンと音がした。
再び灯りが燈ったまではいいが、さっきまで突っ張っていた紐がダラリと布団の上へ。
ソケットの根元から、紐が千切れているではないか。
嗚呼!万事休す。
しかも椅子を踏み台に、どんなに背伸びしようが、ソケットの根元まではとても手が届かない。
「小火で良かったわ」と安堵したように、両親が煤だらけの顔で戻った。
しかし裸電球の惨状を知るや否や、母は再び憤怒の形相。
裸電球が煌々と燈る中、煤だらけの仁王様の説教は容赦なく続いた。

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