「ハイカラなスピッツと、白足袋の雑種犬」

昭和半ばのあの頃は、ご近所さんらと見比べても、今ほど貧富の差は無かった気がする。
だからかどこの家でも、晩のおかずの煮物を作り過ぎたとか、天ぷらをテンコ盛りに揚げ過ぎたと言っちゃあ、仲の良いご近所中にせっせと配って歩いたもの。
そんな相身互いの精神が根付くと、ご近所のお母ちゃんたちも小狡くなる。
「ねぇあんたとこ、今日煮物?ならうちは炒め物にしとくわ」ってなもんで、互いに交換する献立が被らないよう、ちゃっかり市場で打ち合わすほど。

しかしそんなお母ちゃんたちの、爪に火を燈す様な遣り繰りが、安月給の世の宿六どもを支えたのだから侮れない。
食べる物や着る物など、基本的な生活水準に大差はなくとも、お母ちゃんたちの年代によって、暮らしぶりは大きく異なる。
中でも鮮明な記憶として残っているのは、飼い犬の種類だ。
当時はまだ、ペットなどとハイカラな呼ばれ方もせず、ましてやペットフードも無い。
ちょっとモダンな若夫婦の家では、スピッツを飼うのが当時のブームだった。

真っ白な毛並みで、とにかく誰彼かまわず、キャンキャンキャンキャンと鳴き散らした小型犬である。
家の母より4~5歳若く、子どももまだ小さな若夫婦の家では、それこそ猫も杓子もスピッツをこぞって飼ったものだ。
「あらまあ、可愛いわねぇ。お宅もついにスピッツ飼ったの!」と、羨ましげに愛想良く振る舞う母。
しかしその舌の根も乾かぬうちに「まったくあのスピッツと来たら、のべつ幕なしに吠え散らかして、もう五月蠅いったらあれへん!」と、母は手のひらを返したように容赦なかった。
「それに引き替え家のジョンときたら、雑種だけど大人しくってお利口さんだわ。ちょっと白足袋履いとるんだけが、玉に傷やけどな」と、ぼくを相手によく愚痴ったものだ。

幼いぼくには、母の「白足袋履いとる」が、どうにもこうにも「白カビ掃いとる」と聞こえ、なんとも不思議でならなかった。
「まさかジョンが箒で白カビ掃くなんて出来っこ無い。とすれば、小屋の周りの土にでも白カビが生え、それを後足で蹴り飛ばすのを、白カビを掃くというのだろうか?」と。
そうなると、その現場を一目見なけりゃ気が済まぬ。
学校から一目散に帰ると、玄関脇でこっそり身を隠し、ジョンの生態観察を始めた。
しかし待てど暮らせど、そんな気配も無し。
そうこうしている所へ、お向かいのご隠居がいつものように、煮物の鉢を抱えてやって来た。
するとジョンが匂いに惹かれ、ご隠居の足元にキュ~ンと甘えて纏わり付く。
「お~よしよし。ジョンは本当にお利口さんやなあ」。
「でも白足袋さえ履いとらないいんやけどねぇ」と母。
―出た!また白カビだぁ!―
するとご隠居がジョンを抱き上げ、足の先を手で振りながら「白足袋は日本じゃ忌み嫌われるけど、英国ではホワイト・ソックスって言うて、幸福をもたらす縁起もんやぞ」と。

忽ち気を良くする母に対し、ぼくの謎は益々深まるばかりだった。
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