「ボンネットバスの注連縄と鏡餅」

飾り納めから3日が過ぎた。
最近の家庭では、注連縄や鏡餅を飾る数が、ずいぶん減った気がする。
昭和半ばのわが家では、八百万の神々がおいでだからと、母が貧しいながらも家中のあちこちに、豆注連縄や小さなお鏡さんを飾りたくったものだ。
玄関は元より、茶の間や勉強机の上から、台所や風呂場に便所と、あげくは自転車にまで豆注連縄が飾られた。

当時わが家に自家用車は無かった。
でもご近所では、自家用車や軽トラまで、大晦日になるとピッカピカに磨き上げられ、ボンネットに大きな注連縄が括り付けられたもの。

土埃を上げボンネットバスが、バス停へとやって来た。
初詣へと向かう晴れ着姿の家族連れが、こぞって乗り込む。
ボンネットバスのフロントグリルにも、これまた一際大きな注連縄が、これ見よがしに取り付けられていた。
車掌のお姉さんが手動で二つ折りのドアを開け、乗客を車内へと誘う。

「発車オーライ!」。
その声で運転手は、右にウインカーを出し、バスはソロソロと動き出す。
そのウインカーたるや、現在の様な黄色いランプが点灯するものではない。

運転席の左右に取り付けられた縦長のボックスから、赤い矢印が手旗信号の様に外側へと飛び出す代物。

運転席の中央部のスピードメーターの上には、これまた小さなお鏡さんが飾られていて、バスの中もお正月気分満点だったものだ。
中には信心深い運転手さんだったのだろうか、運転席の横にお伊勢さんの天照大御神のお札が掲げられているものまであった。
果たして天照大御神が、交通安全にご利益の高い神様でいらっしゃるのかは、いささか疑問でもあるが。
少なくとも昭和40年代の半ば頃までは、そんな松の内であったし、誰もが身の回りに常においでになる、身近な八百万の神々を崇め、新年が少しでも良い年であれと、そう願って止まなかった証しだろう。
それに引き替え平成の今の世は、いかばかりであろう?
何も昭和の昔と変わってしまった事を、非難しようと言うわけではない。
それが紛れも無い今の世なのだから。
しかし敗戦のどん底から、それをものともせず、「♪ボロは着てても心の錦 どんな花よりきれいだぜ♪」と、自らを鼓舞するかの如く口ずさみ、必死に今日を生き抜いた両親たちの時代。

大それた見果てぬ夢など追わず、ただ家族皆の健康と、もう二度とこの国が戦争に巻き込まれる事があってはならぬと、八百万の神々に祈ったその想いだけでも、せめて我々は受け継がねばならぬのではなかろうか?
降ってわいた突然の年末の選挙。
何を問わんとするかも定かではないまま、ついには呆れ返り、一票を投じなかった多くの者たち。
棄権する方も確かに悪い。
しかしだからと言って、声なき声に耳を傾けもせず、日本の平和を揺るがそうとする事だけは、何人であれあってはならぬ蛮行だ。

敗戦70年を迎える今年こそ、今一度八百万の神々に不戦平和を祈るしか、もはや術はなさそうだ。
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