「プラスチック製食パンケースにバターケース」

そりゃまあ母の遺品整理は手間取った。
今から23年前の今頃。
父は母を亡くした喪失感も手伝って、日毎斑呆けに蝕まれ続けていた。
ぼくは仕事の合間を縫い、母の遺品の整理に大わらわ。
よもや緊急入院となり、やがて命が絶たれようなどと、想像も付かなかった母は、日々の暮らしに必要な物や身の回りの物を、しこたま買い置いたままだった。
何度休みの度にそれらの処分に通った事か。
いよいよ残りは、押し入れと戸袋だけになった。
すると一番奥から、飴色に日焼けした柳行李が。

大切そうに一番奥に仕舞い込んであったことから、こりゃまたお宝か?と、俄かに色めき立ち上蓋を開けて見てガックリ。
それは忘れもしない、ぼくが小学校低学年時代のこと。
父の給料日後の日曜ともなると、母は決まって某百貨店の地下売り場の「80円均一」へと足蹴く通ったものだ。

その柳行李から出てきた物は、「80円均一」で母が買い揃えた、プラスチック製の洋食器である。
不意に当時のワンシーンが頭を過ぎった。
「さあ今日からわが家も、お洒落な暮らしの始まりやよ!」。
母は買ったばかりの、プラスチック製食パンケースからパン2枚を抜き取った。

そして段ボール箱から厳かに取り出だした、手垢一つない電気トースター上部の、細長く開いた穴へと差し入れる。

そして「さあ、お父ちゃん。トースターのレバーを下げて、記念すべきスイッチの点灯や!」。
母は取扱説明書と首っ引きで、父にそう促した。
卓袱台中央のおニューの電気トースター。
パンの仄かに焦げる香りが立ち込め出すと、思わず家族3人卓袱台を取り囲み、トースターを覗き込んだ。
「チーン」。
素っ頓狂な音と共に、トーストが跳ね上がるとその興奮もクライマックス。
「やっぱり火鉢の上の網で焼くのとは違って、ええ塩梅やなぁ」と、感心しきりの父。

「お父ちゃんが毎日、頑張って働いてくれるで、高価な電気トースターも買って貰えたんやよ」と、母が微かに涙ぐんだ。
そしてこれまた新品の、プラスチック製バターケースを開け、ピッカピカのバターナイフでバターを削り取り、焼き立てのトーストに母がバターを塗った。

「はい、トースターも焼けたで、熱いうちに食べるんやよ。足らんかったら、またトースター焼いたげるで」と、したり顔の母。
以来わが家では何の疑いも無く、トーストでは無く焼き上がった食パンを「トースター」と呼ぶようになった。
戦中派の両親も、小学校低学年のぼくにしても、焼いた食パンを「トースター」と呼ぶものだと信じて、これっぽっちも疑いなどし無かった。
しかしそれが誤りと発覚したのは、裕福な家庭の友が遊びに来た時の事。
「お腹空いとったら、トースターでも焼いてやろうか?」と、母が尋ねた。
すると友が、「おばちゃん!トースターなんて焼いたって食べられないよ!トースターでトースト焼いてくれるんならいいけど…」と。
すると母が「あ、ああ、そうやったそうやった!ゴメン、おばちゃんすっかり言い間違えちゃった!恥ずかしいわ」と、瞬時に言葉を濁した。
英語は敵性語と叩き込まれた、そんな学生時代を生きた母。

果たしてどこまで、本当の意味が理解できたか?

もう今となっては、尋ねることも出来はしない。
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