「舶来ビールの王冠バッヂ!」

昭和半ばの時代。酒やビールにジュース、醤油から酢まで、酒屋のお兄ちゃんが御用聞きにやって来ては、頑丈な自転車で配達してくれたものだ。
わが家でも、勝手口の開き戸を開けると、その内側に御通い帳が吊り下がっていた。
「毎度~っ!奥さん、三河屋で~す。ビールここに置いときますよ!」と、近所の酒屋、三河屋のケンちゃんが、開き戸から顔を覗かせた。

すると奥の茶の間で、内職に勤しんでいた母が、腰を上げ勝手口へ。
割烹着のポケットから、チリ紙に包んだ飴玉を、ケンちゃんに握らせた。
「いつもご苦労さんやねぇ。これ、ほんのちょっとやけど、道々舐めてって」と。
するとケンちゃんは、野球帽を取ってペコリ。
「おおきに!」と一言。
玄関先の頑丈な自転車にまたがって、玄関脇にボ~ッと突っ立っていたぼくを手招いた。
ケンちゃんは三河屋と、白く染め抜かれた帆前掛けの、前にあるポケットをまさぐり、「ぼう、珍しい舶来ビールの王冠やろか?」と。

もちろん興味津々でケンちゃんに駆け寄った。
すると緑色の太いドーナツ状の円形の中に、白色のアルファベットが浮き上がり、真ん中に真っ赤な星が描かれた、これまで一度も目にしたことの無い、綺麗な王冠を取り出した。

「これ、ええやろ。ハイネッケンと言う、オランダのビールの王冠やて。どうや、バッヂにしたろか?」。
嬉々として頷くと、ケンちゃんは器用にポケットから釘を取り出して、王冠の内側のコルクを見事な手付きで剥がし取った。

そしてぼくのランニングシャツの、左胸の辺りに内側からコルクをあて、外側に王冠を宛がい嵌め込んだ。
すると見事に、世にも珍しい王冠バッヂが、ぼくの薄汚れたランニングシャツの左胸に、燦然と輝いた。
「ありがとう、ケンちゃん」。
ぼくが目を輝かせながらそう言うと、ケンちゃんは「また、珍しい舶来ビールの王冠手に入れたら、ぼうにまた持って来るでな。さあ、皆に自慢して来たれ!」と。
気をよくしていつもの公園へ向かうと、直ぐに草野球チームの仲間が寄って来た。
そしてぼくの左胸の勲章、舶来ビールの王冠を羨まし気に、繁々と眺め始めた。
「それって、どこの国のビールの王冠や?」とか、「どうしてそんな珍しいもん、持っとんや!どこで手に入れたんや?」と、もうとにかくヤイノヤイノ。

皆の胸には精々、国産ビールの王冠やら、サイダーの王冠がやっと。
だからぼくは、もう鼻高々の有頂天。
皆の羨望の眼差しを一身に受けながら、いつものように草野球が始まった。
この日は、舶来ビールの王冠の魔法か?投げて良し打って良し、それに走って良しに滑り込んで良しと、すこぶる絶好調。
棒っ切れで線を引いただけの、ダイヤモンドならぬ三角ベースの球場を、縦横無尽の大活躍だった。
「あれっ?ミノ君、あの舶来ビールの王冠は?」と、サッチャンが問う。
慌てて胸元を確かめると、左胸のシャツに御用聞きのケンちゃんが取り付けてくれた、自慢のバッチがなくなっているではないか!
目の色変えて慌てて探し回り、やっとバッターボックスの所で、土に埋もれたバッチを発見。
ところが既に、何度も皆のズック靴に踏まれペッチャンコ。
だからか、今でもスーパーのビール売り場で、「Heinekenハイネケン」のロゴを目にする度、あの日の事を懐かしく思い出してしまう。
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