「素描漫遊譚」
「岐阜市柳ヶ瀬界隈」
今回で最後となりました「素描漫遊譚」は、第26回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会に沸く、大好きな岐阜市柳ヶ瀬界隈が舞台です。
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「素描漫遊譚」は、2003年の9月に名古屋市大須の町を皮切りに、3年と2ヶ月に渡って愛知・岐阜・三重の各地を訪ね歩いた。
永いようで短かった旅。
いつもぶらりと気の向くまま、そして足の赴くまま。
どうにも気になってしかたがない店や、店先で埃をかぶった奇妙な珍品に魂を吸い寄せられたものだ。
ぼくは旅の始めにあたり、いくつかの「お約束事」を立てた。
それは歯の浮くような、オベンチャラを一切吐かないこと。
そして流行の店やモノに執着せず、今と昔を有態に散りばめることだった。
なぜならぼくが訪ねる町では、いつも三世代の同居するような、そこはかとない体温を感じていたいからだった。
町の基本は、その町に暮らす人。
そして町の大きさやそこで暮らす人の数に応じ、やがて適度な距離感を持って様々な店が建ち並ぶ。
町のあちこちでは子供らが駆け回り、木陰で老人が憩う。
働き盛りの大人たちは誰も気忙しそうだが、それでいて駆け回る子供たちや老人たちを、ちゃんと視野の片隅に入れていた。
しかし昭和も半ば以降、時代は経済発展を最優先させ、その身代わりに緩やかだった町や人、店やモノとの距離感を引き離した。
マイカーブームが到来し、やがて郊外に大型の商業施設が鳴り物入りで誕生。
駅を取り巻くように発展を遂げた、一昔前の町並みは一変した。
まるで抜け落ちた虫歯のように、シャッターを硬く閉ざしたままの店。
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人通りの消え入りそうな商店街。
駆け回る子供たちや、のんびりくつろぐ老人の姿は、すでに遠き日の残像となった。
世の流れや、人の流れに諍うことなど出来ぬ非力なぼくは、「素描漫遊譚」の心の旅に、やり場のない怒りや淋しさを小さなメッセージに託し、せめてもの慰めにとこっそり認めるしか術がなかった。
「今昔合い塗れてこそ、町なんだ。老若男女が暮らし、それぞれが必要とする店やサービスがあればそれでいい。大企業や名のある再開発プロデューサーが、力任せにテーマを定めた嘘っぱちな街なんて、ぼくらが愛した町じゃない」んだと。
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「再開発の名の下に、駅前は悉くリトルトーキョーだ」。
ぼくは悔し紛れに、何度となくそんな言葉を口にしたものだ。
近代的と言う強引さを伴う言葉の影で、失われてしまったその町らしさや、その町だけの庶民の文化が妙に恋しくて。
「素描漫遊譚」旅立ちの町は名古屋の大須。
古びたメリヤス屋の隣りで、ビンテージ物のジーンズが吊り下がる、若者に人気の店と老人向けの店が同居する町。
そのアンバランスさが『町』そのものだった。
そんな想いで町と人を訪ね歩いたぼくの「素描漫遊譚」。
もっともっと沢山の町を訪ね歩き、もっともっと素敵な人に出逢いたかった。
ありがとう「素描漫遊譚」。
そしてサヨナラ「くりぱる」。
いよいよぼくの珍道中「素描漫遊譚」最終回。
結びの地に相応しい、今昔入り乱れる岐阜市柳ヶ瀬界隈を、感慨一入にぼくは最後の心の旅を始めます。
これまで永らくのお付き合い、本当にありがとうございました。
心より感謝いたします。
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