美濃太田駅界隈「後ろ姿観音」
白い玉砂利が敷き詰められ、見事に掃き清められた境内。
その一角に、高さ60㌢程の、100体の観音石像が祀られている。

頬杖を付き眠たそうに身体を傾げるお姿や、ただただ一心に両手を合わせ念ずるお姿など、100体それぞれの表情を湛える像。
そのお顔や光背は、長い年月の風雪に耐え抜いたせいか、全体の角張りが削り取られ、やんわりと丸みを帯びている。

まるで数百年前の石工が打ち出した、荒々しい鑿痕を大自然の神の手が、時間をかけ研磨したかのようだ。
「だが待てよ?何かへんだ」。
さっきからずっと、心に引っ掛かっていた妙な不自然さに、やっと辿り着いた。
その不自然さは、最前列一番左端に祀られた、一体の観音像から発せられるものだった。
何と!
あろう事か、他の99体とは異なり、後ろを向いていらっしゃるではないか。
これまでぼくは、世辞にも信心深い方とは言えなかった。
だからことさら、人よりも多く観音様や仏様に接して来たわけでもない。
今さら悔やんでも始まらないのだが、それにしてもこんな後姿の観音像をお見かけしたのは、後にも先にもこれが初めてだ。
雛壇状に整然と祀られる観音像は、向って右から上下8体が5列、続いて上下に7体が4列、そして上下8体の4列と計100体。
「この辺の方からは、『百仏様』と呼ばれ、親しまれてます」。
室町時代の文明6(1474)年開山という、由緒正しき禅宗の霊泉寺、高野禾堂住職が庫裡から顔を覗かせた。
霊泉寺は、美濃太田駅から北東へ約600メートル。

高山線と太多線を南北に跨ぐ陸橋を、北に渡りきった右手にある。
「実のところ、色んな説がありましてな。本当のところはいつ祀られたか、なぜ百体なのか。なぜ一体だけ、後ろ向きのお姿なのか、正確な記録が残ってないんです。ですから人によっては、『赤子を抱いておいでなんや』とか、『もしかしたら、異教の聖像やぞ』と、茶化すお方もおられます」。
住職も何か手がかりはないものかと、光背の裏側まで隈なく調べ上げたそうだ。
だが、戒名や寄進者の名は、どこにも刻まれていなかった。
名も無き古人は、この後ろ姿観音像に、いったいどんな願いを託したというのか。
もはやそれを知る術は無い。
後は現の世を生きる者が、光背の向こう側へ、消え入ろうとされている観音様の後ろ姿を、どんな思いで眺め、何を感じるかしかない。
そう考えると、何やら時代を超えた浪漫に浸り入るようで、この場を立ち去りがたい気になるから不思議だ。
差し詰めぼくには、こう感じられた。

『長良川鉄道、北濃までの38駅。長良川を1駅1駅遡上し、その町に生きる人々と出逢う度に、きっとお前は気付くであろう。気忙しく、常に何かと競い合い、やさしさや思いやり、そしてせめてもの人間らしささえ、かなぐり捨ててでも生き抜かねばならぬ都会と、これから訪ねる沿線の町とでは、あきらかに時計の針の進み方が違うことに。さあ、私に付いて来るがよかろう』と。
霊泉寺/美濃加茂市中富町
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