「昭和Nostalgia」(309)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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昨日は名古屋も雪が積もり、公園では親子連れが何組か、雪合戦をしてキャッキャキャッキャと声を上げていました。

寒空の中、その姿を眺めながら、娘がまだ幼かった頃、あんな風に雪合戦をしたものだなぁと感傷に耽ったものです。

上のモノクロ写真は、ぼくがまだ幼かった頃に見た光景とあまりにも似ていて、妙に懐かしさを感じてなりません。

その記憶とは、おそらくぼくがまだ3つ4つの頃のものだと思います。

お父ちゃんに連れられて、今日のような真冬の日に、三重の田舎に出掛けたのです。

お母ちゃんが一緒じゃなかったから、何かしらの用があったのでしょう。

名古屋から松坂まで近鉄電車に乗り、松阪駅から大石まで今では廃線となった三重電気鉄道松阪線に乗り換え、大石からは三重交通のバスで、粥見へと向かったものです。

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その際の、大石駅の小さな売店の中から、松阪行の電車か粥見行きのバスを待つ間なのか、曇りガラスの窓から温められた牛乳瓶を、お父ちゃんと仲間で飲みながら雪の降る小さな駅前ロータリーを眺めていた風景にとても似ているのです。

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ドラム缶の焚火で暖を取る学生服の少年、子を背負い褞袍を羽織る親子、革靴にコートの紳士。

そのいずれもが、不思議にも懐かしくもあり、ぼくの昭和半ばを象徴する原風景の一片のようでもあります。

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そう言えばわが家にも、家族全員分のこんな褞袍があり、冬になると登場したものです。

確か高校に入る頃まで、ぼくはお世話になったものでした。

薄い綿布団を着ているようで、とても温かでしたねぇ。

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今度どこかで、こんな辛子色の褞袍を見つけたら、部屋着に買ってみようかなぁ!

そしたら昭和半ばの温もりをもう一度、肌で実感できるかも知れませんよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(308)

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女の子のお家には、こんなカラフルな着せ替え人形なんかが、ズラ~ッと並んでいたものでしたねぇ。

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ぼくにゃあサッパリ、どれが「リカちゃん」で、

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どれが「バービーちゃん」やら、いつまでたっても見分けがつかなかったものです。

そう言えばわが娘も、こんな着せ替え人形で遊んでおりましたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(307)

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これを一目ご覧になって、懐かしいなぁと思われた方は、これまた押しも押されもせぬ立派な昭和人です!

って言っても、女性にはちょっと馴染みが薄いでしょうか?

わが家ではもっぱらお父ちゃんが、出勤前に丹頂チックのポマードで、オールバックに髪を整えていたものです。

今でもほんのりと、お父ちゃんのポマードの匂いを記憶しています。

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ぼくが中学生の頃、仲の良かった友人から誕生日のプレゼントとしていただいたのが、当時人気だった資生堂のMG5と言う名の、ヘアトニックでした。

何でも友人のお兄ちゃんが使っているから、それと同じものをと選んでくれたようでした。

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昔から世事に疎いこんなぼくではありましたが、草刈正雄さんのTVCMで知ってはいたものです。

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カッコいい人だなぁと思ってはいましたが、ぼく的にはMG5の香りがちょっと苦手だったようです。

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そんなMG5の対抗馬が、チャールズ・ブロンソンをTVCMに起用した、「マンダム」でしたねぇ。

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ぼくは使った覚えがありませんが!

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そうそう「バイタリス」なんてぇのもありましたねぇ。

実は今回初めて知ったのですが、このバイタリスは、あのライオン油脂さんから発売されていたみたいでビックリ!

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その後は、こんな「ブラバス」やら、

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こんなアウスレーゼなんてぇのも、昭和を彩った男たちの身だしなみの香りでしたねぇ。

匂いの記憶って、けっこう脳裏に残っているものですねぇ!

女性の皆さん、退屈させちゃいましたねぇ!

失礼いたしました!


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「昭和Nostalgia」(306)

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さて、この風景をご覧になって、どこからどこが映っているか分かった方は、これまた立派過ぎる昭和人であると共に、古き名古屋の中心部に精通された方に違いありません。

これはおそらく、昭和45(1970)年頃のモノだと思われます。

正解は、名古屋の栄の中心部、南大津通りの広小路通り交差点を北から南に眺めたものです。

左にあるビルは、オリエンタル中村百貨店。

現在の名古屋三越百貨店です。

その向こうに松坂屋やパルコへと続く目抜き通りです。

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こちらは、矢場町の交差点から、南大津通りを北に眺めたアングルです。

さて、この人だかりはいったい何か?

そうです「ホコ天」です。

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ぼくは小学校の6年か、中一の頃でしたから、美味しそうなイカ天や海老天の新種かなどと、おバカなことを想像したものでした。

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いつもなら車の専用道が、日曜日の決められた時間帯だけ車が締め出され、車道を堂々と自由気ままに歩けると言うもの。

それだけのことで、何でこんなにも人々が押し寄せたのやら?

人混みが苦手なぼくは、一度もホコ天を歩いた記憶がありません。

皆々様は、ホコ天を愉しまれましたか?


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「昭和Nostalgia」(305)

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そう言えば、昔のわが家の台所には、こんな武骨なガスの一口コンロが二口設置されていたものです。

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ガスの元栓を開き、徳用マッチ箱からマッチを抜き取り火を付け、一口コンロのコックを捻り、円形に空いたガスの噴き出し口に、円を描くように火を付ける。

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その妙技を瞬時に難なくこなす、お母ちゃんやお父ちゃんの手捌きには、いつも感心させられたものです。

いつだったかお母ちゃんが、好物の酢サバを食べて当たってしまい、寝込んでしまったことがありました。

ぼくは冷ご飯でお母ちゃんにお粥を作ってあげようと思い立ち、いざ一口コンロの前へ!

元栓を開きマッチに火を付け、一口コンロのコックを捻り、円形に空いたガスの噴き出し口に、円を描くように火を付けようとするものの、ためらいながらグズグズしているうちに、マツチの火は直ぐに軸まで燃え、指先が火傷しそうになるし。

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何本もマッチを燃やし尽くしたのち、やっとのことでコンロに火を付けた苦い思い出もあったものです。

しかしまぁ、今じゃあ家中探したって、マッチ箱一つも見当たらないですものねぇ。


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「昭和Nostalgia」(304)

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いよいよ高校受験のシーズンとなりましたねぇ。

こんなぼくでも、夜なべで受験勉強をしたものです。

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って、ほとんどラジオの深夜放送に釘付けでしたけど。

そんな頃、お母ちゃんも寝る前に、夜食を作ってくれたものでした。

もちろんお母ちゃんが夜食を持ってきてくれる時は、ラジオのスイッチを消していましたねぇ。

鍋焼きうどんやら、おにぎりなど。

中でもぼくは、お母ちゃんの鍋焼きうどんが好きでしたねぇ。

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でもそれを食べて温まると、ついつい瞼がたるんで・・・グゥー。

お母ちゃんは寝る間も惜しんで、夜食作りをしてくれていたんですねぇ。

今もって感謝しかありません。

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それに引き換え、受験には合格したものの、こんな為体ぶり。

いやはや、あの世でお母ちゃんに合わせる顔もありませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(303)

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微かな記憶ですが、ぼくは小学校を卒業するまで、一つの部屋で両親とそれこそ川の字になって寝ていたものです。

そこで思い出す間が、お父ちゃんの足の指捌きです。

「なんじゃあそりゃあ?」と思われたでしょうか?

特にこんな寒い冬の日は、お父ちゃんの足の指捌きがとても役に立ったものでした。

「さぁ、寝るぞ~っ」とお父ちゃんの声。

急いでぼくもお母ちゃんも、今思えば糞重たい綿の布団に潜り込んだものです。

「じゃあ、電気消すぞ~っ」とお父ちゃん。

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するとお父ちゃんは布団の端から足首だけ出して、器用に蛍光灯を消す紐を足の指に挟んで消してくれたものです。

もちろん蛍光灯から通常ぶら下がっている紐じゃあ、寝ている足元まで届きっこありませんから、紐の先に延長紐が結わえられておりました。

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しかし毎晩の事とは言え、お父ちゃんは器用に蛍光灯の灯りを、布団をめくって起き上がらずとも、消してくれたものでした。

ぼくも今度か挑戦したこともありましたが、お父ちゃんにはかないっこありませんでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(302)

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昭和半ばを語るには、やっぱりダッコちゃんブームを外すわけにゃあ参りません。

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って言っても、ぼくが本物を目にしたのは、確かお向かいに住んでいたサッチャン家!

サッチャンのお姉ちゃんの勉強机の片隅で、空気が少し抜けて萎んでいる、ちょっと埃を被ったようなダッコちゃんを目にしたのが最初だったと記憶しております。

当然ながらわが家は、男坊主一人の家でしたので、わが家では買ってもらえなかったように思います。

それもそのはず、ダッコちゃんの発売は昭和35年とありますから、ぼくはまだ3つ。

とてもダッコちゃんに関心を寄せるような歳でもなかったはずです。

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しかし全国に席巻したダッコちゃんブームも、1~2年で鎮静化したそうです。

その後は本物のダッコちゃんを真似た、粗悪な模造品も多数出現したとか。

ですから、サッチャン家のお姉ちゃんのダッコちゃんに、初めてお目に掛ったのは、ブームがとっくに過ぎた5~6年後の話じゃなかったでしょうかねぇ。

ぼくからすると、ダッコちゃんブームの頃に現役だったのは、お姉ちゃんたちの世代だったように思えます。

だからお姉ちゃんのいなかったわが家には、無用の長物だったのかも知れません。


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「昭和Nostalgia」(301)

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こんなシールのような写し絵なるものも、駄菓子屋にあったような?

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ぼくら男坊主の腕白どもは、あまり買い求めた記憶はありませんが、女の子には人気だったような覚えがあります。

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確かグリコだったかのオマケに付いていた、鉄腕アトムの写し絵だったかシールだったかを、タンスに貼り付けてお母ちゃんにコッテリ叱られたものでした。

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しかしもう令和の時代となっちゃあ、こんな超アナログな写し絵やシールに現を抜かすような子どもたちはいないんでしょうねぇ。

だって今じゃ、なんだってスマホやタブレットで、鮮明なデジタル画像が手に入っちゃうんですものねぇ。


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「昭和Nostalgia」(300)

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昭和の半ば、近所に住んでいた同い年の女の子「タカちゃん」は、とにかく周りの女の子よりちょっとオマセさん。

タカちゃんに呼ばれて遊びに行くと、こんな紙の着せ替え人形を使って、ファッションショーと称して、無理やりお付き合いをさせられたものでした。

ぼくなんて腕白な男坊主ですから、女の子が着せ替え人形に夢中になる気持ちがなかなかわからず、「このドレスなんてどう?」なんて尋ねられても、なんと答えてよいものやら黙り込んでばかりで、タカちゃんの機嫌を損ねたものでした。

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ある日のこと、またしてもタカちゃんに呼び出されて、渋々タカちゃん家に伺うと、和室の襖の向こうからタカちゃんの声が!

「ファッションショーの始まりで~す!」

その声と共に、ポータブルレコードプレーヤーから、「上を向いて歩こう」が流れ出し、襖が開きオマセなタカちゃんが、こんな煌びやかなオモチャのジュエリーや腕時計を身に着け登場して来たものです。

またどうせ着せ替え人形の、お供をさせられるんだろうと思っていただけにビックリ!

何でもお婆ちゃんに買ってもらったんだとか!

着せ替え人形遊びが進化して、立体的になったようで、なんとも居心地が悪かった記憶があります。

そして何度も何度も「ねぇ、今何時」って聞いてよ!とせがまれ、ぼくがそう言うと、いつも答えは「8時21分よ!」だって!

まぁ、オモチャの時計は、なんせ自動では動きませんものねぇ!


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