「味(あんじ)ようやりや」~晴れのち曇り、一時雨

「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」開催決定!!! ~おつまみは各自1品持ち込み、みんなでシェアー~

●日 時:2023年 4月16日(日)

     14:00開場、14:30頃開演、16:00頃終了

●会 場:MUSIC & BAR 『C♭』

 岐阜市神田町7-7-3 神田セブンビル 2F 058-266-4477

●出 演:オカダミノル & ヤマもモ(友情出演)

●参加費:お一人様Live Charge \4,000-(「キリン・一番搾り」「キリン・氷結レモン」「キリン・ホワイトホースハイボール」「キリン・グリーンズフリー(ノンアルコールビルー)」の飲み放題)*感染症予防への取り組みで、缶商品でのご提供となります。

*ソフトドリンクをご希望の方は、「C♭」で1ドリンク500円でご注文いただくことも可能です。またソフトドリンクの持ち込みも可能です。

*おつまみは参加者各自1品持ち込みで、みんなで持ち寄ったおつまみをみんなでシェアーしていただきます。(おつまみは、自作自慢の1品でも、スーパーのお惣菜でも、市販のコンビニおつまみや、缶詰とかお菓子類でもOK)

*参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!

●定 員:30名(全席自由席)

●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive 2023」係まで。*万が一キャンセルの場合は、必ず2023年 3月31日(金)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額負担とさせていただきます。

●締 切: *先着順、定員となり次第締め切り

●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実行委員会

●協 賛:KIRIN BEER

*Live終了後はオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。二次会参加者人数が確定した段階で、詳細の参加費が算出されるため、参加者人数確定後に参加費のご連絡を申し上げます。

「実はなぁ、お前にゃあ兄さんと姉さんがおったんや」。

父は特別養護老人ホームのソファで、いきなり切り出した。

写真は参考

中指と人差し指の間で、紫煙がくゆり、長く伸びた灰が音も無くポトリと落ちた。

写真は参考

喘息持ち父は、医師から喫煙を禁じられていた。

ぼくは父を訪ねる度、それを承知で煙草に誘った。

その度父は、悪戯っ子のように、嬉しそうな眼差しを向けた。

田舎生まれの父は、青春の大半が貧しさと戦争に蝕まれた。

写真は参考

戦後は、この国が見事に復興を遂げる狭間で、身をボロ雑巾のようにして働き詰めた。

何も望まず、多くを(ほっ)せず、ひたすら母とたった一人の息子を育てるためだけに。

写真は参考

蝉の抜け殻のように背を丸めた父は、遠くを見つめていた。

写真は参考

<今日は、どうやら雨かな>

いきなりの告白に、ぼくはそう感じた。

76歳の父の痴呆は、4年前から3歩進んで2歩下がるを繰り返していた。

痴呆の症状は、日によって現われ方が異なった。

ぼくと妻は、それを天気になぞらえた。

澱みない会話が成立する日は快晴。

全く意味不明な状態を、ドシャ降りと称した。

写真は参考

今思えば、せめてもの父への尊厳だった。

やはり実の息子としては、痴呆を心の何処かで認められずにいた。

「何ていう名前だったの」。

父のドシャブリに、ぼくは付き合う決心をした。

「兄の名が、奥田□×◎、姉が□△○」。

父の震える指先が、空を這った。

完璧な表記だった。

しかしぼくの姓は岡田だ。

思い過ごしか。

やはり父は、ドシャブリの中を彷徨っているようだ。

まだぼくはそう感じていた。

父は遠くを見つめながら、話を続けた。

戦地から引き揚げて直ぐ、口減らしも兼ね津市に婿養子に出された。

そして二人の子を儲けたが、訳があって離縁し、その後、ぼくの母と再婚したという。

雨はどうやらぼくの気のせいだった。

むしろ雲ひとつ無い、日本晴れそのものだった。

「ワシが逝ってしもても、お前は一人ぽっちやない」。

父は燃え尽きた煙草を、灰皿で何度も揉み消した。

写真は参考

「家族みんなと味よう(あんじょう)やりや」。

生涯抜けることの無かった、故郷訛りで、父はぼくに念を押すよう呟いた。

それから程なく、父は施設で睡眠中のベッドから落ち、脳挫傷で帰らぬ人となった。

「ありがとう、お父さん」。

そう言う間も無く、そそくさと母の元へと旅立った。

良いことなど数えるに足りぬ、父の人生。

争うことを嫌い、人を恨むことを嫌って、ただただ不器用に、最後まで「(あんじ)よう(ょう)」を身上に通した父。

「ありがとう、お父さん。ぼくは(あんじ)よう(ょう)やってるよ」。

写真は参考

パナマ帽を被った父の遺影に、ぼくは手を合わせ、火を灯した煙草をそっと供えた。

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「野辺の一輪」

「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」開催決定!!! ~おつまみは各自1品持ち込み、みんなでシェアー~

●日 時:2023年 4月16日(日)

     14:00開場、14:30頃開演、16:00頃終了

●会 場:MUSIC & BAR 『C♭』

 岐阜市神田町7-7-3 神田セブンビル 2F 058-266-4477

●出 演:オカダミノル & ヤマもモ(友情出演)

●参加費:お一人様Live Charge \4,000-(「キリン・一番搾り」「キリン・氷結レモン」「キリン・ホワイトホースハイボール」「キリン・グリーンズフリー(ノンアルコールビルー)」の飲み放題)*感染症予防への取り組みで、缶商品でのご提供となります。

*ソフトドリンクをご希望の方は、「C♭」で1ドリンク500円でご注文いただくことも可能です。またソフトドリンクの持ち込みも可能です。

*おつまみは参加者各自1品持ち込みで、みんなで持ち寄ったおつまみをみんなでシェアーしていただきます。(おつまみは、自作自慢の1品でも、スーパーのお惣菜でも、市販のコンビニおつまみや、缶詰とかお菓子類でもOK)

*参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!

●定 員:30名(全席自由席)

●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive 2023」係まで。*万が一キャンセルの場合は、必ず2023年 3月31日(金)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額負担とさせていただきます。

●締 切: *先着順、定員となり次第締め切り

●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実行委員会

●協 賛:KIRIN BEER

*Live終了後はオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。二次会参加者人数が確定した段階で、詳細の参加費が算出されるため、参加者人数確定後に参加費のご連絡を申し上げます。

「花はぁ~いらんかえ」。

薄汚れた身形の爺さんが、縄暖簾を掻き分け、皺枯れた顔を覗かせた。

写真は参考

萎れかかった野辺の花を大切そうに抱え。

写真は参考

「花なら間に合ってらあ」。

一杯呑屋の板場から、大将ががなり声を上げた。

爺さんはすっかり項垂れ、小さく「へぇ」とだけ応え、寂しそうな後姿を残し店を出て行った。

写真は参考

「あらやだ。爺さん、花を置いてっちまったよ」。

女将はまだ揺れている縄暖簾を見詰めた。

「なんだよ、ちっ野菊一輪じゃねぇかよ」。

「あれっ?・・・確かどっかで…」。

女将はしきりに首を傾げた。

写真は参考

「へい、いらっしゃ…、何だい、また爺さんかい。もう花はいらねぇって…」。

「野辺の花一輪と一杯の酒が、一年に一度の楽しみじゃった。なんとかこれで一杯頼む」。

爺さんは懐から、皺くちゃの1円札を差し出した。

写真は参考

「はい、お待ち」。

女将が差し出す、並々と注がれたコップ酒を、爺さんは両手で包み込み、目を閉じたまま愛おしそうに口元へと運んだ。

写真は参考

ゆっくりと舐めるかのように、一口酒を啜っては「ヒュー」。

バタン!

奥の間から物音がして、女将は慌てて駆け込んでいった。

仏壇の写真盾が倒れ、落っこちているではないか!

「あんた!今日って確かお父さんの…」。

女将の声に大将は、小さな頃戦争で亡くした父の命日だったことを想い出した。

「しまった!」。

大将も慌てて仏壇に駆け寄った。

参考資料

供花は枯れ果て、写真盾も埃塗れ。

息を吹きかけると、軍服姿の遺影が浮かび上がった。

「ああっ!」。

二人は急いで店へと駆け戻った。

しかしもう何処にもお爺さんの姿は無い。

飯台の上には皺くちゃの一円札と、売れ残りの野辺の花一輪が。

「お、お父さん?」。

大将の上擦った声の先で、わずかに縄暖簾が揺れていた。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」⑦

「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」開催決定!!! ~おつまみは各自1品持ち込み、みんなでシェアー~

●日 時:2023年 4月16日(日)

     14:00開場、14:30頃開演、16:00頃終了

●会 場:MUSIC & BAR 『C♭』

 岐阜市神田町7-7-3 神田セブンビル 2F 058-266-4477

●出 演:オカダミノル & ヤマもモ(友情出演)

●参加費:お一人様Live Charge \4,000-(「キリン・一番搾り」「キリン・氷結レモン」「キリン・ホワイトホースハイボール」「キリン・グリーンズフリー(ノンアルコールビルー)」の飲み放題)*感染症予防への取り組みで、缶商品でのご提供となります。

*ソフトドリンクをご希望の方は、「C♭」で1ドリンク500円でご注文いただくことも可能です。またソフトドリンクの持ち込みも可能です。

*おつまみは参加者各自1品持ち込みで、みんなで持ち寄ったおつまみをみんなでシェアーしていただきます。(おつまみは、自作自慢の1品でも、スーパーのお惣菜でも、市販のコンビニおつまみや、缶詰とかお菓子類でもOK)

*参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!

●定 員:30名(全席自由席)

●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive 2023」係まで。*万が一キャンセルの場合は、必ず2023年 3月31日(金)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額負担とさせていただきます。

●締 切: *先着順、定員となり次第締め切り

●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実行委員会

●協 賛:KIRIN BEER

*Live終了後はオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。二次会参加者人数が確定した段階で、詳細の参加費が算出されるため、参加者人数確定後に参加費のご連絡を申し上げます。

『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

「繋がりが生まれる場所」

「今日はお爺さんの命日だで、このポットにコーヒー入れてまえん?持って帰って、仏前に饅頭と一緒にお供えさせてまうで。だってお爺さん、この店のコーヒー大好物やったでなあ」と、客の老婆。

写真は参考

「そうそう。一日に3~4回は来てくれとったでなあ」と、コンパル本店の山口店長。

その光景を見て思い至った。

尾張名古屋の喫茶店は企業にあらず。

ましてや何杯のコーヒーを売ったかの、多寡(たか)でもない。

その店に集い、そして憩い語らう者たちと、店主やママとの一期一会ならぬ、一期八重に重なる人肌の繋がりがあってこその物種だと。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」⑥

いよいよ明日9:00am発表!!!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」 ~詳細は明日2023.02.12のブログで発表いたします!!!

『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

もう一つ、名古屋発祥グルメの喫茶店版の代表格と言えば、ずばりイタリアンスパゲティ。

昭和の名古屋モンにとって、イタリアンスパゲティと言えば、喫茶店で食べるものだった。

ところが何処をどう見ても、本場イタリアの洒落たパスタとは一線を画す。

ステーキ用の鉄板皿に溶き卵を敷いた、ケチャップ味と相場は決まっていたものだ。

写真は参考

だから誰もが全国どこでも、それこそが紛れも無いイタリアンスパゲティだと、疑うことすらなかった。

「亡くなった主人が洋行好きで、イタリアの本場でスパゲティを食べて、『これをうちの店でだそうか』と」。

昭和32年開店の喫茶ユキ。

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創業者の妻である丹羽静江さん87歳は、まるで遠き日を手繰り寄せるかのように話し始めた。

「どうしても主人は、『熱々のまま食べてまいたいで、ステーキ用の鉄板に盛って出したろまい』って」。

昭和35年、ついに名古屋メシの元祖の一つ、鉄板盛りイタリアンスパゲティがこの店から産声を上げた。

それから半世紀、静江さんは今もフライパンを振り続ける。

静江さんの顔の皺は少なく、お歳の割に艶々のピッカピカ。

半世紀に渡って炒め続けた、スパゲティの跳ねた油のご利益か。

あまりに顔の色艶も良く、お元気ゆえついつい不躾にも、いつまで厨房に立ち続ける気かと問うた。

すると「そんなもん、命ある限りに決まっとるわさ」と、高らかに笑い飛ばした。

喫茶ユキには、昔からモーニングサービスなどない。

だが半世紀前から、鉄板も味も何一つ変わらぬ、昭和半ばの鉄板盛りイタリアンスパゲティがある。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」⑤

近日発表!!!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」 ~2023.02.12詳細はブログで発表いたします!!! 

『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

「名古屋の喫茶店は、老舗の心意気」

一方、尾張の中心地、名古屋。

一宮モーニングとは異なるスタイルながら、名古屋の喫茶店もまた、茶飲み好きの名古屋人に愛されて、独自の進化を遂げてきた。

「わし、今日はぬくたいで、レーコーでええわ」。

年配の男は薄手のジャンパーを脱ぎながら、通いなれた体でボックス席へと坐した。

冷珈(れいコー)」とは昭和半ばの尾張名古屋で、喫茶通を自負するオヤジたちが、誰とは無しにアイスコーヒーを(かぶ)いて呼んだ名のこと。

「はいっ、お待たせしました」。

ボーイはデミタスカップに、並々と注がれたホットコーヒーと、氷入りのグラスとミルクピッチャーを置いて立ち去る。

写真は参考

すると男は、まずホットコーヒーをスプーンに掬い、手慣れた調子で口元へ。

ゆっくりとコーヒーを一口味わったかと思いきや、今度はシュガーポットから、砂糖を3匙も注ぎ入れ、スプーンで掻き交ぜる。

そして徐にコーヒーカップを持ち上げると、そのまま氷の入ったグラスへと注ぎ入れた。

さらにストローでグルグルと掻き混ぜ、グラスの縁を這わせるようにミルクを流し込み、美味そうな音を立てストローを啜る。

そつのないその所作たるや、まるで名のある茶人の一服のお点前さながらだ。

「これがうちの店流の、アイスコーヒーの特徴です。たった一杯のコーヒーで、何度も違う味わい方が出来るという」。

名古屋市中区大須にある、昭和22年開業のコンパル本店。

写真は参考

山口篤店長は、やさしげな眼差しを男に送りながらつぶやいた。

コンパルは、名古屋を中心に9店舗を構え、独特の名古屋喫茶店文化を牽引してきた、地元のコーヒーチェーンだ。

コンパル流アイスコーヒーは、「冷房の無い店内で、少しでも涼んでもらいたい」との思いから考案された。

当時、出来合いのアイスコーヒーは、豆で淹れるホットコーヒーに比べ品質が悪く、甘味を付けて味を誤魔化すものが多かった。

創業者の若田積蔵氏は、本来の淹れ立てコーヒーの香りと味が楽しめ、尚且つ客の好みで甘さを加減出来る、そんな画期的なスタイルを生み出したのだ。

ホットコーヒーと同じ豆を用い、少ない湯量で濃度を高めて抽出。

それを瞬時に冷却することで、味と香りも損なうことなく、解け出す氷でホットと同じ濃度になるよう工夫を凝らしたとか。

コクがあり嫌味のない苦みのアイスコーヒー。

分厚いエビフライサンドイッチとともに、コンパルの看板メニューを飾る。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」④

近日発表!!!「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2023 in C♭」 ~2023.02.12詳細はブログで発表いたします!!! 

『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

「モーニングサービスの裏方~喫茶店卸し一筋に生きる、筋金入りのパン屋」

「Café & dining Karen」の厨房を覗くと、切り分ける前の大きな業務用のパンに、「本」の文字が浮き上がっている。

写真は参考

パンに屋号を刻み込むとは?

単なる遊び心か、それとも底知れぬほどのプライドの現われか?

どうにも気になり尋ねると、東海地区の喫茶店の多くにパンを卸し、それだけで業績を広げた「本間製パン」のものだと言う。

美和ちゃんはこの店を開く前から、本間パンを使いたかったと言う惚れ込みよう。

しからば小牧市にある、本間製パンへと向かわずにはおられまい。

写真は参考

「ある喫茶店の店主にお客さんが、うちの業務用パンを『売ってまえんか』と。すると店主が、『そんなに食べたいんなら、うちの店に来て食べてちょー』って言ったとか」。

そう自慢気に話し始めたのは、営業部長の森謙次さんだ。

初代の本田勝蔵氏は、帝国ホテルのベーカリーから名古屋観光ホテルのベーカリーへと転身し、名古屋市西区で開業した人物だ。

まだ豊かではない時代、より高品質なパンづくりを目指し、ひたむきな研究を重ねたという。

最初の頃は創業者自らが、自転車を漕いで配達しながら、地道に営業を重ねたそうだ。

やがて訪れたモーニングサービスの隆盛と相俟って、仲卸の人たちがパンの焼き上がりを工場前で待ち構えるほどに。

東京オリンピックの前年頃からは、寝る間も無いほどの忙しさだったそうだ。

本社敷地内にある工場には、ほっこりと焼きあがった、温もりのあるパンの香りが漂う。

ここでは今も55年前そのままの、初代のレシピが頑なに守られ、乳化剤などの添加物も一切使用せず、誠実で一本気なパン作りが続けられている。

写真は参考

「粉にもそれぞれ長所短所ってのがあって、仲良くなる粉を選び独自にブレンドしとるんですわ。酵母も我が社独自のブレンドですし」。

本社工場長の菱川和則さんが誇らしげに笑った。

写真は参考

焼き立てのパンを試食させてもらう。

何とも言えぬ柔肌のパンながら、程よい噛み応えが実に小気味良い。

それでいて口解けは抜群。

特に感心したのは、パンの耳の何とも言えぬ美味さである。

「耳まで美味いのが、我が社のパンの特徴ですから」。

焼き上がりから1時間。

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3斤分の業務用食パンは、側面中央に本間の「本」の字を誇らしげに浮かべ、ベルトコンベアーに揺られながら、ゆっくりと工場内を一周し喫茶店への出荷の時を待つ。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」③

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『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

名鉄犬山線の石仏駅近くには、2011年度の「モー1(ワン)(M1)グランプリ」獲得に続き、2012年には「東海北陸自動車道沿線ご当地グルメ大会優勝」の栄冠に輝いた「CAFE COCOLO」のスペシャルモーニングセットは、ズバリ「ハヤシリゾット」。

ハーフリングという中を刳り抜いた状態のパンの器に、地産の米「愛知のかおり」とハヤシソースを一緒に盛り付けたメインに、ツナクリーム味のポテトサラダとプチデザートのゼリー付き。

写真は参考

それに350円のドリンクまでついて500円ポッキリ。(2013.4時点)

どれも万人から愛されそうなやさしい味が特徴。

「僕自身、小っちゃな頃から両親や祖父母と一緒に、喫茶店のモーニングに通ってました。それが当たり前だとずっと思ってたほど。そんなこともあって、この店をオープンした時から、小さな子どもからお年寄りまでが集える、そんな場として存在出来たらいいなって」と店主の中村有吾さん。

店内を見渡してみると、個人の喫茶店ではまだまだ少ない、バリアフリーが随所に取り入れられている。

写真は参考

玄関から店内へと続く段差のないアプローチに、体の不自由な方でも使いやすい手洗い。

車椅子で訪れた常連が、気さくに正枝ママを呼び止めると、すぐさま楽しげな会話が弾み出した。

この店の人気の理由は、モーニングの値頃感やボリュームだけではない。

何人にも分け隔てなく心を砕く、店主夫婦の人柄あっての物種なのだ。

事務所代わりで始まった一宮モーニングは、人々の生活に根を下ろしながら、独自の進化を遂げた。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」②

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『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

「百花繚乱!個性派揃いの一宮モーニング」

独自の進化を遂げた一宮モーニングは、店により際立つ個性も様々とか。

しからば何はともあれ“実体験”する他はあるまい。

「モーニングマップ」を片手に、まずはモー1グランプリ銅賞の「Café & dining Karen」へと向かった。

写真は参考

東海道本線稲沢駅から車で約10分。

母と娘が切り盛りするこの店は、とにかく笑い声と話し声が絶えない。

ドリンクさえ注文すれば、トースト・サンドイッチ・おにぎりが主役となった、3種類のモーニングセットから、その日の好みで選ぶことが出来る。

写真は参考

中でも一番人気は、おにぎり(自家製梅干しと昆布)2個に、サラダと茶碗蒸し、味噌汁まで付いたCセット。

サラダの野菜が自家栽培だとか、和食のモーニングに驚きを隠せないでいると、「鈴木のお母さん。おにぎりだけタッパーに入れといたで、忘れてかんといてね」と、娘の美和ちゃんが馴染客の元へ。

「悪いなあ。こうも食べれぇへんで、おにぎりはお父さんへのお土産だわ」と客のお婆ちゃん。

「中には勿体ないでって、ビニール袋やラップまで持参するお客さんも見えるし。うちではお客さんを、誰彼無しに○○のお母さん、○○のお父さんって呼んどるんや。だからあっち向いてもこっち向いても、お母さんとお父さんばっかり」。

美和ちゃんがおにぎりに海苔を巻きながら笑った。

それにしてもタッパー持参の、お婆ちゃん3人組がどうにも気になり、「毎日ここでモーニングですか」と問うた。

すると「そんなもん雨でも降って、畑仕事がなけりゃここに集合だわさ。エッ?どんな話しとるのかって?もう50年のようになる付き合いやで、ダイエットからあの世の話まで、何でも御座れや」。

仲良し3人組のお婆ちゃんの笑い声が一際高まった。

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ひととき2013.4「遠近見聞録⑥」①

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『尾張名古屋の珈琲茶論(コーヒーサロン)』

「ガチャマン景気に沸いた尾張一宮と、モーニングサービスの誕生説」

いまでは全国的にも知られるようになった、コーヒー一杯に頼みもせぬのにパンや玉子にサラダまでが付いて供される、あのボリュームたっぷりのモーニングサービス。

その発祥こそが、愛知県一宮であると耳にした。

ならば尾張名古屋の喫茶事情をめぐる旅は、オラが発祥と譲らぬ一の宮から始めるのが筋であろう。

一宮市は元々繊維産業で栄えた町である。

写真は参考

俗に言う「ガチャマン景気(繊維産業の好況)」には、大正時代末の第1期と、戦後の高度経済発展の始まる、昭和29年から30年代でピークを迎えた第2期とあり、全国各地の繊維産地で盛衰を繰り返した。

戦後の安寧な時代が訪れると、折からの衣料不足も手伝い、機屋は一たびガチャンと機を織れば、1万円札が舞い込むほど。

そんな背景から「ガチャマン景気」の俗語が誕生した。

「ちょうどガチャマン景気もピークを迎えた、昭和30年代前半の事。機屋の事務所で商談をするにしても、機織り機の音がやかましく、話も出来ません。そこで機屋の主人たちが、喫茶店を応接代わりに利用することに。1日に4回も5回も通い詰めてくれるものだから、店主も朝のコーヒーに、ゆで卵やピーナツを付けて出すようになった。それが今のモーニングサービスの原点だと言われています」。

写真は参考

そう教えてくれたのは豊島半七・一宮モーニング協議会会長。

それから約半世紀。

今ではボリュームは言うに及ばず、和食や中華のモーニングまでさまざま。

写真は参考

ならば食文化として定着したモーニングを、観光資源の目玉に出来ないものかと、豊島会長らが中心となり、一宮商工会議所と一宮市、市内の高校などと連携して、3年前に一宮モーニング協議会を発足した。

協議会では、一宮モーニングプロジェクトと銘打ち、「モーニングマップ」の作成や、クーポン発行の他、PR活動を展開中だ。

中でも今年で7回目を数える「一宮モーニング博覧会」では、協議会加盟の104店舗から、自慢のモーニングセットの出品を募り、「モー1(ワン)(M1)グランプリ」を決定している。

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ゆいぽおと「 長良川鉄道ゆるり旅」2011.9.13 ㉒

大矢駅界隈「濃尾八景~天下に轟く釜ヶ滝」

「おおいっ、ちょっとあんたあ!やっと思いだいたて!」。

釜ヶ滝ます園を後にしようとして、大声で呼び止められた。

「そうじゃそうじゃ。こんな歌詞やったて!」。

老夫婦はやっとのことで思い出せたことを、満面に笑みを湛えて喜び合う。

まるで何十年も前の、子どものままの瞳で。

♪(鉄道唱歌の節で)次は下田の駅場にて 天下に轟く釜ヶ滝 岩堂(がんどう)高く水踊る 百雷ここに落ちるとぞ♪

「そうやそうや。肝心の『天下に轟く釜ヶ滝』を忘れとったんやわ」。

釜ヶ滝ます園の主、小酒井一夫さん(84)と、妻ともこさん(84)である。

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釜ヶ滝の昔話を伺っていると、一夫さんの父母も口ずさんだ、釜ヶ滝の唄があったという。

「作り唄やけどな」。

どんな歌詞かと尋ねると、夫婦で顔を見合わせ、遠い幼き日の記憶を手繰り出す。

しかし、何度と無く繰り返しては見るものの、『天下に轟く釜ヶ滝』の歌詞の一節だけがどうにも抜け落ち、一向に思い出せそうに無かった。

写真は参考

(あきら)めて暇を乞い、ます園を後にしようとしたまさにその時、老夫婦の脳裏に遠き日の記憶が蘇ったようである。

「何と言っても『濃尾八景』の一つに数えられとるんやで、忘れちゃあならんて。村のもんらにとっちゃあ、釜ヶ滝が誇りやったんやで。でもあかんなあ、歳食うと。肝心要の歌詞を、すっかり忘れてまっとんやで。でもこんな唄、声に出して歌ったの何十年ぶりやろ」。

一夫さんは昭和2年に、この集落で生れた。

「子どもの頃の釜ヶ滝は、今のように鉄製の階段なんてあれせん。行者さんらが架けた藤蔓の縄梯子だけやったんやで。戦前は5月になると行者さんらが来て、護摩を焚いて滝開きをしたもんや。滝壺には天然のアマゴや鰻が、ほりゃあようけおったって。こっから5~6キロ北へ行った粥川の方じゃ、鰻は神様の遣いだゆうて食わんらしいけど、ここらのもんは『ちょっと鰻でも獲ってこか』ってなもんや。ミミズ掘って猫柳の枝を竿にして、石の重石を乗せて50本ほど、一晩中滝壺に仕掛けとくんやて。翌朝見に行ってみい、びっくりやで。一晩で40匹掛かったこともあった。あんな頃は、長良川から釜ヶ谷の沢へと、20センチほどの鰻が、真っ黒になって遡上して来よったんやで。わしら子どもらは、手拭い広げて二人して四隅を持って掬うんやけど、あかんわ。ちっとも獲れやせんで」。

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一夫さんは傍らの妻を振り返り、懐かしそうに笑った。

「わしが知っとるだけで、釜ヶ滝は2回も土石流で埋もれてまったんやて。1回目は、昭和34年の伊勢湾台風。それからしばらくして、ゴルフブームが巻き起こって、この谷の上にゴルフ場開発が始まった時。滝壺が土砂で埋まってまってなあ。そんでもまたしばらくすると、知らんとる間にまた元の美しい姿に戻っとんやで。大自然の力は、つくづく大したもんやて。でもそんだけ、山の水は破壊力があって恐ろしいっちゅー証拠や」。

一夫さん夫婦のます園は、昭和36年から続く老舗だ。

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「まあ、わしが歳食って弱って来たもんでよう、建築関係に勤めに出とった息子が跡継いでくれよるんやて。そや、あんたも滝見に行く前に、マス釣りしてったらどうや?すぐに塩焼きにしたるで、ついでに飯も食ってったらええ」。

そうまで言われたら引くにも引けぬ。

「家の釣堀はなあ、3色あるんやて。まず子どもらでもええように、1本200円で切れん糸でマスを釣る方法。これやと釣った分だけ100グラム160円の目方で買わんなんけどな。2番目のマスの餌釣りは、3本1000円で糸が切れるまでの釣り放題。それと最後は、1本500円のアマゴとイワナの引っ掛け。8月になると、鮎の引っ掛けも出来るんやて」。(※料金はいずれも2011.9.13時点)

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釣った魚は隣接のバーベキュー小屋で、1匹100円で炭火で焼くもよし、また美濃名物の味噌味ケイチャンや流しそうめん(夏のみ)で舌鼓を打つもよし。(※料金は2011.9.13時点)

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「家のマスもアマゴも、そいでもってイワナも、あの西に聳える瓢ヶ岳の清水を使って孵化させたもんやし、鮎も稚鮎から育てとるで旨いんやて」。

自分の手で釣り上げたマスの塩焼きで腹を満たし、今度こそ暇乞いをして目指す釜ヶ滝へと向う。

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森が初夏の陽射しを遮り、なんとも清らかで澱みない、ひんやりとした空気を味わいながら、滝へと続くゆるやかな坂を上る。

知らぬ間に覚えたばかりの「♪次は下田の駅場にて 天下に轟く釜ヶ滝 岩堂(がんどう)高く水踊る 百雷ここに落ちるとぞ♪」を口ずさみながら。

約800メートル、新緑のトレッキングを愉しむうちに、目指す釜ヶ滝の入り口へと辿り着いた。

そもそも釜ヶ滝とは、下流から参之滝、弐之滝、壱之滝と順に、上流へと遡る3つの滝の総称である。

さらに参之滝へと続く小径の脇には、行者滝と呼ばれる水量の細い瀑布が一筋。

行者はまずこの滝に打たれて(みそぎ)、そして参之滝から沢筋を上ったのであろうか。

滝壺から涌き出でる沢の流れに沿って参之滝へと続く石段を上がる。

すると上り詰めたところに鳥居が現れた。

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まるでこの先に待ち受ける、尊い3つの釜ヶ滝を護る結界のようだ。

鳥居を潜ると、ついに参之滝が姿を現した。

苔生した岩肌と原生林が周りを包み、何千種類という様々な緑色を放ち続ける。

まるで神秘の滝を縁取るかのように。

あたりに人の気配は欠片も無い。

滝壺へと注ぎ込む水は、森の邪気を払い落とし、風が木々たちの葉擦れを誘えば、鳥たちも歌う。

何だか太古の楽園に迷い込んだようで、心が一つずつ解きほぐされてゆくような気分だ。

神聖な気分のまま、鳥居脇の石段を弐之滝へ。

途中の右手には、岩肌を刳り貫いたような6体ほどの石仏が。

どれも長い年月の風雪に耐え抜いた証か、お顔もお姿も全体的に丸みを帯びていた。

弐之滝を吊橋の上から見下ろす。

まさに釜ヶ滝の由来とも言うべき、釜のような岩堂の滝壺が現れた。

吊橋から覗き込めば、何だか地球の胎内へと続く入り口のようでもある。

そして急勾配の鉄製階段を、手摺りを頼りによじ登る。

そうか、昔はこれが藤蔓の縄梯子だった壱之滝へと続く難所か。

急な岩肌に設えられた、足場が異常に狭い急勾配の階段を、息を切らして上がり切る。

するとついに壱之滝が眼前に広がった。

苔生した巨岩の間から涌き出でる壱之滝。

その落差はわずか3メートルにも及ばない。

だが小さな滝壺へと流れ落ちた清流が、大きな石の間を擦り抜け、絶え間なく沢筋を下ってゆく。

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釜ヶ滝は、気も遠のくような遥か太古の昔から沢を潤し、そしてやがて一筋の谷川となり、天下の名川長良川へと、この森の恵みを永久に運び続ける。

釜ヶ滝ます園/郡上市美並町上田

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