飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
昨日は名古屋も雪が積もり、公園では親子連れが何組か、雪合戦をしてキャッキャキャッキャと声を上げていました。
寒空の中、その姿を眺めながら、娘がまだ幼かった頃、あんな風に雪合戦をしたものだなぁと感傷に耽ったものです。
上のモノクロ写真は、ぼくがまだ幼かった頃に見た光景とあまりにも似ていて、妙に懐かしさを感じてなりません。
その記憶とは、おそらくぼくがまだ3つ4つの頃のものだと思います。
お父ちゃんに連れられて、今日のような真冬の日に、三重の田舎に出掛けたのです。
お母ちゃんが一緒じゃなかったから、何かしらの用があったのでしょう。
名古屋から松坂まで近鉄電車に乗り、松阪駅から大石まで今では廃線となった三重電気鉄道松阪線に乗り換え、大石からは三重交通のバスで、粥見へと向かったものです。
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その際の、大石駅の小さな売店の中から、松阪行の電車か粥見行きのバスを待つ間なのか、曇りガラスの窓から温められた牛乳瓶を、お父ちゃんと仲間で飲みながら雪の降る小さな駅前ロータリーを眺めていた風景にとても似ているのです。
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ドラム缶の焚火で暖を取る学生服の少年、子を背負い褞袍を羽織る親子、革靴にコートの紳士。
そのいずれもが、不思議にも懐かしくもあり、ぼくの昭和半ばを象徴する原風景の一片のようでもあります。
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そう言えばわが家にも、家族全員分のこんな褞袍があり、冬になると登場したものです。
確か高校に入る頃まで、ぼくはお世話になったものでした。
薄い綿布団を着ているようで、とても温かでしたねぇ。
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今度どこかで、こんな辛子色の褞袍を見つけたら、部屋着に買ってみようかなぁ!
そしたら昭和半ばの温もりをもう一度、肌で実感できるかも知れませんよねぇ。
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