飛騨市の「広報ひだ」12月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
写真は参考
昨日の続きではございませんが、こちらのTV番組はご記憶にございますか?
この番組を家のお母ちゃんが大好きで、チャンネル権の無いぼくやお父ちゃんは、有無を言わさずこの「ルーシー・ショー」を齧り付きで見て大笑いするお母ちゃんに、お付き合いせざるを得ず、この「ルーシー」と言う名は記憶の片隅に深く深く刻まれております。
1963年から1966年まで4シリーズが放送されたようです。
写真は参考
しかし昨日の「ちびっこギャング」同様、あらすじどころか、主人公のルーシーがどんな顔でどんな役を演じていたのかさえ、微塵も覚えておりません。
写真は参考
覚えているのは、「ルーシー・ショー」が放送される日は、お母ちゃんが朝から機嫌の良かった事と、その日の晩御飯はいつもよりちょっぴり気合が入っていたように記憶しています。
写真は参考
と言ったって大したこたぁございません。
ぼくの大好物だった、衣だけの天麩羅とか、卵だけの茶碗蒸しとか・・・。
写真は参考
お母ちゃんはこの番組を見ながら、いつものように腹を抱えて笑っておりました。
写真は参考
ちょっとどんな内容だったのか調べてみると、銀行の副頭取であるムーニーの秘書として、銀行でバツイチのルーシーが働き子育てをしていたとか。
ルーシーは、いつものように、事ある度にとんでもない行動をしてしまう、そんなトラブルメーカーでムーニーを度々困らせるといったドタバタ喜劇とありました。
いやはや、ルーシーの何がそんなにお母ちゃんを惹き付けたのやら?
近い内にあの世とやらで、お母ちゃんに再会できたら、真意を尋ねて見たいものです!
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。