「昭和Nostalgia」(328)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!


今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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「3万円5万円10万円、 運命の分かれ道〜ゲーム始め!」

漫才コンビ夢路いとし・喜味こいしの絶妙な司会で、3組のペアが時間内にゲームで得た限度額までの買い物をする「グリコがっちり買いまショウ」。

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しかし、合計金額が限度額を1円でも超えてしまったら失格という、スリル満点のTV番組で、わが家ではお父ちゃんとお母ちゃんが白黒TVに釘付けだったものです。

1963年12月から放送が始まったと言う事ですから、ぼくが小学校に入学する前の事。

スタジオには、人気の電化製品から日用雑貨や食品なんかもあったんだったかなぁ?

それこそ10万円コースなんて言ったら、大変な金額だったに違いありませんから、見事に賞品を手にした方を、両親は羨ましく眺めていたんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(327)

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この曲も、思わず意味も分からず口ずさんじゃったものでした。

1964年とありますから、ぼくは小学校に入学したピッカピカの1年生でした。

当時のわが家のTVは白黒でしたから、頭の中で画像に色付けをして見入っていたのだったかも知れません。

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そしてこれまたあの小林亜星さんの作品だってんだから、あの方は返す返す天才でいらっしゃったんですねぇ。

それにしても、小林亜星さんも、歌っておられた弘田三枝子さんも、ワンサカ娘で一世を風靡したレナウンまでもが消え果て、昭和は灯の様になっていくばかりですねぇ。

でもぼくはきっと、この命が燃え尽きるその寸前まで、昭和の記憶の中に身を置いていようと思っております。


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「昭和Nostalgia」(326)

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ぼくの中で燦然と輝く昭和後半の名曲の一つは、このサイラズ・モズレー『サントリー・オールド「人間みな兄弟」』という曲です。

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♪ドンドンディドン シュビダデン オデェーエーエエーオー♪

サントリーオールド、「だるま」とか呼ばれたウイスキーのCMでした。

今回調べてみるまで、正式な歌詞が♪ドンドンディドン シュビダデン オデェーエーエエーオー♪とは露知らず、ぼくは勝手に♪ドンドンディダンシュビダデー♪とかって、口ずさんでいたものです。

そして改めて知った事は、なんとこのお洒落な曲は、あの寺内貫太郎ならぬ、小林亜星さんの曲だってんだからビックリ!

実に多彩な方でいらっしゃったんですねぇ。

まぁ、このサントリーオールドのCMを聴いていた頃なんて、お金もありませんからオールドなんて高嶺の花。

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せいぜいがサントリーレッドかトリスのポケット瓶、

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それにちょっと背伸びをしてサントリーホワイトってぇのが、贅沢品の一つでしたねぇ。

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ホワイトだって、よっぽどいいことがあった日じゃなきゃ、おいそれとは飲めなかったものでした。


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「昭和Nostalgia」(325)

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国鉄時代のロマンチックなフルムーンのCM、忘れられませんねぇ。

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昭和56(1981)年に発売とあります。

ぼくが24歳の頃なんでしたねぇ。

まだシンガーソングライターへの夢をあきらめきれず、右往左往してばかりで、両親に心配ばかりを掛けていた、そんな頃でもあったように思い出されます。

ぼくも頑張って稼いで、苦労ばかり掛けたお父ちゃんとお母ちゃんに、こんなフルムーン切符をプレゼントしてあげられりゃあ良かったんですけどねぇ。

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残るは後悔ばかり!

でも仮にフルムーンの切符をプレゼントしたとしても、きっとお父ちゃんやお母ちゃんは、グリーン車なんて分不相応だと、緑の窓口で払い戻して、自由席で旅していたかもしれませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(324)

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これも昭和の終盤に大ヒットしましたねぇ。

この「写ルンです」は、昭和61(1986)年の7月1日に1.380円と言う価格で発売されたそうです。

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なかなか便利なものでしたよねぇ。

ぼくも何度もお世話になったものでした。

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確かに、「しまったぁ!カメラ忘れたぁ!」って時には、助かったものでしたねぇ。

しかし令和の今となっては、カメラ忘れても、スマホ忘れなきゃ、ちゃんと写真が撮れちゃうんですものねぇ。


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昭和オヤジの典型ともいうべき、小林亜星さんがTV画面一杯で、頑固親父を演じた「寺内貫太郎一家」。

昭和晩年の金字塔のようなTVドラマで、ぼくは大好きでした。

放送開始は、1974年とありますから、ぼくが高校2年の17歳の年となります。

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多感だった青春時代、屋根の上でギターを爪弾くヒデキと初々しいミヨちゃんの歌声に、心震わせたものでした。

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何と言っても一番は、小林亜星さんの卓袱台返しと、樹木希林さんが沢田研二さんのポスターに向って「ジュリー~ッ」と身もだえる姿は圧巻だったものです。

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あんなにも痛快なドラマは、今でも心に焼き付いています。

と言っても、やっぱりとんとストーリー展開が思い出せませんけどねぇ。


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これも昭和の終盤を飾った名CMでしたですねぇ。

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こんな寒い日には、老若男女が口を揃え「ちゃっぷい ちゃっぷい どんと ぽちい」と、真似ていた光景も昨日のことのようでもあります。

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かくいうぼくも、よく真似して震えていたものです。

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CMにはいくつかのシリーズがあったようですが、この関取のシリーズは圧巻でした!

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今日もどんとがぽちい寒さですねぇ!


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昭和も晩年の頃になると、こんなCMが一世風靡したものでしたねぇ。

コレで会社を首になっちゃうなんて!

なんとも自虐的なCMでしたが、そこがまたツボに入っちゃったとでも言いましょうか?

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周りの大人たちの中にも、パイポを咥えている方がおられましたねぇ。

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ぼくは一度も口にしたことがありませんでしたが!

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中にゃあこんな、シガーチョコを咥えて、パイポの代用にしていた甘党の紳士もおられたものでした。


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今でもテーマソングをついつい口ずさんでしまうのが、この「ひょっこりひょうたん島」ですねぇ。

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ストーリーは何一つ覚えちゃアいませんが、ドンガバチョとかの名前は覚えていますが、はてさてどの人形がドンガバチョだったのやら?

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一番後ろの灯台の横の、小さなシルクハットを被った髭の人形でしたかねぇ?

番組の放送は、1964年~1969年とありますから、ぼくがまだ7歳の頃に始まったことになります。

物語はさっぱり覚えていなくっても、テーマソングだけはちゃんと口ずさめるんですから、音楽の底力を感じちゃいます!


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「昭和Nostalgia」(319)

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昨日の続きではございませんが、こちらのTV番組はご記憶にございますか?

この番組を家のお母ちゃんが大好きで、チャンネル権の無いぼくやお父ちゃんは、有無を言わさずこの「ルーシー・ショー」を齧り付きで見て大笑いするお母ちゃんに、お付き合いせざるを得ず、この「ルーシー」と言う名は記憶の片隅に深く深く刻まれております。

1963年から1966年まで4シリーズが放送されたようです。

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しかし昨日の「ちびっこギャング」同様、あらすじどころか、主人公のルーシーがどんな顔でどんな役を演じていたのかさえ、微塵も覚えておりません。

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覚えているのは、「ルーシー・ショー」が放送される日は、お母ちゃんが朝から機嫌の良かった事と、その日の晩御飯はいつもよりちょっぴり気合が入っていたように記憶しています。

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と言ったって大したこたぁございません。

ぼくの大好物だった、衣だけの天麩羅とか、卵だけの茶碗蒸しとか・・・。

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お母ちゃんはこの番組を見ながら、いつものように腹を抱えて笑っておりました。

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ちょっとどんな内容だったのか調べてみると、銀行の副頭取であるムーニーの秘書として、銀行でバツイチのルーシーが働き子育てをしていたとか。

ルーシーは、いつものように、事ある度にとんでもない行動をしてしまう、そんなトラブルメーカーでムーニーを度々困らせるといったドタバタ喜劇とありました。

いやはや、ルーシーの何がそんなにお母ちゃんを惹き付けたのやら?

近い内にあの世とやらで、お母ちゃんに再会できたら、真意を尋ねて見たいものです!


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