「昭和Nostalgia」(338)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー

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昭和半ばの頃は、いたるところでこんな木製やプラスチック製の縄暖簾を見かけたものです。

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喫茶店や食堂や中華飯店は元より、一般家庭でも部屋と部屋の間仕切りのような感じで、吊り下げられていたものでした。

とは言え、縄暖簾で向こうの部屋が見えないわけでもないんですが、どんな役割だったんでしょうかねぇ。

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縄暖簾をジャラジャラと音を立てて掻き分けたのは、「そっちの部屋に入りますよ~っ」とでも言う、チャイムのような役割だったんでしょうかねぇ。

わが家にもこんなプラスチック製の縄暖簾が吊り下がっていたものでした。

きっとご近所のお家の縄暖簾に、お母ちゃんも刺激されちゃったんでしょうかねぇ。

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ぼくなんぞは、赤提灯の灯された居酒屋の、縄暖簾を潜る瞬間が好きだったものです。

これもまた、すっかり見かけなくなっちゃった、昭和半ばの風景の一つですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(337)

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ぼくが子どもの頃は、月に一度くらいだったでしょうか?

こんな感じで七輪で豆炭を熾し、金網を乗せて味噌味のとんちゃんをお父ちゃんが焼いてくれたものでした。

この日ばかりは、お父ちゃんが鍋奉行ならぬ、とんちゃん焼き奉行。

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おそらく月に一度の給料日恒例、わが家におけるお父ちゃんのお疲れ様会だったんでしょうねぇ。

お父ちゃんはキリンラガーの大瓶からグラスにビールを注ぎ、ご機嫌な様子でとんちゃん奉行を務めてくれたものでした。

ぼくはまだ子どもでしたから、キリンレモンをビール代わりに、グビグビやりながら、濃い味付けのとんちゃんを、チューインガムのように味噌味がすっかり無くなるまで噛み続けたものでした。

そう考えると、わが家は親子二代に渡って、筋金入りのキリンビールフアンに違いないってことです!

その肝心要のとんちゃんは、お母ちゃんがバスに揺られ、隣の区にあるとんちやん販売店まで買い求めに行っていたものです。

ぼくも何度か一緒に行ったことがありました。

つい先日、その店のあった旧街道を車で通る機会があり、お母ちゃんに連れられて行ったとんちゃん屋さんらしき店が、今でもそこで店開きされているのを見て、ひどく感激したものでした。

今度その店を訪ねることが出来たら、お父ちゃんとお母ちゃんと共に突っついた、あの味噌とんちやんを焼きながら、キリン晴れ風でも煽って見ようと思っています。

って、その前に七輪と豆炭を購入しなきゃなんないかぁ!

なんてぇこったぁ!


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「昭和Nostalgia」(336)

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昨日、近くの中学校は卒業式を迎えていたようです。

校門に国旗が掲揚され、大きな字で「卒業式」と墨書されていて、ぼく自身の中学の卒業式を思い返しておりました。

卒業式の後、高校進学で離れ離れになる事もあり、仲良し四人組の男坊主で、長野県白馬村のスキー場へ生意気にも卒業旅行へと出掛けたりしたものです。

もちろん親のすねかじりでしかありませんでしたが。

白馬村の民宿に、確か3泊4日滞在した記憶があります。

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6畳1間の部屋の中央には、こんな掘り炬燵が切られていて、一番底の格子の下に豆炭が熾っていて、電気炬燵とは似て非なるホッコリとした温もりが、冷えた体にとっても優しかったものです。

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炬燵のテーブルには、薬缶一杯の番茶が出され、お茶菓子として「野沢菜」が皿一杯にテンコ盛りで出されていたものです。

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夜寝る時には、部屋の中心にある掘り炬燵の四辺に、布団を「十」の字になるように敷き入れ、足を掘り炬燵に突っ込む形で眠りに就いたものです。

しかし足癖の悪い友が、寝ぼけたまま掘り炬燵の中で靴下を脱ぎ捨ててしまい、靴下の先っちょが炬燵の格子の下へと落っこち、豆炭の炭火で焦げてしまい、その燻される様な臭いでみんな飛び起きたこともありました。

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中にはこんな天板の下に豆炭を格納する炬燵もあったようですねぇ。

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当時わが家の炬燵と言えば、こんな電気炬燵でした。

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テーブルの天板をひっくり返すと、こんな麻雀用のテーブルに早変わり!

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とは言え、家はお父ちゃんもお母ちゃんも麻雀はしませんでしたので、もっぱらトランプや人生ゲームで遊んだものでした。

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そう言えば、最後に炬燵で温まったのって、何十年も前の事だったような?

いつの日か旅先の雪国ででも、ほっこりと炬燵に入って、雪見格子から降りしきる雪を眺めつつ、漬物を当てに真宗寺燗をキュ~ッと煽って見ますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(335)

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昭和半ばには、朝を告げる音があったものです。

牛乳配達や新聞配達のオジちゃんやオバちゃんが、自転車のブレーキ音を「キィ~ッ」と軋ませ、牛乳箱に牛乳瓶が投入される「ガチャガチャコトン」と言う音。

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新聞受けに朝刊が投入される「ゴトン」と言う音。

子どもの頃のわが家の新聞受けは、木製だったような?

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わが家もこんな郵便受けでしたねぇ。

子供の頃の元日は、朝早くから何度も何度も、年賀状が届いていないかと、郵便受けを確認しに行ったりしたものでした。

って、ぼく宛ての年賀状なんて、たかが知れた数でしたが!

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街角でこんなポストももう見かけなくなっちゃいましたねぇ。

まぁ、去年一年を振り返って見ても、ぼく自身一度もハガキや封書を送った記憶すらありませんから、街角でこんなノスタルジックなポストを見かけたとしても、昭和チックなオブジェにしか見えないかもしれませんねぇ。

なんてったってやっぱり今じゃあ、瞬時に済ますことが出来る、E-mailやLineにすっかり頼っちゃってますからねぇ。


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「昭和Nostalgia」(334)

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まだまだ寒い日が続いておりますが、そこかしこに春の予感が感じられるようにもなって来た気がします。

日に日に桜の枝もうっすらとピンクがかって来たように見えますし、生きとし生けるもの全てが、間もなく訪れる春の準備を始めているようです。

春が近づくと思い出されることがあります。

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それはぼくがまだ小学1年の頃だったかに、お父ちゃんとお母ちゃんとぼくの三人で、近くの川の堤防でヨモギを摘み、お父ちゃんが「昔取った杵柄やぁ」と言いながら作ってくれた、春の香り満載の「ヨモギ餅」。

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三重県松阪市の西の外れで生まれ育ったお父ちゃんは、尋常高等小学校を出ると、菓子職人を目指し京都の御菓子司へ住み込みで修業に入ったそうです。

そこで見よう見真似で覚えたのが、ヨモギ餅だったのかも知れません。

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しかし菓子職人としての修業も、赤紙一枚で召し上げられ、お父ちゃんは菓子職人の夢も捥ぎ取られ、中国戦線の最前線へと送られてしまったようです。

戦後復員してからは、菓子職人とはかけ離れた鉄工所で、溶接工として働きぼくを育ててくれました。

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もしその時代も平和で、お父ちゃんが菓子職人となっていたら、もっとたくさんの菓子を作ってくれたんじゃないのかなぁと、幼心にもそう思ったものでした。

生涯お父ちゃんが、ぼくとお母ちゃんに作ってくれたお菓子は、そのヨモギ餅ただ一つきり。

お父ちゃんが「昔取った杵柄やぁ」と嘯きながら作ってくれた、唯一無二のヨモギ餅の味、いまでも仄かに覚えています。

でも待てよ!

もしお父ちゃんに赤紙が舞い込まず、京都で菓子職人となっていたら、ぼくはこの世に産まれい出ることもなかったのかぁ!


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「昭和Nostalgia」(333)

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パンツ丸見えでも平気の平左で、道端でホッピングに高ずるお転婆娘たちが、それはそれは沢山いたものでした。

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もちろんやんちゃ坊主共だって、負けちゃあいません!

ぼくはホッピングを買ってもらえたのか、買ってもらえなかったのか、もう記憶がこそげ落ちてしまっておりますが、何度か遊んだ記憶と、その時の感覚はしっかりと残っております。

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でもわが家の物置で、ホッピングを見かけた記憶がこれまたありませんから、もしかしたら友のホッピングを借りて遊んでいたのかも知れません。

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いずれにせよ、天下の大道をわが物顔で占有し、子どもたちは臆することも無く遊び呆けていられた、何事にも大らかで緩やかな時代、それが昭和の半ばでもあった気がいたします。

それにしても、もうホッピングに高じている子なんて、とんとお見掛けできませんよねぇ。

それもちょっぴり寂しい気になるものです。


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全国各地に点在した回転レストラン。

ぼくは昭和の終盤に名古屋と東京で、人生たったの二度だけ、こんな回転レストランを利用したことがありました。

とは言え、今となっては、どこのどなたとご一緒したのか?

いったい何を食べたのやら?

果たして美味しかったのかどうなのか?

特段感動した覚えもありません。

ただただ刻々と窓外の景色が移り変わるだけ。

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ちょうど1周回り終える頃に、デザートとコーヒーとかが出て来たんでしょうかねぇ?

こんな回転レストランが、日本全国各地に50か所以上あったってんですから、それはそれで戦後昭和のブームでもあったんでしょうねぇ。

当時としては、ちょっぴり気取った、ハイカラな回転レストランだったんでしょうねぇ。


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こんなドライブインも、令和の時代ともなりますと、すっかり見かけなくなっちゃいましたよねぇ。

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ぼくが車の免許を取得し、ドライブに出掛けると、あちらこちらでこんなドライブインを見かけ、ついつい特段の理由が無くとも、立ち寄ったりしちゃったものです。

ぼくは自販機のハンバーガーやうどんなんかを見かけると、さして小腹がすいているわけではなくっても、ついつい無性に食べたくなって、自販機に小銭を投入したものでした。

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夜になると街道筋に、こんな煌びやかなネオンサインが煌々とする、大人チックなドライブインもあり、まるで夜の電灯の灯りに吸い寄せられる蛾のように、車も吸い寄せられたものでした。

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今でもわずかに残る、昭和のドライブインを綴った書籍もあるようですねぇ。

こんどどこかの町でドライブインを見かけたら、懐かしい気分を味わいに、立ち寄ってみたいものです。


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最後にいちご狩りに行ったのは、娘が15歳の頃でしたから、もう15~16年前のことになりましょうか?

娘は次から次にと、イチゴをパクパク。

よくもまぁそんなにも食べられるもんだと感心したくらいです。

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使い捨て容器に入った練乳をみんな使ってしまい、係りの方が気の毒がって練乳を追加してくださったものでした。

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そう言えば、イチゴを潰すのに最適な、こんな専用スプーンなんてぇのもございましたねぇ。

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子供の頃は、お母ちゃんがイチゴを潰してくれて、ミルクをたっぷり注いでくれたものでした。

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こんどイチゴを買って来て、シャンパンでも抜いて、プリティー・ウーマンのリチャード・ギアさながらに、ちょっぴり気取ってみますかぁ!

あっ、でも待てよ!

コロナ以降すっかり定着しちゃった、家呑みスタイルのパジャマ着じゃあ、リチャード・ギアには程遠すぎちゃいますねぇ!

ちくしょう!


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「昭和Nostalgia」(329)

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こんなスプーン曲げのブームもありましたねぇ。

ぼかぁ不思議でならなかったものです。

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ユリ・ゲラーが日本のTVに登場したのは、昭和49(1974)年頃からで、当時の人気番組、あの11pmとかに出演したことにより、瞬く間にスプーン曲げがブームになったとか。

ぼくの周りでもスプーンやフォークを曲げようとする輩もおりましたが、ぼくはやってはみてもサッパリ!

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ただでさえ無能人間に超能力が宿るなど、まぁありえっこないってぇことですねぇ。

あなたもスプーン曲げをやった口ですか?


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