「昭和Nostalgia」(408)

https://youtu.be/3CeTEMdXC7I

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これを一目見て、「変なキーボードだなぁ」なぁ~んて思われた方は、まずもって昭和生まれの方じゃあないでしょうねぇ。

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先の大阪万博が開催された、昭和45(1970)年に発売された、泣く子も黙る「名糖アルファベットチョコレート」ですねぇ。

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発売は、ぼくが中学1年になった年でしたから、よくお母ちゃんに「英単語の勉強するから!」とかなんとか、もっともらしいご託を並べ、徳用袋入りのモノを買ってもらったものでした。

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ところが、1つの袋の中にA~Zまでが全部入っているとは限らず、もう一袋、もう一袋と買わないと、なかなか目指す単語を完成できなかった記憶があります。

皆様もアルファベットチョコを並べて、ご自身の名前とか揃えちゃったりしませんでしたか?

今なお販売され続けている、当時としても画期的な商品だったんでしょうねぇ。

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おませな中坊の中にゃあ、バレンタインデーに女子から、アルファベットチョコで綴った「LOVE」の文字を、自慢げに見せびらかす輩もおりましたっけ?


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「昭和Nostalgia」(407)

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こんな瓶入りのヨーグルトに、子供の頃は憧れたものでした。

だってわが家では、瓶入り牛乳を牛乳屋さんに毎朝配達してもらってはいたものの、瓶入りヨーグルトまでは取ってもらえなかったものです。

でもわが家の裏にあった小学校の同級生の家が、雪印牛乳の配達をやっていたこともあり、夏休みに同級生と一緒にオジサンの配達の手伝いをさせていただいたことがありました。

もちろん小学生ですから、アルバイト代はいただけません。

その代わり、配達が済むと、残った牛乳やヨーグルトが食べ飲み放題!

ぼくはコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を飲み、憧れの瓶入りヨーグルトを2~3種類味あわせていただいたものでした。

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あの甘酸っぱいプリンのような独特な味わいが忘れられず、それからは一文菓子屋で瓶入りヨーグルトとは似て非なる、駄菓子のヨーグルを買い求めたものです。

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とは言えあのヨーグルも、それはそれで子ども心をくすぐる銘品であったに違いありません!


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「昭和Nostalgia」(406)

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昨日、チューブ入りのチョコレートの歴史を、森永さんのHPで調べていたら、こんな弁当を発見!!!

なんとその名も「森永ベントウ(おかず入り)」!

昭和15(1940)年に、乾パンをベースに、乾燥野菜と魚粉ペレットをセットして発売されたものだとか?

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果たしてどんなお味だったのやら?

当時は、物資不足の戦時中でもあり、食糧確保のため主食の米を節約しようと言う「節米運動」なるものが盛んに奨励されていたそうです。

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戦後80年の今、庶民はコメの高騰に頭を痛めるばかり。

戦地に赴いていたわが家のお父ちゃん。

慰問袋の中に、こんな「森永ベントウ(おかず入り)」なんて入っていたんでしょうか?

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あの世とやらでお父ちゃんに逢えたら、これまた聞いてみたいものの一つでもあります。


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「昭和Nostalgia」(405)

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これが果たして何なのか?瞬時にわかって、口中に唾液が沸き上がって来た方は、立派に昭和半ばを生き抜かれた方に違いありません!

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そうです!チューブ入りの練り歯磨き粉でも、絵具でもありません!

立派なチューブ入りのソフトチョコレートです!

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それこそ滅多やたらに買ってはもらえなかったものの、2~3度ぼくにもお母ちゃんが買ってくれたものでした。

最初の内は威勢よく、ソフトチョコが口の中へ押し出されてくるものの、最後の方になるとチューブがクシャクシャに押しつぶされ、どんなに力を入れてチューブを押さえても、チョコレートは一向に出て来なくなったものです。

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ぼくらは工作ハサミでチューブを切り裂き、チューブに辛うじて残っていたチョコも、奇麗に舐めて平らげたものでした。

今この歳になってソフトチョコの歴史を調べてみると、何と何と最初にこの世にソフトチョコなるものが登場したのは、日華事変のもっと前、昭和7年の発売だったとか!

その後は、たびたび生産中止になりながらも復活すると言う、大変生命力のある商品であったと、森永さんのHPにありました。

戦時中はもちろん販売中止。

しかし敗戦間もない昭和22年、菓子や食品の原料は厳しい統制下にあったものの、統制外原料を使って再びソフトチョコレートが出回るようになったとか。

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いつか機会があって駄菓子屋を訪ねることがあれば、もう一度あの時の味を口にしてみたいものです!

イッチョー大人買いでもしてみるかぁ!


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「昭和Nostalgia」(404)

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こんなサンスターの子どもシャンプーに憧れたものでした。

小学校の3年生になるくらいまでは、家風呂がなく両親と銭湯へと通ったものでした。

時にはお母ちゃんと女湯、ある時はお父ちゃんと男湯へ。

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そこで同じ年頃の子どもたちが持っていたのが、こんなポリ容器に入った子どもシャンプー!

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ぼくも大好きだった「オバケQ」の子どもシャンプーを、お父ちゃんやお母ちゃんにしつこくねだったことでしょう!

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でもそんなささやかな願いはそうそう簡単には聞き入れられず、固形石鹸で髪の毛までゴシゴシ!

希釈用のリンスなんて、まだまだそうそうお目に掛れなかった時代でしたねぇ。

なんでも冒頭の「おもちゃシャンプー マグマ大使」ってぇのは、昭和41(1966)年の発売とか。

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初めて銭湯で見かけて憧れた、あのキャラクターが付いたポリ容器に入った子どもシャンプー。

果たしてそれから何年の時を経て、やっとのこと「オバケQ」やらの子どもシャンプーを買ってもらえたことやら?

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そしてそれが、小学何年生の時だったのか、どんなキャラのシャンプーを買ってもらえたのやら、記憶を手繰って見たところで、もうトント思い出せそうにありません。

やれやれ・・・。


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「昭和Nostalgia」(403)

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こんな5月半ばと言うのに夏日が続くと、ついつい子どもの頃の事を思い出してしまいます。

学校から帰ると、一目散に冷蔵庫へと向かい、一つしかない冷蔵庫の扉を開け、一番上の段に取り付けられている、小さな製氷機の中にある製氷皿を取り出したものです。

お母ちゃんが暑いからと、濃縮カルピスを薄めた氷を作ってくれてはないだろうかと、まるで祈るような気持ちで!

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小学生の頃は、まだまだお手軽なシャービックの素なんてぇものが、まだまだこの世に存在しておらず、粉末ジュースの素を水で溶いた氷や、濃縮カルピスを薄めた氷ばかりで、それでも十分にぼくにとっちゃあ贅沢な代物でもありました。

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運よくカルビスやジュースの氷が出来上がっていようものなら、冷蔵庫の前で小躍りしたものです。

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そして製氷皿の取っ手を引き上げ、カルピスやジュースの氷を丼鉢に空け、ランドセルも担いだまま、台所で一心不乱に仄かに甘い氷に噛り付いたものでした。

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まぁ、美味しいと言うよりも、冷たくってほんのり甘かったのが、子どもの頃のぼくには、何よりのご馳走だったような気がいたします。

まぁ今となっちゃあ、ほんのり甘い氷よりも、氷のように冷えた、キリン晴れ風の方が何よりのご馳走ですけどねぇ!


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「昭和Nostalgia」(402)

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こんな当たりマークが刻印されたバーを引き当てるのに、血眼だった子ども時代。

ぼくはせいぜい、一塁打がやっとだった気がします。

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ましてやホームランなど、終ぞお目に掛ったこともありません。

皆様はいかがでしたか?

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もうホームランバーも、発売から還暦を迎えたようですねぇ。

まさかミスタージャイアンツが、広告の顔だったとは、今の今まで存じませんでしたですねぇ。

そう言えば子どもの頃ぼくは、一日10円のお小遣いの使い道を、一文菓子屋の店先で、さんざんに悩んだものでした。

一つは、1本10円のホームランバーに運命を託し、その日のお小遣いを全額継ぎ込むか?

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或いは幼友達だった「マー君」と、5円ずつ出し合ってWソーダのアイスキャンディーを二人で半分こし、残った5円でくじ引きに挑もうかと!

それはそうと、中学生になった頃だったか、メロンアイスが登場し、これまた憧れちゃったものでした。

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でも普通のアイスより一文も二文もお高くて、なかなか口に出来ないため、ますます恋しさは募るばかりだったものです。

それはそうと、このブログの2020年12月19日付け「天職一芸~あの日のPoem 290」で紹介させていただいた、桑名名物の歯が折れるほど硬いと評判の「アイスまんじゅう」があります。

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なかなかに手強いアイスですが、こんな夏日が続くと、桑名まで買いに出掛けたくもなるものです。

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桑名にお出掛けの際は、三重県桑名市で大正12(1923)年創業の、和菓子処「寿恵広(すえひろ)」をお訪ねになり、桑名名物「アイスまんじゅう」で暑気払いと洒落込んでみてください。


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「昭和Nostalgia」(401)

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子どもの頃、お父ちゃんの日曜大工小屋の中で、こんなものを見かけ、一体全体何にどう使うものかと、不思議でなりませんでした。

ちょうど当時のわが家の小さな庭に、お父ちゃんが近所の釣り仲間のオッチャンたちの手を借りて、日曜大工で掘っ立て小屋の風呂場を造っていた頃の事。

大工仕事の途中で、「SINSEI」だったか「いこい」だったか、煙草に火を付け一服中のお父ちゃんに尋ねると、木材を真っすぐ切るための、直線を瞬時に引くもので、「墨壺(すみつぼ)と言うんだと!

蛸壺はTVか何かで見たことがあった気がしますが、「墨壺」とは?

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お父ちゃんの釣り仲間のオッチャンによれば、壺の部分に墨を含ませた綿が入っていて、糸車に巻き取られている糸をぴんと張って伸ばし、糸の先についた画鋲のようなピンを木材に刺して、張り詰めた糸を弾き直線を引くものだとか。

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ぼくが興味深げに墨壺を眺めていると、オッチャンがその場で、得意げな顔をして、実演してくれたものでした。

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なかなかどうして、瞬時に狂いの無い直線が引けるとは、古人の智慧の結晶のような大工道具だと、子どもながら感動した記憶があります。

参考

この墨壺、子どもの頃はもちろん知りませんでしたが、そのルーツは古代エジプトだとか、古代中国とも言われているようです。

日本の法隆寺の最も古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨痕が、今なお残っているそうで、自分の目で拝見したいものでもあります。

でもこんなにも優秀な墨壺を用い、直線を描こうとしても、あれやこれやと日々の雑念ばかり抱いたまま、墨壺の糸を弾いたら、そう易々と真っすぐに線は引けないかも知れませんねぇ。

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まったくもって「WINDING ROAD」なぼくの人生なんて、一度たりとも墨壺で瞬時に引くことが出来る、直線の一本道とはとても言えませんでしたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(400)

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そう言えば子どもの頃、お母ちゃんはよく畳の上に茶殻を威勢よくパ~ッと撒いて、部屋中の埃を搔き集めるように、箒で掃き掃除をしていたものでした。

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茶殻がそれほど沢山ない時なんかは、古新聞を水に浸して、それを茶殻同様に畳の上に撒いていましたねぇ。

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今のような強力な吸塵力のある掃除機や、ましてや勝手に基地から飛び出し、隅々まで掃除をしてまた基地へと戻るとった、そんな魔法のようなルン◎も無かった時代。

室内の掃き掃除では、茶殻も古新聞も、お母ちゃんの大いなる見方であったに違いありません。

いったいお母ちゃんは、どこでそんな方法を教えられたのやら?

もしかするとお婆ちゃんから教え伝えられたのやら?

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或いはご近所のオバチャン達との、井戸端会議で仕入れて来たのやら?

お母ちゃんの存命中に、ちゃんと聞いておけばよかったものを・・・。

って、まぁ、そんなことが判明したとしても、別段何か特別な意味があるわけでもないかぁ~っ!

それになんてったって、もう今のわが家にゃあ、座敷掃きの箒も塵取りも、どこを探したって見当たらないんですから!


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「昭和Nostalgia」(399)

こんな小さな小さな会場での、ほのぼのほろ酔いLIVEです。

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昨日、こいつがぼくの周りにブーンブーンと、あの嫌な鳥肌が立ちそうな羽音と共に、纏わりついてきました。

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えええっ!まだ、5月10日じゃないか!なんてぇこったぁ!ってな感じで、手で払いのけるのに必死でした。

いや待てよ!もう67歳にもなるんだから、もしやして「飛蚊症」?と、我が目を疑うほどでした。

でも調べてみると、あの嫌~な藪蚊の野郎は、5月中旬頃から10月下旬頃までが活動期とか。

まだシーズンイン間もないからなのか、藪蚊の野郎も本調子ではなかったのか、或いは自主トレ中だったのか、手で払いのけてからは、執拗に纏わりついては来ず、正直ヤレヤレ。

何でかってぇと、まだまだ藪蚊野郎の出現は、先の事だろうと高を括っていたからです!

そもそもO型で、藪蚊野郎に滅法弱いぼくは、藪蚊野郎のシーズンには、ポケムヒをちゃんとポケットかウエストポーチに忍ばせていたからです。

しかし今年は、まだまだシーズンイン前だろうと舐めてかかっていたから、正直冷や汗ものでございましたぁ。

でも昨夜は、どこも刺されることも無く、事なきを得たものの、改めてポケムヒを購入しておかねばと、つくづく思った次第です!

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本当に俗に言われる血液型がO型からなのか、この上なくビール好きだからか、他の方は刺されなくってもぼくだけあっちもこっちも刺されまくっちゃうので、これからの季節は藪蚊野郎との熾烈な戦いとなります。

子どもの頃は、夕方になってお父ちゃんが帰って来るのを見越して、お母ちゃんが蚊取り線香に火を付けるよう、ぼくに言いつけたものでした。

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とは言え、なかなか徳用マッチ箱から取り出した、1本のマッチで火が点いたためしなど無く、一回に5~6本はマッチを擦って、やっと何とかかんとか蚊取り線香に灯を燈したものでした。

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ついついそれがおっくうで、ある時どうせマッチを5~6本使うんだったらてなもんで、5~6本のマッチを束にして灯を燈したことがありました。

そりゃあもうマッチは勢いよく燃え上がり、とっても威勢は良かったものの、マッチの軸にまで直ぐ火が回り、火傷しそうになってマッチをおっ放り出してしまい、それが畳の上に落ちで畳まで焦がす羽目に!

当然ながら憤怒の形相のお母ちゃんに、こっぴどく叱られたのは、今さらながら言うまでもありません!

参考

しかし蚊取り線香がこの世に登場するまでは、「蚊遣火(かやりび)」と言う、何とも素敵な名前の物が代用されていたようですねぇ。

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よもぎの葉、カヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべ、燻した煙で蚊を追い払うと言う代物。

確かに蚊も嫌がるでしょうが、そこに居合わせる人々も、相当に煙たかったんじゃないでしょうかねぇ。

そう言えば、いつの間にやら、蚊取り線香から煙の出ないベープマットがわが家にやって来た時は、さすがにもう感動ものでした。

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やっとこれで徳用マッチの火傷から解放されるぞ~って!

まぁ、そんな事はともかく、今年もキンチョウの夏が、忍び寄って来たってぇ感じですねぇ!


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