飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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ぼくが小学校から帰ると、3時のおやつと言うわけではなく、大皿一杯に蒸し芋が山の様に積み上げられていたものです。
参考
おそらくお母ちゃんは、縫物の内職の傍ら、時には蒸し芋がお昼ごはんだったり、お茶請けであったのかも知れません。
鹿児島出身の母は生粋の薩摩おごじょでしたから、サツマイモに滅法目が無く、年がら年中蒸し芋が卓袱台を占拠していたものでした。
ところがぼくと来たら、芋栗南京は何よりの天敵!
蒸し芋以外におやつが無った時は、それはそれは凹んだものでした。
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でもたまぁ~に、同じサツマイモでも一手間も二手間もお母ちゃんがかけた、大学芋や鬼饅頭の日も稀にあったりして、どうしたわけか同じサツマイモながら、それらは別物としてぼくの好物でもありました。
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昭和半ばのぼくの3時のおやつは、サツマイモの他にも、こんなものがありました。
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まずは、お櫃の残りご飯に砂糖と卵を入れ、それを混ぜ合わせ、フライパンでホットケーキの様に焼いた、ライスケーキ!
お櫃の中で饐えた匂いのする冷ご飯でも、お母ちゃんは笊に空け、水洗いして「なぁ~んともないない!」って、平気でライスケーキにしてくれたものでした。
それでも不思議と、それを美味しい美味しいと言って鱈腹食べても、お腹はなぁ~んてことありませんでしたから、当時の子ども時代は、胃腸も丈夫だった証かも知れません。
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それと節約おやつの定番は、パンの耳の「揚げパン」。
これまた大好物でしたねぇ。
お母ちゃんがパン屋さんで食パンを買い求めるついでに、サンドイッチにした残りのパンの耳を貰って帰って来て、よく作ってくれたものでした。
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お母ちゃんは餡子好きでもありましたから、火鉢の上ではよく大鍋で小豆が炊かれ、そのまま大盛のぜんざいとなる事もしばしば!
とうぜん3人家族で一度に食べきれる量ではありません。
だから残ったぜんざいは、大きな丼鉢に入れられそのまま冷蔵庫へ!
それが翌日以降のぼくのおやつとなったものでした。
写真のような焼餅など入っておらず、代わりにお母ちゃんお手製の白玉粉が浮かび、ぼくはそこに牛乳を入れ丼抱えて満足気にいただいたものでした。
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時にはこんな市販の「甘食パン」の日も、嬉しかったものです。
昭和半ばのおやつは、コンビニで品定めするような、裕福な時代でもなく、お母ちゃんが与えてくれるものを、それなりに楽しみながらいただいた、尊い時代でもあった気がしてなりません。
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