「昭和Nostalgia」(105)

飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町)  – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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夜店でヒヨコ釣りなんてなさいませんでしたかぁ?

ぼくはヒヨコ釣りをしたのか、或いは夜店で売られていたヒヨコを買ってもらったのか、確かな記憶はありませんが、小学校の低学年の頃、ヒヨコを飼ってもらったことがありました。

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毎朝毎朝、卵を産んではないだろうかと、鳥小屋を見に行ったものです。

今となれば、そんなことがあり得ないことだとはわかっちゃーいますが、なんせ純真無垢な子ども心でしたから・・・。

それもそのはず!

夜店に居並ぶ可愛らしいヒヨコは、どれもこれも九分九厘雄ばかり。

養鶏場で採卵用に人工的に孵化させたヒヨコは、雛鑑別師の手で雌雄が選別され、雌は採卵用に大切に飼育されることになります。

ところがどっこい、哀れ極まりないのが、雄のヒヨコたち。

卵も産めず、さりとて食肉用のブロイラーに比べたら、飼料効率も育成率も劣ってしまい、他に用途が見いだせないため、夜店の見世物として恰好の商材となって取り扱われたとか。

ところが子どもたちにとっちゃあ、雌雄などお構いなし!

可愛さなら雌雄の差も無い!

わが家のヒヨコちゃんが可愛らしかったのは、せいぜい50日くらいだったでしょうか?

やがて真っ赤なトサカが立派に生えて、ついに生みたての卵かけご飯の夢は費えたものです!

ぼくは知りませんでしたが、ぼくの過ごした昭和半ば以降、こんなカラーヒヨコなるものが夜店を賑わせたんだそうですねぇ。

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こんなカラフルなヒヨコを子どもたちが目にしたら、全ての色のヒヨコが欲しくなっちゃったでしょうねぇ。

調べてみて、初めて知りました!

このカラフルなヒヨコたちは、繊維用の染料を水で薄め、ここにヒヨコを漬けたり、スプレーで着色されたんだとか。

しかしこのカラフルなヒヨコたち、短時間で効率良く染料を乾燥させる為に、強力な熱風が浴びせ続けられ、これも短命の原因の一つとなったそうです。

よしんば順調に生育したとしても、着色された羽毛は成長に伴って徐々に抜け落ち、新らたに白や黄色の羽毛が生えるため、可愛げだったカラーヒヨコも、徐々にまだら模様となり、1ヵ月もすると、もはや普通の鶏と変わらない姿になったとか。

近年では動物愛護の観点から、日本でカラーヒヨコが売られることは稀になったそうです。

やっぱりヒヨコはヒヨコらしい黄色でなきゃ!

人間の業欲のなせる業、それがカラーヒヨコだったんでしょうねぇ。

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「昭和Nostalgia」(104)

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チャルメラの音が聞こえてきそうな、「夜泣きそば」「屋台の中華そば」!

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こどもの頃のわが家の辺りにも、晩御飯が終わってそろそろ布団に入ろうかってぇ頃になると、決まってチャルメラのラッパの音がこだましたものでした。

わが家でもそれこそ盆暮れくらいなものでしたが、「夜泣きそばでも食うか!」とお父ちゃんが言い出すと、ぼくは待ってましたとばかりに丼を抱え、屋台のオッチャンを呼び止めたもの!

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家族三人でたった一杯の夜泣きそば。

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オッチヤンは丼にスープを入れ、麺を茹で上げ、屋台の引き出しから薬味を盛りつけ、一丁上がり!

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果たして当時一杯いくらくらいだったか、まったく記憶にはありません。

ただ薬味は実にシンプルで、焼き豚の代わりに、四角いプレスハムを斜めに切った、薄っぺらな三角形のハムが添えられていたのが、妙に記憶に残っています。

それをこぼさないようにわが家に持ち帰り、お椀に小分けして、家族三人「旨い旨い」といただいたものです。

とは言え、三角形のハムはぼくに、その他のわずかばかりの薬味はお父ちゃん、お母ちゃんは麺だけだったこともよく覚えています。

そう言えば、ぼくが20歳になったころも、名古屋駅の名鉄百貨店の下、地下の中央改札へ降りる階段の踊り場の辺りに、夜になると何台もの夜泣きそばの屋台が並んでいたものです。

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会社帰りのサラリーマンの方たちで、賑わっていたのを記憶しています。

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今じゃあ考えられないような光景ですねぇ!

さすがにぼくは、名鉄百貨店前の夜泣きそばは、食べたことが無かったような?

忘れてしまっただけかも知れませんねぇ。

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「昭和Nostalgia」(103)

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今日の主役は、路面電車の市電です。

ぼくは子どもの頃、市電の運転士さんに随分憧れたものでした。

お母ちゃんに連れられて市電に乗ると、必ず運転士さんの操縦席への立ち入りを遮断する、操縦席側面の鎖につかまり、運転士さんの一挙手一投足に目を見張ったものでした。

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この楕円柱の機械は、「直接制御器」ダイレクトコントローラーと呼ばれるものだそうでして、上の取っ手の「カム軸」ってぇのを操作し、抵抗器の切り替え行ったんだとか。

子どもの頃から、今の今まで、車のアクセルのようなものだと、ずっと勘違いしてましたぁ!

こんなリアルなオモチャは、あの電車でGo!がこの世に登場するまで、おいそれとはありませんでした。

でも子供心に、市電に乗せてもらって家に帰った後は、何とか市電の運転士さんの真似がしたくって、無い知恵を絞っては、それらしい遊びを工夫したりしたものです。

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家に帰ると、さっそく折り畳み式のテーブルをこんな感じで壁に立て掛け、折り畳みの脚をカム軸に見立てて真似をしたものです。って、似ても似つかぬものですが!

それでもそれなりに満足しながら、市電の運転士さんゴッコに興じたものです!

お母ちゃんの「いつまでテーブルで遊んどんやー!ご飯やよー」と言われるまで。

それから30年近くが経ったでしょうか?

娘のお相手でスーパーのゲームセンターへ行った時、「電車でGo!」を見かけたのは!

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もうすっかり娘のことも放ったらかしで、瞬時に童心に帰ってしまい電車でGo!に夢中になっちゃったものです。

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もちろんしばらく、娘に口もきいてもらえなかったような・・・?

それでも飽き足らず、こっそり家庭用の「電車でGo!」まで買っちゃったような?

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でもなんでそんなに市電の運転士さんに憧れたのかと言うと、わが家にはマイカーが無かったため、どこへ行くにもバスや市電や電車と言った公共交通機関ばかりで、その都度接するバスの運転士さんや市電や電車の運転士さんの挙動に憧れを抱いていたからに違いありません。

ですから今もって、もっぱらぼくは「乗り鉄」オヤジです。

小学2年の年に入団したカブスカウト名古屋1団のクラブハウスが、八事半僧坊の興正寺の境内にあり、わが家から名古屋駅まで市バスに乗り、名古屋駅から市電を乗り継いだり名鉄バスで半僧坊まで片道2時間近くかけ、日曜日になると通ったものでした。

だから往復約2時間は、大好きな市バスや市電の運転士さんの一挙手一投足に見惚れっ放し!

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ぼくが小学2~3年の頃の八事は、まさにこんな感じでした。これは杁中の東側の隼人池付近だと思われます。

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八事の交差点の辺りは、墓石屋さんばかりだった記憶があります。

それはそうと、当時の名古屋まつりでは、こんな花電車があちらこちらの路線を走っていたものでした。

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ぼくもお母ちゃんと見に行ったものです。

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最後に路面電車に乗ったのは、7年ほど前、母の故郷鹿児島で乗ったのが最後かも知れません。

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「昭和Nostalgia」(102)

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この写真を見て何をやっているか、瞬時に理解された方は、昭和半ばの立派過ぎる猛者と言ってもいいでしょう!

パチンコ玉を一つずつ入れて手打ちする、パチンコ台が居並ぶパチンコ屋さん。

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店内に椅子など無く、誰もかれも立ったままパチンコを打っていたものでした。

ぼくには薄っすら記憶が残っています。

名古屋市南区内田橋、名鉄豊田本町駅近くの親戚が営む6畳一間のアパートでぼくは生まれました。

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そしてその1年10か月後、伊勢湾台風で被災し、その後しばらく尾西市の親類の家で避難生活を送ったものです。

しかしその後、町の復旧にも目途が立ち、再び豊田本町のアパートへと戻り、5歳になるまでそこで暮らしておりました。

ですからアレは、ぼくが恐らく4~5歳の頃のこと。

母の弟であった龍叔父さんがまだ独身で、よくわが家に遊びにやって来ては、ぼくの子守だと称しては、あっちこっちへと連れ回ってくれたようです。

その一つがこの写真のような、豊田本町駅の近くにあったパチンコ屋。

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当時はパチンコ玉を一つずつ入れる手打ちのパチンコ台。

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しかも椅子など無く、みんな立ったままパチンコ台に向き合っていたものです。

もちろんぼくは退屈そうに、龍叔父さんを見上げていたと思います。

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まさかこんな写真の中の子どもの様に、紐で繋がれてはいなかったような気がしますが!

でも昨今、毎年のように報じられる痛ましい事件!

パチンコ屋の駐車場に停めた車の中に、幼子を放置したまま親がパチンコに興じ、幼児を熱中症で死亡させると言った痛ましい事件が後を絶ちません。

それに比べたら、昭和半ばの緩~い時代の、写真の様に子どもを紐で繋いでパチンコを打つお父さんの方が、まだましかもしれません!

って、それだったら子守するのにパチンコ屋を選ばなくたってよさそうなものなのに、まぁぼくの龍叔父さんも似たり寄ったりですけどねぇ!

でもその日、龍叔父さんのパチンコは大当たり!

帰り道は紙袋一杯、ぼくのお菓子でテンコ盛り!

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何時間ほどそんな大人の社交場でぼくは時を過ごしたのか、まったく記憶にゃありませんが、断片的にパチンコ屋さんの記憶があります。

まず店内のあっちこっちで「おお~いっ!玉が出んぞ~っ」と、客が声を上げると、上の方から店員さんが顔を出し、「はいはい、いま玉出しますよ~っ!」ってな調子!

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まさかそんな上から店員さんが顔を出すなんて、思っても見ないためとにかくビックリ仰天!

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パチンコ台の裏に店員さんが行き来できる通路があり、パチンコ台の裏から、詰まった玉を人海戦術で流していたようですねぇ。

ぼくも適齢期を迎え、友と共にパチンコ屋さんに入った時代は、手打ちのパチンコ台から、自動パチンコへと進化はしていたものの、やっぱりパチンコ台にトラブルが生じると、店員さんがパチンコ台の裏側を駆けまわっていたものでした。

そして、店員さんが射幸心を煽る店内アナウンスの大音量!

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確かこんな口上だったような!

『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ありがとうございます。いらっしやいませ。

本日は○○会館にお越し頂きまして誠にありがとうございます。お忙しい中にも関わらず、多数様の御指名、御来店、御贔屓、御来店を頂きまして誠にありがとうございます。本日も、昨日昨晩以上の出玉を持ちましての、お客様のお出迎えとなってございますれば、お隣り、御近所、お友達、お誘いあわせいただきまして、ジャンジャンバリバリ、ジヤンジャンバリバリとお取り下さい、お出し下さい。

土手の柳は風任せ、かわいいあの子は口任せ、パチンコあなたの腕まかせとなってございます。 当店自慢の釘師によりまして、釘は甘く広く大きくの、調整となってございます。まだまだ優秀機・優秀台、優秀機・優秀台が残っておりますれば、お好きな台をお選びいただきまして、お隣、御近所、お友達にお負けになりませぬよう、出ます、出します、出させます、ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリとお取り下さい、お出し下さいませ。 それではどちらのお客様も、最終最後のお時間が参りますまで、又、お時間、お体が許されます限り、ごゆっくりと、ごゆっくりとお遊び下さいませ。 本日もまだまだお時間ございます。御遊技、娯楽場の中より、多数様のご指名ご来店、ごひいき、ご来店を頂きまして、誠に誠にありがとうございます。』

ってなしゃがれ声の口上と、軍艦マーチが安っぽいスピーカーから、割れんばかりに流れていたのを覚えています。

今回のブログのために、昭和半ばのパチンコ屋の口上を調べていると、こんなパチンコ屋さんの開店から閉店の蛍の光までが収録された、パチンコ屋さん専用のLPレコードなんてぇのがあったことを知りました。

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って、そんな歴史を今さら知ったところで、なんの役にも立ちませんかぁ!

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「昭和Nostalgia」(101)

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こんな女の子が中心の遊び「はないちもんめ」に、お声が掛かり入れてもらえると嬉しかったものです。

『かってうれしい はないちもんめ まけてくやしい はないちもんめ
あのこがほしい あのこじゃわからん そうだんしましょ そうしましょ
◯○ちゃんがほしい ◯○ちゃんがほしい
じゃんけんポン』って、地域によっては異なるようですが、だいたいそんな歌詞であったようです。

残念ながらぼかぁ、前半部分しか覚えていませんでしたねぇ。

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中には一人で「あやとり」をせっせとやっている子もいましたし、

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こんな豪華な乳母車を自慢げに押して回っている兄妹も、ぼくの家の近所にもいたものでした。

まぁ、貸してもらえっこないから、羨ましくって羨ましくってならなかったものです。

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そして腕白坊主どもは、建設会社の資材置き場の土管に潜り込み、秘密基地ゴッコなんてぇのにもうつつを抜かしたものでした。

まぁ今この歳でそんなことやろうものなら、ただのホームレスと見做されちゃうんでしょうけどねぇ。

ただただ、どれもこれも懐かしくって堪りません!

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「昭和Nostalgia」(100)

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ぼくが子どもの頃は、路地裏の通りがぼくらの遊び場そのものでした。

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時には地面に思い思いに絵を描いたり!

パンツ丸出しも何のそので「股のぞき」!

彼女はいったい何を股のぞきしていたのやら?まさか天橋立でもあるまいし!

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そしてそして「缶蹴り」やら、

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ベーゴマ!

ぼかぁ、ベーゴマも普通の独楽も回すのが苦手でした。

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されにメンコ遊びにも夢中!

ぼくらは、メンコのことを「ショーヤ」と呼んでいましたねぇ。

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一方、高学年になるお姉さんたちは、こんなホッピングなんぞで飛び跳ねてもいたものです。

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路地裏はもともと交通量が少なかったため、「だるまさんが転んだ」のような、大掛かりで大胆な遊びに夢中になることもあったものです。

そう考えると返す返す、昭和半ばの路地裏通りは、子どもたちの楽園そのものだったってぇ事ですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(99)

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昭和半ばの女子は、なかなかどうして、勇ましいお転婆娘も多かったですよねぇ。

路地裏の道路や公園だろうが、お構え無し!

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どこにでもあるこんな輪ゴムを繋いで、1本のゴム紐にして、それがゴム飛びの道具に早変わりしたものでした。

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仲間が多ければ、ゴム紐の左右を二人でピーンと張って、仲間が少ない時は、一人が片方のゴム紐の端を持ち、もう片方は電信柱やら垣根の桟なんぞに縛り付け、何処であろうがお構いなしにゴム飛びが始まったものでしたねぇ。

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中にはこんな、アクロバティックな少女もいたりしたものでした。

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スカートが捲くれ上がり、パンツが丸見えになろうがなんのその!

ぼくら腕白坊主どもも、見ていないふりをしながら、姑息にもこっそり興味津々でスカートが捲くれ上がる瞬間を願ったものでした。

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「昭和Nostalgia」(98)

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女の子たちは、こんなおはじきを指先ではじいて、おしとやかに遊んでおいででしたですねぇ。

ぼくら男坊主どもの破天荒さとは大違い!

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こんな涼やかな色合いの物やら、中にはこんなおはじきも見かけたものでした。

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それと同様のような男物が、こんなB玉だったんでしょうかねぇ。

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ぼくらは、「カッチン玉」と呼んでいて、半ズボンのポケット一杯に入れていたものでした。

ところがポケットに穴が開いているのを忘れていると、その穴を素抜けたカッチン玉が股座から地面に転がり落ちたりしたこともあったものです。

参考

カッチン玉遊びにもいろいろあり、地域性もあったようですが、ぼくが得意だったのは図の左下、ぼくらはその遊び方を「めっかち」と呼んでおりました。

おそらくこれも地域差があるのでしょうが。

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まだまだ路地裏まで舗装されていなかった時代は、路地裏の道路さえ、子どもたちの天下だったんですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(97)

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これって何をやってるところかわかりますか?

これが直ぐに分かった方は、もう言うまでも無く昭和にどっぷりと浸って生きて来られた方に違いありません!

とは言え、女の子たちにとっちゃー、ちょっと難しいかもしれませんけどねぇ。

第一女の子がこんな遊びをしてるシーンなんて、見たことない気がしてなりません。

正解はコチラ!

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その名も「ようかいけむり」って名前だったなんて、この歳になるまで知りませんでした!

果たしてぼくらが子どもの頃から、こんな商品名だったんでしょうかねぇ?

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当時の子供向けTVでは、仮面の忍者赤影とか、忍者ものに人気があり、こんなようかいけむりのカードに塗られたクリームのようなものを中指の先に付け、親指と中指を擦り合わせて煙状のものを燻らせ、忍者気分を味わったりしたものでしたねぇ。

まぁ確かに女の子は、まったくご興味もご関心も無かったでしょうが!

でも男坊主どもは、こんなことで喜んでいたんですから、他愛ないものですよねぇ。

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「昭和Nostalgia」(96)

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子どもの頃、「紙芝居のオッチャンが来た!」と誰かが触れて回ると、あっちからもこっちからも子どもたちが小銭を掴んで、オッチャンの自転車を追い掛けたものでした。

もう待ち遠しくって待ち遠しくって!

そして公園の一角にオッチャンが自転車を止め、紙芝居を始める前にまずは店開き!

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ぼくは迷わず「マンボ(当時ぼくらはそう呼んでいました)」を買い求めたものです。

マンボとは、どんな成分だったか分かりませんが、2cm四方で薄茶色をしていて、オッチャンがマンボ1枚と幅3mmほどで長さ3cmほどのブリキ板のような、スプーンのような匙をくれました。

ぼくらはそのマンボの中央部に向けて、舌で舐め唾で湿らせた匙の先を宛がって、ゆっくりほじくってはそれを舐め、またほじくってを繰り返したものです。

そうしてマンボの中心部に穴を開け、少しずつ少しずつ外側の四辺に向かって穴を大きくしてゆくのです。

しかし無残にも、途中でマンボの四辺が折れたりしたら、そこでゲームオーバー。

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慎重に慎重に穴をほじくり、その穴をお見事1円玉が通り抜けたら、ジャムを塗ったウエハースがご褒美に貰えるってぇ遊びに夢中になったものでした。

しかしそう易々と1円玉を通せる穴を開けることは難しく、あと一歩ってぇところで見事にマンボの端っこが崩れ玉砕してばかりだったものです。

ぼくは何十回とやった中で、たったの1回だけ成功したことがあり、得意満面でジャム付きのウエハースを頬張ったものでした。

しかし上には上がいたもので、高学年のお兄さんやお姉さんは、ぼくなんぞよりもっと上手にマンボの穴を極限まで広げ、10円玉をギリギリ通して、練り水飴のご褒美にありつく猛者も!

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それでなくとも不器用極まりないぼくにゃあ、とても適いっこありません!

それはそうと、ぼくらが呼んでいた「マンボ」そのものに関する情報が、ネット上で検索しても見つけられず、果たして「マンボ」の呼び名が正しかったのかどうかも不明です。

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そんな一大イベントが終わってから、やっとこさ紙芝居の始まり始まり~っと相成ったものでした。

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