飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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夜店でヒヨコ釣りなんてなさいませんでしたかぁ?
ぼくはヒヨコ釣りをしたのか、或いは夜店で売られていたヒヨコを買ってもらったのか、確かな記憶はありませんが、小学校の低学年の頃、ヒヨコを飼ってもらったことがありました。
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毎朝毎朝、卵を産んではないだろうかと、鳥小屋を見に行ったものです。
今となれば、そんなことがあり得ないことだとはわかっちゃーいますが、なんせ純真無垢な子ども心でしたから・・・。
それもそのはず!
夜店に居並ぶ可愛らしいヒヨコは、どれもこれも九分九厘雄ばかり。
養鶏場で採卵用に人工的に孵化させたヒヨコは、雛鑑別師の手で雌雄が選別され、雌は採卵用に大切に飼育されることになります。
ところがどっこい、哀れ極まりないのが、雄のヒヨコたち。
卵も産めず、さりとて食肉用のブロイラーに比べたら、飼料効率も育成率も劣ってしまい、他に用途が見いだせないため、夜店の見世物として恰好の商材となって取り扱われたとか。
ところが子どもたちにとっちゃあ、雌雄などお構いなし!
可愛さなら雌雄の差も無い!
わが家のヒヨコちゃんが可愛らしかったのは、せいぜい50日くらいだったでしょうか?
やがて真っ赤なトサカが立派に生えて、ついに生みたての卵かけご飯の夢は費えたものです!
ぼくは知りませんでしたが、ぼくの過ごした昭和半ば以降、こんなカラーヒヨコなるものが夜店を賑わせたんだそうですねぇ。
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こんなカラフルなヒヨコを子どもたちが目にしたら、全ての色のヒヨコが欲しくなっちゃったでしょうねぇ。
調べてみて、初めて知りました!
このカラフルなヒヨコたちは、繊維用の染料を水で薄め、ここにヒヨコを漬けたり、スプレーで着色されたんだとか。
しかしこのカラフルなヒヨコたち、短時間で効率良く染料を乾燥させる為に、強力な熱風が浴びせ続けられ、これも短命の原因の一つとなったそうです。
よしんば順調に生育したとしても、着色された羽毛は成長に伴って徐々に抜け落ち、新らたに白や黄色の羽毛が生えるため、可愛げだったカラーヒヨコも、徐々にまだら模様となり、1ヵ月もすると、もはや普通の鶏と変わらない姿になったとか。
近年では動物愛護の観点から、日本でカラーヒヨコが売られることは稀になったそうです。
やっぱりヒヨコはヒヨコらしい黄色でなきゃ!
人間の業欲のなせる業、それがカラーヒヨコだったんでしょうねぇ。
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