「昭和Nostalgia」(428)

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土曜の半ドンの日は、終業のチャイムが鳴ると同時に、ランドセルを背負い一目散に家路へと、駆け出したものです。

「お昼ご飯に、どうかハムカツが添えられていますように!」と、そう念じながら!

「ただいま~っ」と玄関の引き戸を開け、茶の間へ飛び込めばやっぱり!

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内職仕事のお母ちゃんの傍らに置かれた、ストーブの上に掛けられたアルマイト製の鍋がグツグツと煮え立ち、部屋中を味噌の香りが覆い尽くしていたものです。

特に冬場の土曜の午後は、まずもって九分九厘間違いなく、朝の残りの味噌汁に、これまた残り物の冷ご飯を入れて煮込み、最後に溶き卵を流し入れただけの、味噌おじやと相場は決まっていた気がします。

それはもう既にいつもの事として、ぼくの中でも織り込み済みのことでしたから、さて置くとして、問題は卓袱台の上にぼくの大好物だったハムカツが、デーンと添えられているかどうかが最大のポイントであったのです。

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まぁ、今にして思えば、土曜の半ドンの昼ご飯に、ハムカツが添えられていたのは、おそらく月に1度程度の割合だったのかも知れません。

向こうが透けて見えそうなほど薄っぺらなハムに、これでもかってぇほど肉厚な衣を纏ったハムカツ!

そんな大半を衣が占めたようなハムカツこそが、当時のぼくにとっては最大のご馳走でもあったものです。

今となっては肉屋の揚げ物コーナーでも、そんな衣が大半を占める薄っぺらなハムカツなど、もう見かけられはしません。

そう思うとどうにもこうにも、あの衣ばっかりのハムカツが食べたくなってしまうのも人情。

ならばと自分で試してみても、そんなに分厚い衣など纏わせられません!

子どもの頃の肉屋さんは、どうやってあんなに分厚い衣を薄っぺらなハムに纏わせられたのやら?

貧しかった昭和の半ば、少しでも薄っぺらなハムを分厚く見せようと、苦心惨憺な策だったとは言え、その巧みな技に今更ながら舌を巻くばかりでした。


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「昭和Nostalgia」(427)

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こんな風に、影絵遊びをなさいませんでしたか?

昭和半ばの子ども時代には、雷や台風などでよく停電したものでした。

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部屋中が真っ暗になると、お母ちゃんがロウソクの火を灯し、その薄明かりを頼りに家族三人、卓袱台を囲み夕餉を取ったりもしたものです。

ぼくは雷や台風の風の音は苦手でしたが、ロウソクの灯りが燈されている時が、結構好きであった気がいたします。

食事を終え、スイカなんぞを皆で頬張っていると、TVも停電で見られませんから、お父ちゃんが両手を使って器用に、動物などの影絵を障子に映し出してくれたものです。

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ぼくもお父ちゃんに教えてもらって真似ては見るものの、お父ちゃんの影絵とは似ても似つかず!

「これはな~んや!」と、クイズ擬きに影絵を映し出し、得意満面の顔で問いかけてくれた、若き日のお父ちゃんの笑顔が浮かんでは消えてゆきます。

今に比べたら、それこそなぁ~んにもありませんでしたが、家族三人分の心の安らぎが満ちていたように思えてなりません。

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そう言えば影絵は、こんな歌川広重の作品にも登場していたようです。

そう思うと庶民は、随分古くから光と影の世界を、そうやって愉しむ術を得ていたんですねぇ!


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「昭和Nostalgia」(426)

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こんなぼくでも、子どもの頃はご多聞に漏れず、滅法甘いモノにゃあ目がありませんでした。

春になれば、牡丹餅・桜餅・柏餅に粽と、季節を愛でる饅頭の数々に、それはそれは憧れを抱いたものです。

とは言え、そうそう滅多やたらとお母ちゃんが買ってくれるなんて有り得ません。

お父ちゃんの会社の記念日とかでお父ちゃんが引き出物として持ち帰るか、たまぁ~にやって来る来客が手土産として持ってきてくれるとか、或いは逆に来客の接遇用にとお母ちゃんが買って来たお茶請けの饅頭であったりと言ったくらいしか、季節の饅頭のお零れになどそうそう与かれなどしなかったものです。

牡丹餅も桜餅もさることながら、ぼくが一番食べたくって仕方なかったのは、鴬餅でした。

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黄緑色の鴬やメジロそっくりな饅頭は、喉から手が出るほど食べたくって食べたくって!

どうかどうか、来客のオジサンやオバサンが、鴬餅に手を付けませんようにって、どれだけ希ったことやら!

そんな艱難辛苦を経てやっとこさぼくの口に入った鴬餅と言ったら!

そりゃあもう、極楽極楽! 

そう言えば和菓子屋さんの店先には、この季節らしい紫陽花饅頭なるものもあるようですねぇ。

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ぼくも梅雨入りしたラ、一度食べてみたいと思っています。


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「昭和Nostalgia」(425)

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昭和の時代は、あちらこちらで紫煙が燻っていたものでした。

夜の町のスナックやバーは元より、バスや電車、それに病院の診察室に待合室でも!

胸元のポケットから煙草をおもむろに一本取り出し、マッチやこんなオイルライターなんぞで、火を付けていたものです。

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オイルライターの中でも特に人気が高かったのは、Zippoじゃなかったでしょうかねぇ。

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それとかロンソンなんてぇのもございましたですねぇ。

それはそうと昭和の時代には、こんなものまで!

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誰かのアメリカ土産で、貰ったこともあったような、なかったような?

それに!

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こんなアンティックなマイク型の卓上オイルライターも!

ましてや!

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こんなNHKの出演者や被取材者等への謝礼品と思われる、刻印入りのオイルライターまで!

ぼくはNHKと刻印された懐中時計をいただいたことがありました。いつの時だったのやら?

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なかにゃあこんなギャンブラーの喜びそうなものやら、

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なんとなんと!こんな手榴弾型の物騒なオイルライターまで!

煙草においそれと火が付けられそうにありませんから、禁煙を目指す方にゃあ持って来いかも知れませんですねぇ。

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それはそうと、オイルライターは、あの独特なオイルの香りが、周りに漂ったものでしたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(424)

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子どもの頃、近所の遊び仲間の中に、こんな知恵の輪の得意な子がいたものです。

それも2~3回、輪っかを回している内に、絡み合った輪っかが見事に外れちゃうんですから、まるで目の前でマジックを見せられているかのような、不思議な光景でした。

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ぼくの近所の遊び仲間の中にいた、知恵の輪の達人は、草野球や缶蹴りにポコペンも、まったく風采が上がらぬのに、唯一知恵の輪だけはピカイチ!

他の近所の友の中には、家で知恵の輪をおねだりして、買ってもらったのは良いものの、一つとして輪っかが外れなくって、知恵の輪の達人である友に、輪っか外しを頼むものまで現れたほど。

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しかし知恵の輪の達人は、輪っか外しの手解きまでは出来ず、ただただ黙々と輪っかをクリクリ回すだけ。

だからせっかく一旦は輪っかを外してもらったものの、再び輪っかと輪っかを組み合わせると、もうお手上げ!

そうやって何度も何度も、知恵の輪の達人にまた外してもらうばかり。

確かぼくも、一文菓子屋の片隅にあった、初心者向けの小さな知恵の輪を買っては貰ったものの、何かにつけ面倒臭がりでズボラなぼくにゃあ、とっても太刀打ち出来ず、そのままオモチャ箱の奥底に眠らせてしまったはずです。

他に取柄は無くとも、何とも器用に知恵の輪を操っていた、知恵の輪の達人はあれからどうなったのやら?

もしかしたら名だたる学者か技術者にでも、なったんでしょうかねぇ?

皆様方は、知恵の輪がお得意でしたか?


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「昭和Nostalgia」(423)

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小学校の低学年の頃、図工の粘土細工の時間が、好きで仕方ありませんでした。

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確か机の上に画板のようなモノを広げ、プラスチックケースに入った、グレー色の油粘土を広げ、あんなものやこんなものの造形に取り組んだものです。

とは言う物の、造形に取り組むどころか、そもそもそんな才能など皆無なぼくにゃあ無理!

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何か動物を真似て模って見ては、ちっとも煮ても似つかぬ駄作ばかりで、直ぐに作品を押しつぶしては、また別のモノを作ったり・・・。

まぁ所詮ぼくの粘土細工は、造形作品などとは恐れ多くて決してそうは呼べぬもので、図工の時間の間中、粘土遊びに高じていただけのモノだった気がします。

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何度やっても粘土細工は上手くいかないものの、わが家の老犬ジョンが、ぼくの粘土細工に最も頻繁に登場した、トップモデルだったものです。

粘土細工はとっても楽しかったものの、その後も掌に油粘土の油の匂いが沁みつき、その日一日その匂いに付き纏われたものでした。

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そう言えば近所の子らと地べたにしゃがみ込んじゃあ、こんな泥団子作りもせっせせっせとして遊びましたですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(422)

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子供の頃の、蒸し芋の続編です!

大の芋栗南京嫌いなぼくではありましたが、お母ちゃんが時折り作ってくれた、こんな鬼饅頭は別格で、ぼくも大好きなお母ちゃんお手製のオヤツでした。

特に蒸し上がったばかりの鬼饅頭は、ホッカホカで寒い日なんかにゃあ、とんでもないほどのご馳走でもあったものです。

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だから冬の日、学校から帰って玄関の引き戸を開け、「ただいま~っ!」と大きな声で叫びながら、鼻から息を吸い込んで、「今日はもしかしたら、鬼饅頭かな?」ってな調子で、家の中の匂いを嗅ぎ分けたりした覚えがあります。

でも内職仕事に追われるお母ちゃんにとっちゃ、鬼饅頭は蒸し芋より遥かに手間がかかり、ぼくが喜ぶからって、そうそうせんど作っちゃもらえませんでしたですねぇ。

そう言えば鬼饅頭もさることながら、年に1度や2度くらいの割合で、こんなロバパンのような蒸しパンが登場したこともありました。

でも蒸しパンの中身は、それこそ鬼饅頭のようなサツマイモばかりだったような?

それでも子どもの頃のぼくにして見たら、それこそ盆と正月がいっぺんにやって来たような喜びようでもありました。

もうどんなに願おうとも、二度と味わう事の出来ぬ、お母ちゃんの鬼饅頭。

形は店屋に並ぶモノとは違い、歪極まりないものではありましたが、ぼくにとっては掛け替えのないほど尊い、昭和半ばを代表するお母ちゃんの手作りオヤツの、王様だったに違いありません。


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これは昭和半ばの、ぼくがまだ小学校低学年時代、お母ちゃんが「鬼おろし」とか物騒な名前で呼んでいた、大根おろし器です。

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竹を割った物に、ギザギザの切り込みの入った薄い竹が、横に何枚も組み合わされていたものです。

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とは言え、本当に鬼を下ろすことは無く、もっぱら大根を下ろしてくれていました。

その後数年もしない内に、現在のようなステンレスやプラスチック製の大根おろし器が取って代わり、竹製の鬼おろしはどこへやら・・・。

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60年近く前の記憶ですから、言うまでもなく曖昧ではありますが、現代のそつのない大根おろし器で、満遍なく細かくすり下ろした大根より、粗削りで大根そのもののゴツゴツ感が混ざった、鬼おろしの大根おろしの食感が、今でも記憶の片隅にありありと残っているようです。

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焼き立てのサンマに、粗削りな鬼おろしを添え、キリン「晴れ風」と共に、お母ちゃんの味を懐かしみながら、今年の秋を愉しみたいものです!

あっ、でもその前に、竹製の鬼おろしを探さなくっちゃ!


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「昭和Nostalgia」(420)

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小学校低学年だった頃の微かな記憶によると、当時のわが家には、こんな菜切り包丁がたったの一本きりあっただけだった、そんな気がいたします。

でもお母ちゃんは、こんな菜切り包丁一つで、野菜は元より、魚や肉、皿には果物やらバターケーキまでをも、実に器用に捌いていたものです。

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当時の包丁は、今のようなステンレスとは異なり、直ぐに錆が浮くような代物。

日曜日になる度に、お父ちゃんがせっせと包丁研ぎをしておりました。

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もしかするとあの菜切り包丁は、お母ちゃんのわずかな嫁入り道具の一つだったのかも知れません。

お母ちゃんがこの世を去り、遺品整理をしていた時のこと。

ステンレス製の万能包丁の何本かとは別に、台所の引き出しの奥に、ぼくが子どもの頃使っていた、柄の朽ちかけたあの菜切り包丁が、おそらくお父ちゃんが最期に研ぎ上げた、ピッカピカのまま、大切そうに晒しに巻いて仕舞い込まれておりました。

お母ちゃんはきっと、当時いつも台所に立ち、苦楽を共にしたあの菜切り包丁を捨てるに捨てられず、家族の食の歴史を共にした戦友のような気持ちで、引き出しの奥に仕舞い込んでいたのかも知れません。

きっとお母ちゃんが、ネギでも刻んだ後、その菜切り包丁でバタークリームのクリスマスケーキを切り分けてくれたと思いますが、バタークリームの甘い香りに紛れ込んだ、刻みネギの香りが今でも忘れられません!

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それもこれも全てひっくるめて、どれもが大切なお母ちゃんの香りなんです!

そんなどーでもいいようなことが、押しも押されもせぬ、マザコン親父の誇りなんです!


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「昭和Nostalgia」(419)

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こんな水中輪投げのような、とってもアナログな、昭和チックな遊びがぼくは好きでした。

ボタンをおして水流を巻き起こし、水に浮かぶ輪っかを、途中に設置されたピンの中に入れると言うシロモノ。

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ところがドッコイ!

せっかく苦労して、何個かの輪っかをピンに通したにもかかわらず、最後の一個の輪っかをピンに入れようと、ボタンを押して水流を巻き起こすと、あろうことかせっかく苦労してピンの中に入れた輪っかまで、水流のせいで浮かび上がってピンの外へと流れ出してしまうじゃないですか!

なんてぇこったぁ!

結局、そんなことの繰り返しで、一向に輪っかを全部ピンに通すことなんて、とっても容易ではなかった事を、今さらながら思い出してしまいます。

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って、もっともぼくが買ってもらえたのは、冒頭の立派で大きなウォーターリングなんかじゃあなくって、ポケットサイズの小さなものでしたですけどねぇ。


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