「昭和Nostalgia」(217)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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こんな五右衛門風呂に入った事はありませんか?

ぼくは三重の田舎の、従兄妹のお兄ちゃんとお姉ちゃんの昔の家で入ったことがあります。

最初は釜の周りが熱くって火傷しないかなんて心配したものですが、ぜ~んぜん平気だったものです。

底には木製の踏み板があり、とってもまろやかで体全体が温まったものでした。

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果たしてお兄ちゃんと一緒に入ったのか、或いはお姉ちゃんと一緒だったのか?

その湯加減たるや心地よくって、わが家のお風呂とも銭湯とも異なり、お兄ちゃんだったかお姉ちゃんだったかと、キャッキャキャッキャと長湯を決め込み、はしゃぎたくっていたものです。

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すると窓の向こうから、オジちゃんの声が!

「どうや?ぬるうないか?もうちょっと焚いたろか?」と。

朝晩秋らしく少しヒンヤリし始めましたから、ついつい五右衛門風呂の温もりが恋しくなってしまいました!

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「昭和Nostalgia」(216)

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こんな三角牛乳も懐かしいですねぇ。

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今でもあるようですが、ぼくはとんと目にしなくなってしまいました。

なんでも細長い紙を折り紙のようにして、三角形のテトラパックを作るんだそうで、製造費もローコストだったそうですが、梱包して運搬するにはいささか難点もあったようです。

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ぼくにとって最初の三角牛乳との出逢いは、小学校の社会見学の時に、給食として焼きそばパンと一緒に配られた時だったように記憶しております。

そしてしばらくすると、通常の給食でも、瓶入りの牛乳から三角牛乳へと変わっていった記憶があります。

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「昭和Nostalgia」(215)

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子供の頃から今も、滅法ズボラなぼくではありますが、理科の実験室での様々な実験をする授業は興味津々だったものです。

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まずもって家ではお目に掛れないような実験道具が居並び!

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顕微鏡を覗き込むときなんて、結構興奮したものでした。

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何かの重さを量りで測定する時も、分銅をあれこれ選んだり、ピンセットで小さく軽い銅板のようなものを挟んで、そっと息を吞みながら秤の上皿に載せたものでしたねぇ。

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ビーカー、フラスコ、スポイト・・・。

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アルコールランプなぁ~んてぇのもございましたねぇ。

でも、骸骨の模型と、解剖された人体模型だけは、なかなか直視できずいつも目をそらしてばかりでした。

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ある日のこと。

下校時に気付いたんです。

理科の実験の時間に、実験室の席に忘れ物をしたことに!

ぼくは勇気を出して、たったひとりぽっちで、西日に染まって薄暗く静まり返った理科の実験室の引き戸を開け、骸骨の模型と解剖された人体模型から目をそらしながら、忘れ物を手にして一目散で実験室から逃げ帰ったものでした。

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「昭和Nostalgia」(214)

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こんな当時としてはハイカラな、バラの花のような香りのするガムを噛んで、口元から爽やかで馨しい香りを漂わせる、おませな女子がいたものでしたねぇ。

ぼくもハイカラなガムを噛んでは見たかったものの、そんなことを男坊主仲間に知られようものなら、今となっては差別用語だとそしられる様な「あっ、おとこおんなだぁ~」などと言われたことでしょう。

でも本当にいい香りがしたものです。

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何でも「食玩」と呼ばれるそうですが、こんなおまけ付きのガムもあったようですねぇ。

まだぼくが子供の頃には見かけなかったような?

それともぼくが通った「トシ君家のおばちゃん」の一文菓子屋には、そんなこれまたハイカラなガムが置いてなかっただけだったかも知れませんねぇ。

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こんなおまけが付いているなら、おまけ目当てでついつい買ってしまうんでしょうねぇ。

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「昭和Nostalgia」(213)

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これって、現代の若者が見たら、何だと思うでしょうねぇ?

ぼくも昭和も第4コーナーを回った頃、仕事の関係でこんなショルダーフォンをNTTさんからレンタルしていただき、使っていたものでした。

まぁ、とにかく2.5kgと糞重たくって、あちこち行くのに担いでいくには、肩が凝ったものでしたし、とにかく通話料金がこれまた糞高くって往生したものです。

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昭和の終わりには、こんなにスリムになった携帯が登場し、契約料も随分と高かったものの、利便性優先で所持したものでしたねぇ。

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ところがわずか30数年の間に、小型化が進み多機能さも充実したものですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(212)

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これに見覚えはありませんかぁ?

さすがにこのタイプの留守番電話は、まだとても高価だったようで、わが家にはありませんでした。

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でも商売屋さんの友達の家では、こんな旧式の留守番電話なるものを拝ませていただいたこともありました。

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でも大人になってからは、自分用にマイクロカセット型の留守番電話を設置したものです。

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今思えば、便利ではありながらも、いたずら電話のメッセージなんかも結構あったりしたものでしたねぇ。

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しかしそれをいちいち消去するのも、それなりに面倒だった記憶があります!

今ならスマホの留守電機能で十分なんですものねぇ。

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「昭和Nostalgia」(211)

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これをご覧になって「あ~っ、持ってた持ってた!」って、思わず叫ばれた方は、これまた押しも押されもせぬ昭和半ば人間に相違ありません。

ぼくも若い頃、花屋さんのバイトで、写真の左手と同様のポケベルを持たされたものでした。

花屋さんからぼくに用事があると、このポケベルがピーピーピーピーと、それはそれはけたたましい音を鳴り響かせたものでした。

ポケベルが着信すると、周りの公衆電話を探し、花屋さんへと電話を入れ、次にどこそこへ立ち寄るようにとか、指示をいただいたものでした。

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それから10年とか15年の内にポケベルも進化を遂げ、文字や数字がディスプレイに表示されるようになったものでした。

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今を遡る30年ほど前は、下校時の女子高生が、公衆電話に列をなし、物凄い速さでプッシュボタンを操作し、相手方の友達や恋人のポケベルにメッセージを送っていた風景も懐かしく思い出しました。

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ぼくにゃあ、女子高生の様な巧みなプッシュボタン操作術は、まったくありませんでしたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(210)

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小さな私鉄の駅にも、こんな伝言板が必ずあったものでした。

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今とは異なり、携帯電話もなければ、連絡を取るのもなかなか簡単な事じゃありませんでした。

当然いまほどマイカーも普及しておらず、もっぱら交通手段と言えば、公共の電車やバスでしたから、「伝言板」なるものも活用されたものでした。

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一度白墨で伝言を記せば、6時間は消されぬまま、伝言が無料で残せたわけですから、画期的なものとも言えます。

わずか一行だけの伝言ではあっても、記入者の筆跡と文脈が遺され、人肌以上の温もりが感じられる気がします。

まぁ、今のLINEの返信を簡単に送る絵文字一つよりは、真心が感じられるかも知れませんねぇ。

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「昭和Nostalgia」(209)

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ぼくが初めてスキーを体験したのは、昨日のブログでもお話いたしましたように、カブスカウトのスキー教室で白馬のゲレンデへ行った時でした。

確か、小学校の3年生の冬であったはずです。

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当時のスキー道具は、今とは比べ物にならないほど、実に粗末なものだったものです。

木製のスキー板に竹製のストック、そして写真の様な重たいスキーシューズで、靴の踵の枠にスプリングを噛ませて、靴前方の金具を押し倒してロックすると言ったもの。

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もちろん初心者でしたから、ロープリフトのロープを両手を前後に伸ばしてしっかりと握り、そうして体を支え勾配を登ってゆくのですが、どういうわけだかスキーを履いたお尻だけが前方へとどんどん先に滑って行って、やがてそのまま仰向けに寝そべったような状態に!

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とうとう自分の体重を両手で支え切れなくなって、ロープから手が離れてしまいます。

すると今度は、仰向けの状態のままズルズルと勾配を滑り落ちてゆき、後続で登って来る仲間に体当たり!

そこへその後続者も重なり合い、見る見るうちに手の付けようもない団子状態となったものでした。

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夕方民宿に帰ると、こんな乾燥室で濡れたスキー道具や、ウエアーを乾かしたものでした。

晩御飯までのひと時は、みんなで炬燵に潜り込み、民宿のおばちゃんが運んでくれたアッツアツのお茶を啜り、お茶請けの自家製野沢菜に舌鼓を打たせていただいたものでした。

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「昭和Nostalgia」(208)

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これをご覧になって「懐かしい!」と感じた方は、これまた立派な昭和人に違いありません。

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JRがまだ「国鉄」と呼ばれていた頃、みどりの窓口で座席指定の切符を買おうとすると、窓口の係員が

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こんな鉄製のノートの様な「マルス端末」と言うもののページをめくって、乗車駅と降車駅にピンの様なものを差し込んで、座席指定の予約を入れると言ったものでした。

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そしてこんな切符が発券されたものです。

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そう言えば、中学校の卒業旅行で、友人4人と長野県の白馬へスキー旅行に出かけたことがありました。

そこはぼくがカブスカウトの頃、カブスカウトのスキー合宿で伺ったことのある民宿で、ぼくが民宿の手配やら、それこそ名古屋駅のみどりの窓口で、夜行列車の指定席切符を手配したものです。

そう考えると、ぼくもそこそこの「乗り鉄」だったのかも知れません!

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でも当時の白馬には、ロープリフトが1本と、ちゃんとしたリフトが1本あっただけだったものです。

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