「昭和Nostalgia」(236)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

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これが何だかお分かりですか?

子どもたちにとってのご馳走「たません」です!

って、ぼくの子供の頃は、毎日通う一文菓子屋の「トシ君家のおばちゃん」の店で、こんなゴージャスな「たません」を年に数回程度買ってもらったものでした。

写真は参考

タコ煎餅にお好み焼きソースが塗られ、鉄板で平べったく焼いた目玉焼きがサンドされ、お好み焼きや焼きそばに振り掛ける青海苔が、彩として散りばめられたそれだけの物。

でもタコ煎餅の塩味と、お好み焼きソースの甘っ辛さが卵焼きに絡まって、何とも言えない味わいだったものです。

皆さんもお召し上がりになりましたか?

今度見かけたら、ビールのあてに買ってみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(235)

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小学校の何年生の時だったかすっかり忘れてしまいましたが、校庭に体操の時の紅白帽を被って並び、全校生徒で人文字を作って航空写真を撮影していただいたことがありました。

小学校の創立何十周年めかの節目だったのか?

写真は参考

その航空写真を購入したものの、ぼくが一体どこにいるのやら?

お母ちゃんもお父ちゃんも、目を皿のようにして「あっ、これやこれやぞー」とか「違うって、こっちやこっち!」とか、まぁいずれも良い頃加減なもので、わが家はその航空写真一枚で、全く持ってウオーリーを探せ状態でした。

その航空写真もいつのまにやら、どこへやら?

皆さんも航空写真を撮られませんでしたか?


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「昭和Nostalgia」(234)

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ぼくの左腕にも、こんなBCGの接種跡があります。

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BCGって、結核予防のワクチンだったんですねぇ。

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BCGを接種したことも知っていましたが、果たしてそれは何の予防であったかなど、知らぬままこの歳になっておりました。

しかしBCG接種をしたことで、これまで結核にならずに済んだのですから、お母ちゃんや保健所の皆様にただただ感謝ばかりです。

参考資料

お母ちゃんの遺品の一つ、お母ちゃんとぼくを紡ぐ母子手帳には、昭和35年8月17日に名古屋市南保健所でBCGの接種を受けたと記録されています。

おかげで今日、母の享年より3年も多い、67歳を迎えることが出来ました!

写真は参考

それにしても8/17なんて、さぞや暑かったであろう日に、お母ちゃんは2歳と9ヵ月になったぼくを、抱っこか負ぶって、バスに揺られ保健所まで連れて行ってくれたことでしょう。

返す返す有難いものです。


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「昭和Nostalgia」(233)

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ぼくん家のそばの公園にはありませんでしたが、こんな過激な円錐形のグメグル回る遊具もありましたねぇ。

少し離れた公園にこの遊具があり、友と自転車を転がし遠征したものでした。

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でも隣町の腕白坊主共によそ者がなんだとばかりに、寄ってたかって遊具にぶら下がり、グルグルグルグル回されたものでした。

やっぱりアウェーの公園では、なかなかいつものように都合よく、ぼくらのペースで遊ばせてはもらえないものでした。


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「昭和Nostalgia」(232)

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どこのどんなに小さなドングリ広場にも、必ずと言っていいほどあったブランコ。

ところが極めてポピュラーだった、昭和半ばの子どもたちの遊具として人気だったブランコすら、一つ二つとその姿を消していったようです。

これもやはり、子どもたちにとって危険だと言う、そんな理由でしょうか?

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ぼくらの腕白時代は、座ったままブランコの弧を大きく振り、そのまま前方に向かって体だけブランコから飛んで、着地した距離を競った覚えがあります。

まぁ、運動音痴だったぼくは、いつも友に後れを取るばかりでしたが!

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ちょっと立派な公園では、こんなゆったりとした幼児向けのゴンドラタイプのブランコも見かけられたものでした。

しかしこれまた姿を消してしまった、絶滅級のブランコのような気がいたします。

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いずれにしても、昭和の時代を彩った、あのビリーバンバンの名曲「白いブランコ」も、ずいぶん遠くへ行ってしまった気がしちゃいますねぇ。


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「昭和Nostalgia」(231)

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こんな鎖の梯子のような遊具もあったような?

仮面の忍者赤影に魅せられていた頃、忍者が鎖の梯子を伝って城壁を登るシーンを真似て、赤影ゴッコなんてぇのもしたものでした。

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こんなうんていとか呼ばれた遊具もありましたねぇ。

雲梯(うんてい)ってぇのは、何でも長い梯子のことだとかで、城を攻める際の攻城兵器だったとか。

だとすれば、まんざら赤影ゴッコも的外れじゃあありませんでしたかぁ!


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「昭和Nostalgia」(230)

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そう言えば、最近の公園では、とんとこんなジャングルジムを見かけなくなってしまいましたよねぇ。

ぼくも子供の頃は、よく遊んだものでした。

小さく身軽な子どもの体だから、ジャングルジムの中を縦横無尽に移動できたのでしょうねぇ。

しかしメタボなオッサンじゃあ、体が鉄枠の中に挟まって身動きできなくなっちゃうでしょうねぇ。

写真は参考

そう言えばこんな、回転式のジャングルジムもありましたねぇ。

正式名称はなんてぇ名前なんでしょう?

いずれの遊具も近頃お目に掛れないのは、やっぱり子どもたちの安全第一を考えてのこと何でしょうかねぇ?

それにしても昭和半ばを駆け抜けた、やんちゃ坊主もお転婆娘たちも、少々の擦り傷や打ち身などへっちゃらで、遊び回ったものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(229)

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公園の遊具の中で、なくちゃぁならないものの一つは、滑り台じゃないでしょうか?

ぼくが足蹴く通った公園にも、こんな滑り台が設置されていて、子どもたちの列が出来ていたものでした。

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さすがに家の近所の公園には、こんな富士山型の滑り台はありませんでしたが、少し足を延ばした大きな公園には、公園のランドマークの様にこんな富士山型の滑り台がデーンと設置されていたものでした。

片側のボルダリングのような石の突起のある方から登って、反対側を滑り降りると言うものですが、ぼくが子どもの頃に見かけた、大きな公園の富士山型滑り台には、そんなボルダリング風の登り口の突起が無かったように記憶しています。

だからみんな、裾野の手前から助走を始め、勢いをつけて駆け上がろうとしたものです。

ところが低学年のぼくの脚力なんてヘタレで、7合目くらいまで駆け上がれても、そこで失速。

底のすり減ったズックではブレーキもかからず、そのままズルズルと後ろへと滑り落ちてしまったものです。

でもまぁよくよく考えたら、前に滑るも後ろへ後退して滑り落ちるも、滑り台だからそれはそれかぁ!

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小さな頃の娘も、滑り台が大好きで、キャッキャキャッキャと喜んでいた幼い顔を思い出しました。

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「昭和Nostalgia」(228)

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子供の頃のぼくの家から、ほんの1分もかからない所に、ちょっと大きめのドングリ広場がありました。

そこには砂場やジャングルジムに鉄棒、滑り台からうんていの器具まで設置されておりました。

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ぼくはこんなシーソーがとっても好きでしたねぇ!

でもぼくらの時代は、こんな金属製の握り手ではなく、麻縄のロープの輪っかだったような?

しかも当時は誰一人、シーソーなどとは呼ばず、ぼくらは「ギッタンバッコン」と、そう呼んで親しんでいたものでした。

皆々様のところでは、なんとお呼びになっておられましたか?

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「昭和Nostalgia」(227)

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昭和半ばの男坊主どもは、TVの人形劇「サンダーバード」の虜となったものでした。

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この番組は、1965年から1966年(日本では、NHKで1966年4月10日 – 1967年4月2日)にイギリスで放送されてた、パペット(人形)劇による1時間枠の特撮テレビ番組だったそうです。

つまりぼくが小学3~4年生の頃。

クラスの男坊主どもに絶大な人気を誇ったものでした。

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なかでもぼくが最も憧れたのが、このサンダーバード2号。

胴体に別の兵器を格納して空を舞う姿が忘れられません。

友達の一人が、このサンダーバード2号のプラモデルを買ってもらい、羨ましそうにぼくらも見せて貰いに出掛けたものでした。

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どんなにお母ちゃんにせがんでみても、とても買ってはもらえませんでしたねぇ。

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