「昭和レトロの居心地の良さ!」

まるで映画「Allways 3丁目の夕日」そのものの、よく手入れの行き届いた、ミゼットを見せてもらいました。

もちろんエンジンも一発でかかり、すこぶる快調そのものです。あっ、止まってしまうのではないか…と思えるほど、安定性に乏しいエンジン音は、まるで年老いた人間の心臓の鼓動のようでもあり、愛おしさが募るばかりでした。

続いて案内されたのは、思わず懐かしさがこみ上げる、昭和レトロな萬屋さん。

タイル貼りのタバコのショーケースも健在なら、ガラス張りの蝿帳、そして食品や調味料もあれば、駄菓子や生活雑貨にビールと焼酎にホッピーまで。おまけに隣には、機械油まみれのかつての自転車屋さんの道具類が整頓され、在りし日の主を偲んでいるかのようです。

ここで、キリンクラッシックラガーをしたたかにいただき、友人が持ち込んだ曳き売りの木綿豆腐を、お母さんの手で酒の肴に切り分けてもらえました。

ふと耳を澄ますと、奥の部屋から母の呼ぶ声が聞こえてくるようでした。

それからこのブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「君への讃歌」~その後

「君への讃歌」  詩・曲・唄/オカダ ミノル

サヨナラ愛したこの街とそして君とも

綴りかけた物語のペンは今置くよ

アリガトウ君は誰よりやさしかった

酔いにまかせた夜はきっと逢いたくなるはず

 出逢いはただそれだけで 罪深いものだね

 こんな別離と知れば 逢わなきゃよかった

サヨナラサヨナラ心やさしき人たち

いつまでもぼくは忘れない素敵だった日々を

アリガトウアリガトウ心を言葉に代えて

君だけには本当のことを言えたら良かった

 夢さえ捨て去れたなら 歯痒い想いも

 しないですべて君だけに 生きて行けたのに

 

 サヨナラ愛していたよ 本気さ今でも

 サヨナラ愛すればこそ 別離は辛いね

この「君への讃歌」は、古ぼけたファイルを引っ繰り返して見ると、1980年のLiveで最後の曲として歌っていたことがわかりました。

ちょうど来年で40年前になる昔から、ぼくはこの歌を、名も無いぼくのちっぽけなLiveにおいで下さった皆様へ、感謝の意を込め声を限りに歌ったものでした。

ですから以前のブログにも、これまで応援してくださった皆様への、感謝とお別れのご挨拶に代えて、この「君への讃歌」の歌詞だけを最後の最後にアップしようと、公開寸前で保存しておりました。ところがぼくが予期していた前日8月29日に、その瞬間が訪れてしまい、結局ブログに上げる事すら叶いませんでした。そんなこともあり、大変遅ればせながら、このブログに掲示させていただいた次第です。

しかし人生ってやつは、とことん難儀なものです。でもそれ故、もがき苦しみ歩み続けて来た道だからこそ、改めて振り返って見ると、逆になんだか愛おしくもあるものです。

明日だけを信じることで救われた40年前のあの日。40年経った今だからこそもう一度、明日だけをただただ信じて、生きて見ようと改めて思うことにしました。

誰かを恨むことばかりに執着すれば、やがてその分、心の色までもくすんでしまいます。

さあもう一度、はじめの一歩から。

ぼくにはぼくが歩いて行かねばならぬ道が、この先にももう少しあるはずだから。

ブログのコメント欄や、minoruokadahitoristudio@gmail.comへのメールでも、本当にたくさんの励ましのお便りを頂戴いたしました。

この皆様方のコメントすべてが、ぼくの明日へと旅を続けるための、新たなパスポートだと信じて、頑張りすぎずに頑張ります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

◎お詫びとご案内

今回は、ど素人のぼくのせいで、9月5日に開設したぼくのブログと、皆様方からお寄せいただいた貴重なコメント約60通を、うっかり消滅させてしまいました。誠に申し訳ありませんでした。

やっと復旧することが出来、お約束の毎週火曜日午後10時のアップに間に合うことが出来ました。

それからこのブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「残り物クッキング~蛸ブツ梅肉和え」

ブツ切りにした茹で蛸と、キュウリの薄切りを合わせ、梅干を微塵切りにして酒でのばした梅肉ソースで和えただけの、良く冷やした「蛸ブツ梅肉和え」です。

ちゃちゃっと出来上がり、ビールにも白ワインにもピッタリな、爽やかで酸味もあり熱中症対策の酒の肴となりました。