「昭和Nostalgia」(246)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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「オシッコを音で知らせるオムツカバー」なんてぇ便利なものが昭和半ば以降に誕生していたようですねぇ。

もちろんぼくは知りませんでしたし、使ってもらったことも無かったはずです。

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ぼくがまだ赤ちゃんでオムツのお世話になっていた頃は、もっぱらお母ちゃんお手製の晒し木綿のオムツだったと思われます。

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ちゃんとそんなオムツをした白黒写真が、古いアルバムの中にあります。

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きっと当時のわが家の洗濯物の物干しでは、洗いざらされた木綿のオムツが、こんな風に棚引いていた事でしょう!

もしぼくがオムツのお世話になっていた時代に、こんな「ヘルスベビー」なるものがあったとしたら、お母ちゃんの背に負ぶわれていた時にお漏らししたとしても、お母ちゃんの背中に染み出す前に事態を収拾出来たんでしょうけどねぇ。

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それも今となってはとても叶わぬことかぁ!

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こんなぼくでも、娘が赤ちゃんだったころは、こんな紙おむつをせっせせっせと取り換えてやったものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(245)

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昭和のクリスマスって言うと必ず、こんなチキンの照り焼きのような物が食卓に並んだものでしたねぇ。

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本来欧米では七面鳥なんでしょうけどねぇ。

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七面鳥はとても大きく、ニワトリが全長約70cm、体重3kgほどに対し、七面鳥のオスは全長約120cm、体重9kgほどと、とっても大きな鳥のようですし、日本じゃあなかなか七面鳥の肉なんて手に入りませんから、ニワトリが代用されるようになったとか。

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しかもローストではなく、巨大な焼き鳥のような照り焼きとか!

わが家もお母ちゃんがスーパーで買い求めた、照り焼き風のチキンでしたねぇ。

でも何でクリスマスに欧米人は七面鳥にこだわるのだろう?

どうにも気になってちょいと検索するとこんな説に出くわしました!

そもそも欧米で七面鳥が食べられるようになったのは、17世紀頃なんだとか。

その頃は、イギリスの移民がアメリカに移住したばかりの頃で、イギリスから持ち込んだ農作物がうまく育てられず、食事もまともに取れなかったんだそうです。

こんな状況を目にしたアメリカン・インディアンが、七面鳥をはじめ農作物を分け与え、英国からの移民たちも飢えをしのぐことができたんだとか。

そのお礼として翌年、英国移民たちはインディアンに感謝するため、フェスティバルを開いたそうです。

そのフェスティバルのおもてなし料理の中に、七面鳥料理が入っていたことから、お祝いの日の特別な定番料理となったようです。

感謝祭が開催されるのは毎年11月の第4木曜日と決まっていて、本来のクリスマスではないのですが、感謝やお祝いの気持ちを込め、七面鳥を食べることが広く認識され、クリスマスなどのイベントで七面鳥料理が食卓に並ぶようになったとか。

でもこれまでの人生の中で、ロースト七面鳥なんていただいたことが無いなぁ!

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まぁ、同じ七面鳥なら、ぼかぁワイルドターキーの水割りの方がいいやぁ!


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「昭和Nostalgia」(244)

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街のあちらこちらでクリスマスツリーを見かけるようになりました。

もう世の中は、クリスマス一色ですねぇ。

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ぼくは子供の頃、クリスマスが近付くと、こんなクリスマスブーツを買ってもらうのが楽しみでならなかったものです。

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和室にクリスマスツリーを飾り、とんがり帽子なんぞを被って、こんな感じの和洋折衷で家族でクリスマスを楽しんだものです。

でも写真の裕福なお宅とわが家は違い、ステレオもありませんでしたし、クリスマスツリーも写真のような大きく豪華なものではありませんでしたねぇ。

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子供会では、こんなクリスマスパーティーもあったものでした。

近所のご隠居さんがサンタさんの衣装を着て、「メリークリスマス!」なんて!

しかしこの齢ともなると、クリスマスといえど、もう心もときめかなくなっちゃっていけませんねぇ。

そんなこっちゃ困りますから、今年はシュトーレンでも買い込んで、グリューワインででも暖を取ってみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(243)

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こんなベルマークを集めて、学校に持って行きませんでしたかぁ?

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こんなにも沢山の企業がべルマークに取り組んでいたんですねぇ!

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家もお母ちゃんが、どうせ同じものを買うならって、ベルマークの付いた企業の商品を購入していたものでした。

一つ一つ鋏で切り抜いて、学校に提出するのを楽しみにしていたものでしたぁ!

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色んな商品にベルマークが当時は付いていたものでしたねぇ!

今でもベルマークの活動なんてあるんでしょうか?

でもぼくん家が提出したベルマークは、果たしてどんな教材やら遊具になったのやら?

参考資料

こんな立派な公益財団法人があったんだなんて、この歳になるまで全然知りませんでしたぁ!(汗)


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「昭和Nostalgia」(242)

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ぼくは滅法、子供の頃からこんな麩菓子が好きでした。

今はもっぱら、お菓子の方ではなく、焼き麩や生麩に角麩ばかりですが、これまた焼いても煮ても美味しくって、酒のあてにももってこいです。

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ですから旅先でも麩料理を見かけると、ついつい所望してしまっていたりします。

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全国各地には、それぞれに特徴のある焼き麩なんかが、土産物としても並んでいたりして、ついつい買い込んだものです。

とは言え、まだまだ口にしたこともない焼き麩が、各地にあるようでいつか旅に出られたら、いただいてみたいものでもあります。

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この中でぼくが口にしたものなんて、鍋料理に入った宮城の油麩と、金沢おでんでいただいた車麩くらいなものです。

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こんな季節を彩った生麩が、料理の色合いを見事に惹き立ててくれるものですよねぇ。

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そう言えばお母ちゃんが作る茶碗蒸しにも、必ずこんな花びらを象った焼き麩が添えられていましたねぇ。

ぼくは出し汁が凍みた焼き麩がことのほか好きで、ぼくの茶碗蒸しにだけ特別に、他の具を入れず焼き麩だけで作ってもらったものでした。

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それとどうやらこの地方独特なものが、この角麩のようですねぇ。

わが家の食卓に角麩が登場したのは、中学生になってからの事。

小学校の時とは異なり、給食が無くなって弁当持参になってからでした。

仲の良かったH君の弁当のおかずに、この角麩を甘辛く煮たおかずが毎日添えられていたのです。

わが家ではお目に掛った事のない角麩だっただけに、いったいどんな味の物だろうかと興味津々で、H君の角麩を一切れ食べさせてもらったんです。

そしたら何と何と!

食感と言い味と言い、申し分ないではありませんか!

そんな事があって、お母ちゃんに角麩を食べさせて欲しいと嘆願し、わが家の食卓にもやっと上るようになったものでした。

よくよく考えると角麩は、お値段もお値打ちで、腹持ちも良くなかなかどうしてな優れものの食材です。

ぼくのお気に入りは、バターで角麩を焼いて、塩とブラックペッパーを振り、ほんの少しお醤油を垂らし、キリン淡麗グリーンをキキュッと煽りながらいただくのが一番です!


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「昭和Nostalgia」(241)

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昨日の貯金箱の続きです!

こんなモンローの貯金箱もあるんだそうですねぇ。

コインを投入する度、風が吹き上がり、モンローのスカートが捲り上がるってぇ寸法だそうです!

こんな貯金箱なら、鼻の下を伸ばして、ついつい小銭も貯まっちゃうかも知れませんねぇ?

この有名なシーンは、ご存知1955年の映画『七年目の浮気』です!

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ぼくがこの世に産声を上げる2年も前の作品と言う事になります。

なんともセクシーな男心を今でもくすぐるこの名シーン!

歩道の通気口から地下鉄の通過する音が聞こえ、思わずモンロー扮するヒロインは、通気口まで足をのばし、「あら、地下鉄から風が吹いているのね?(Ooo, do you feel the breeze from the subway? )」と。

その時通気口から風が舞い上がり、モンローの白いドレスの裾が巻き上がり、彼女の脚が露わになる20世紀の名シーン!

ぼくは随分大人になってから、この名作をビデオで拝見したものです。


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「昭和Nostalgia」(240)

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確かわが家にもこんな豚の貯金箱があったものです。

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こちらのポスト型の貯金箱も、どこのご家庭でも見かけた気がいたします。

それはそうと、なんせ1日10円玉一個のお小遣いじゃあ、なかなか貯金箱に投入できるはずもなく、もっぱら時折りやって来る、母方のお婆ちゃんに小銭を入れてもらうばかりだったように記憶しております。

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友だちの家には、こんなトッポジージョの貯金箱もあって、羨ましく思ったこともありました。

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ぼくは見かけたことはありませんでしたが、コインを投入すると男の子と女の子がkissするなんてぇ、とても可愛らしい貯金箱もあったようですねぇ。

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こんな貯金箱があったら、1日分のお小遣い10円で、くじ引きもやらずアイスキャンディーも我慢して、トシ君家のオバチャンの一文菓子屋で1円玉を10枚に両替してもらって、せっせせっせと1円玉を貯金箱に投入し、10回分のkissシーンを矯めつ眇めつ眺めたことでしょう。

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なかにゃあこんなに進化した貯金箱もあったようです。

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これもコインを入れると、ラジオ型の貯金箱が昭和の出来事を喋り出すんだとか!

そして昭和も終盤に近付くと、

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当時一世を風靡した、テーブル型のインベーダーゲーム機のミニチュア貯金箱まで登場したみたいです。

残念ながぼくは、その本物に巡り合ったことはありませんでした!


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「昭和Nostalgia」(239)

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こんなブーメランで遊んだことがあるのは、やっぱり昭和半ばの腕白坊主どもだけでしょうか?

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さすがに女子はこんな遊びはしませんでしたかねぇ。

そもそもブーメランと言うと、ついついオーストラリアの先住民、アボリジニが狩猟や儀式で使用するものとして知られていて、ぼくもすっかりブーメランはアボリジニが生み出したものだとばかり思い込んでおりました。

しかし今さらながら調べてみると、アフリカやヨーロッパの岩絵や遺跡にも描かれているそうで、その歴史たるや紀元前まで遡れるのだとか。

参考資料

「く」の字の形状をした木製のブーメランは、手で握って少しだけ傾けて縦に投げると、そのまましばらく飛行してやがて手元に戻って来ると言うスグレモノ。

写真は参考

しかしそれにしても、紀元前の人類がこんなブーメランのメカニズムを知り得ていたとはビックリ!

1950年代後半から1970年代前半にかけ、駄菓子屋でプラスチック製のブーメランが子ども用のオモチャとしてもてはやされたと言いますから、まさにぼくの子供の頃にドンピシャです。

それと同時に、60年代の特撮作品『怪獣王子』で、主人公の少年の武器として大型のブーメランが登場し、小学館の子供向け雑誌でも紙製ブーメランが付録になるなど、子どもたちのオモチャとなったようです。

ぼくはお父ちゃんが木を削って作ってくれた、お父ちゃんお手製のなぁ~んちゃってブーメランが自慢の一つでもありました。

でも何度投げても、一向にぼくの元へ戻って来てはくれなかったような?


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「昭和Nostalgia」(238)

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こんな小学生たちの心の駆け込み寺のような「保健室」。

ぼくの小学校にもありました。

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とは言え、すこぶる元気だったぼくは、なかなか保健室の扉を開けることはありませんでした。

でも小学校の4年の時に隣の席だった女子は、少しだけ体の弱い子で、事ある度に保健室の先生の下で休んでいたものです。

その子の話によれば保健室の先生は、とっても優しくって美人で、一緒に居てくれるだけで心が休まると!

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ぼくも美人の誉れ高い、保健室の先生に優しくしてもらいたいなぁと、それこそ熱でも出ないものかと、ついつい不謹慎にも思ったりしたものでした。


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「昭和Nostalgia」(237)

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ぼくも小学校の頃は、こんな名札を左胸に付けておりましたねぇ。

ぼくの名札の台座は、フエルトの生地で、こんなプラスチックの名札に、お母ちゃんがひらがなで名前と、何年何組と書いてくれていた記憶があります。

この写真のような血液型は、表記されていなかったような?

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そしてこんな学級委員のバッヂにも憧れたものでした。

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名札の横にこんな役職名が記載されたバッチを付けたくって、ぼくも何年生の時だったかに、晴れて「放送委員」とかを拝命し、お昼時間に放送室で校内放送をやったものでしたねぇ。

はてさて、いったいどんな内容の放送をしたのやら?


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