「泪にCheers」

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今日は、「泪にCheers」をスローバラード風の弾き語りでお聴きください。

って、その前にやっぱり、速報②「KIRIN BEER PRESENT’S オカダミノル ほろ酔いLive 2019 in DAIKOKU 開催決定!」詳細のご案内ですね!

DAIKOKUの入り口です。

美殿町の一本北側、こんな小路の左手です。

さあ、ステージへどうぞ!

こちらがステージです。オーナーの「兄やん」のドラムセットが鎮座されています。

KIRIN BEER PRESENT’S 「オカダ ミノル ほろ酔いLive 2019 in DAIKOKU」

●日 時:2019年12月14日(土)14:00開場、14:30頃開演、16:30頃終了

●会 場:DAIKOKU 岐阜市御浪町24 058-265-8687

●出 演:オカダミノル

●参加費:お一人様Live Charge 3,000円(*KIRIN BEER or KIRINのソフトドリンク飲み放題と、お料理1品付き。追加のお料理は、個々に別途でお支払い願います)

*参加者全員に、KIRIN BEERさんからのお土産もご用意いただけます!

●定 員:45名(全席自由席)

●申込み:メールで、herakozu@yahoo.co.jp「オカダミノルほろ酔いLive 2019」係まで。メールには、必ずラジオネームとご本名、ご連絡先のお電話番号と、参加人数をお書き添え願います。*万が一キャンセルの場合は、必ず12月7日(土)17:00までにメールでご連絡願います。その時点を過ぎると、全額ご負担いただくこととなります。

●締 切:11月10日(日)*但し定員となり次第締め切り

●問合せ:herakozu@yahoo.co.jp

●主 催:オカダミノルほろ酔いLive実行委員会

*Live終了後は、そのままDAIKOKUでオカダミノルもご一緒させていただき、二次会打ち上げパーティーを開催いたします。(*二次会のご飲食代は、別途実費精算となります)ご希望の方は、お申し込み時に「二次会出席希望」とお書き添え願います。

そしてもう一つお知らせが!新曲「忘れないで!」が出来ました!お披露目はやっぱり、この「ほろ酔いLive」で!ご期待ください!

それでは改めまして、今日は「泪にCheers」をスローバラード風の弾き語りでお聴きください。

『泪にcheers』

詩・曲・歌/オカダ ミノル

こぼれ落ちた 泪の数だけ 幸せが 君を待ってるはず

素直なままの心で  誰の目も気にせず 君は君らしく

戻れない もどかしいあの日 悔やんでも 心晴れやしない

明日だけただ信じて  君の明日は 君だけのもの

 泪にcheers 差しつ差されつ 酒ですべてを 呑み込めばいいだけ

  泪にcheers 酔い潰れても ぼくが傍に いるから

掴み損ね 転げ落ちた夢も 掴めるまで掴み続けれりゃいい

もう駄目と 溜息落とせば 叶うものさえ 潰えてしまうだろう

生きていれば 誰もが夢抱く トキメキに心躍らせては

やがていつか 傷付く怖さに 怯えないで心まで閉ざさないで

  泪にcheers 君の哀しみ 最後の雫   枯れ果てるまで流そう

  泪にcheers 泣き疲れても ぼくが傍に いるから

*繰り返し

ぼくのCD「Mammy’s Forest」の中に収められた、「泪にCheers」もお聞きいただければ幸いです。

この「泪にCheers」にぼくは、こんな思いを重ね合わせていたのでしょうか?

泪には、喜怒哀楽すべてのシーンで、その時々の心模様における、言葉ではとてもいい表せられない、また顔の表情でも表現しようのない、まったく別回路から湧き出でるものではないでしょうか?

確かにぼくも、怒と哀の泪は、出来ることならば、避けて通りたいとかねがね思っています。しかし人がこの世で生かされて行く上に於いて、そんな都合の良い事ばかりにはとてもまいりません。時として余りにも理不尽な思いを強いられたり、許すことの出来ないような思いに至ったり。しかし悲しいかな、それを避けて通ることなど何人も出来っこありません。自分に課せられた試練だと受け止め、その怒りや哀しみを、泪で洗い流して清めてくれるのが泪ではないでしょうか?

何だかこの頃つくづく感じます。いたずらに齢を重ねた分だけ、涙腺が本当に緩くなって来たことに。

そりゃあどうせ流す泪なら、喜と楽が一番に決まっています!だからこそ、そのためにも怒と哀の泪は、早くすべて流しきってしまい、まだ見ぬ明日だけを信じ、「Cheers!」と楽天的に、生きて行こうと痛切に感じております。

明日は今日の、延長線にあるなんて、何の保証すらないと思えます。誰にも平等に、明日は不確かなもの。だからこそ人は、今日を精一杯生きようとするものです。「一所懸命」と「一生懸命」。似て非なるものでもあります。ならばぼくは、居場所こそなくとも、「一所懸命」を肝に銘じ、もう一度生きて行こうと思っています。

「泪にCheers!」。泣いた後にそう、自分自身で言えるように、「一所懸命」。

皆々様と、ほろ酔いLiveでお目に掛かれる事が出来れば、何より幸いです。

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「紙石鹸」。小学生の頃、女の子が花柄が描かれたチリ紙や、刺繍の入ったハンカチを貸してくれると、何とも言えないいい匂いがしたものです。少なくとも家の便所にある灰色がかった、ゴアゴアのチリ紙とは比べようもない程。ある日そのいい匂いの正体がどうしても知りたくて、幼馴染の女の子に尋ねたことがありました。するとチリ紙やハンカチと一緒に、紙石鹸とやらを1枚忍び込ませているんだと聴かされました。確かに近所の一文菓子屋で、女子が屯しているコーナーで、紙石鹸を見たことはありました。しかし腕白坊主どもには、紙石鹸になけなしの小遣いを使うより、まずは空腹を満たす方が優先事項でしたから、一度も買うことはありませんでした。それに女の子ばかりの所に割って入って、紙石鹸に手を伸ばす勇気など、元々ぼくは持ち合わせていなかったようです。今回はそんな、『紙石鹸』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「残り物クッキング~絹厚揚げのチリビーンズ煮込み」

先日、「花屋のたけちゃん」から、たまにゃあ赤ワインに合う料理も、お願いしますよと、リクエストをいただいておりました。

しかし普通に肉料理では、ちゃんとしたお店のステーキと赤ワインにゃ、ぼくなんぞが勝てっこないやと考え、冷蔵庫と保存庫を眺め回して見ました。

すると冷蔵庫には、さすがに油揚げはぼく自身の大好物だけありまして、絹厚揚げの買い置きがございました。また保存庫には、チリビーンズの缶と、ビン入りのタコスソースがございましたので、これで一捻りして超お手軽簡単、フェイクミートの「絹厚揚げのチリビーンズ煮込み」にしてしまえと考えた次第です。

作り方は、超ズボラ!まず絹厚揚げを、オーブントースターで焦げ目が付く程度に焼きます。

その間に、フライパンにチリビーンズ缶を開けて入れ、そこにタコスソースを一瓶丸ごと投入し、赤ワインを注ぎ入れ軽く煮立て、そこにパルミジャーノレッジャーノを下ろして入れ、焼き上がって三角に切った絹厚揚げを加えて、軽く煮立てれば出来上がり。最後にぼくは、生クリームを上から流して見ました。

何も、絹厚揚げで無くても、普通の厚揚げでOKですし、パルミジャーノレッジャーノをパルメザンの粉チーズに替えてもOKです。

ビーフの代わりが三角形の絹厚揚げで、まるで精進料理の様にヘルシーですが、パルミジャーノレッジャーノと生クリームが、赤ワインにぴったりな濃厚さを引き出してくれました。

これだったら、そうそうカロリーも気にしなくてもいいかと、ついつい赤ワインを美味しくいただいてしまい、後でよくよく考えたら、せっかくお肉を厚揚げに替えてローカロリーにした意味がないやと・・・。トホホ、もう後の祭りでした。

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「津軽リンゴだあ!」

のっけ丼とキリン一番搾りで大満足になった、腹ごなしと酔い覚ましを兼ね、徒歩で365日ねぶた祭と言う、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に向かう途中、リンゴの木を見掛けました。

すっかり赤いほっぺのように色付いていて、落っこちて来てくれないものかと、口を広げて待って見ましたが、そんな棚から牡丹餅なんぞありません。

さっそく、あの奥にエビ茶色のモダンなスチールの外壁を巡らせた、ねぶたミュージアム「ワ・ラッセ」へと。

初体験のねぶたに、もうすっかり心ウキウキ!

メインエントランスを抜けると、ねぶたと跳ね子のマネキンがお出迎えです!

顔出しバネルがありましたので、ぼくも記念に1枚!何だかすっかり気分は、ぼくも俄か跳ね子です!

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「青森駅界隈の町ブラ昭和残像ウォッチング」

ぼくの心の故郷は、どんなに時代が進化し続けようと、両親と貧しいながらも笑い合い、支え合って生きた、昭和半ばで留まっているようです。

ですから、こんな袋小路を見付けようものなら、ついつい立ち止まってしまいます。

それにしても、この「サロン タイガー」と「スナック パーティ」。二軒並んでいますが、あなたならどちらのお店をチョイスなさいますか?

ぼくだったら、そうだなぁ・・・やっぱり日が暮れて店の灯りが点らないと、決め手に掛けちゃいますねぇ。

これまたどこの町でも見かけられた、「駅前銀座」。しかし、銀座は各地の商店街の名前にも使用されていますが、さすがに「金座」「銅座」「銭座」なんてぇ名前は、使い勝手が悪かったのか、それとも見栄えしなかったのか、「金座商店街」とか「銅座横丁」なんて、さっぱり見かけません。

やっぱり「洒落た」=「銀座」が妥当だったと言うところでしょうか?

それにしてもこの「駅前銀座」。今では、「ばぁばの店うさ美」しか残っていないようです。でもここで疑問が頭を擡げてしまいました。少なくともこの「駅前銀座」の建物が建ったであろう、昭和40年代半ばの1970年頃に、既に押しも押されもせぬ「ばぁば」だった看板婆ちゃんは、今もってご健在なのでしょうか?それからざっくり約半世紀ですから、当時60歳で周りから「ばぁば」と呼ばれていらっしゃったとすれば、少なく見積もっても110歳越え!ひょえ~っ!でも、60歳で周りから「ばぁば」と呼ばれていたとしたら、61歳のぼくもりっぱに「じぃじ」か!

大変気になって夜になって看板に灯が点ったら寄って見たかったのですが、この夜は既に津軽三味線のLiveが聞けると言う「居酒屋ねぶたの國 たか久」を予約しておりましたので、断念!無念!

津軽三味線のLiveが聞ける「居酒屋ねぶたの國 たか久」のブログは後日ご報告いたします。

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「青森駅前界隈」

店の入り口にもやっぱり「ねぶた」です。

それと杉玉には、やはり雪深い地方だからか、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が葺かれていました。

いいものですね。こんな景観の町並み。ほっと心が解けてゆくのがわかります。

こんな名物婆ちゃんも、現役です。

ポリバケツから釣銭を取り出す姿がとても印象的でした。

そう言えば子供の頃の八百屋さんなんか、天井からゴム紐に括り付けた笊があり、その中にお札やら小銭がたんまり入っていて、八百屋のオジチャンやオバチャンが笊を引っ張り降ろして、釣銭を数えて渡してくれたのを思い出しました。

こんな荒物屋さんも懐かしいものです。

なんだかパステル調の高野豆腐かと思いきや「干もち、美味しいよ!」と津軽訛りでお勧め下さったものの、勢いで買ったはいいが、果たして食べきれるだろうかと、二の足を踏んでしまったものです。

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「まずは海鮮のっけ丼でプッハァ」

もう青森に着いたら、昼は「青森のっけ丼」って、決めておりました。

駅前のホテルに荷物を預け、いざ「のっけ丼」へ出陣と思っていると、パンフレット置き場にこんなチラシが!

「うぉ~っ!これだこれ!」と興奮していると、ホテルのフロントの女性が、あっちでもこっちでも「のっけ丼」って看板に書かれていますが、このホテルからすぐ近くですから、ここの「元祖青森のっけ丼」の青森魚菜センター本店にお出かけになられてはいかがですか?と、丁寧に地図を出して道案内して下さったのです。

そこは本当に魚菜市場に鮮魚店や惣菜店が居並び、自分の好きな魚菜を好きな量だけのっけて食べるから「のっけ丼」とのこと。わかりやす~っ!

お店で勝手に盛り付けて供されるものではなく、丼片手に市場内を物色して選べるなんて、なかなかエクスペリエンスな粋な計らいじゃありませんか!

さっそく心ときめかせ、駅前通りから新町通りへ出ると、もうあちらこちらのお寿司屋さんやお食事処に居酒屋までもが、「のっけ丼あります」と、大変な騒ぎ!

ぼくなんて腹ペコでしたし、キリン一番搾りの黄色い幟を見掛けると、もしフロント女性のアドバイスを聞いていなければ、どこぞの適当な店にふらふら~っと入って、イチコロ!そして「これがのっけ丼か・・・」と、その意味も理解できずに、独り言ちてしまったはずです!それにしても良かった!

そんな事を思いながら、一つ目の信号を右に曲がって、一つ信号を超すと、左手にあるじゃないですか!昭和の時代そのままの市場が!

丼をトレイに乗せて、市場内の魚菜店を巡り、ホタテとか大間のマグロとか、10枚綴りのチケットを片手に、どんぶり飯の上に自分好みの魚介を選んで、チケット1枚とか2枚を引き換えに、オバチャンに鮮魚をのっけてもらうシステムです。

まず入り口の案内所で、10枚綴り¥1,300のチケットを購入すると、その内の1枚を使ってどんぶり飯を指定された魚菜店で受け取り、残りの9枚のチケットを持って市場内を練り歩き、自分のお眼鏡に叶った鮮魚を盛り付けて回るものです。

中には、チケットが2~3枚必要な大間のマグロの大トロとか、牡丹海老なぁ~んてぇのもありました。そして最後の1枚は、お味噌汁様に残しておくと良いかも知れません。

こんな感じで海鮮丼をカスタマイズするのが「青森のっけ丼」。後は市場内のテーブルに腰かけ、再び案内所へ。ぼくのもう一つのお目当て、キリン一番搾りの生ビールを1杯500円で購入。まあ、何とも盛り付け方は不細工でしたが、美味しかった!特にホタテの刺身は甘くって、ねっとりとして最高!お隣のテーブルの男性は、これでは飽き足らず、再び案内所でチケットを購入し2杯目に突入。ぼくは案内所で再びキリン一番搾りの生を追加して、それでギブアップでした。

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「再び陸奥旅の続編です!」

ついにJR青森駅に到着です。

青森空港から青森市内に入ったことは3度ほどありましたが、盛岡から東北新幹線で新青森駅に降り立ち、在来線に乗り換え青森駅までやって来たのは初めてです。

やっぱり青森と言えば、なんといっても「ねぶた」ですよねぇ。

去年7月、TVの十和田ロケの折り、青森空港から十和田市へと向かうタクシーの運転手さんに聞いた話によれば、「ねぶた」の頃はもう市内の宿と言う宿がどこもかしこも一杯とのことで、それはそれは大賑わいだそうです。だから観光を兼ねて「ねぶた」見物でもと、簡単に考えているととんでもなく大変だと教えていただきました。

確かにコンパクトシティー青森ですから、年に一度の「ねぶた」となれば、当然地元の皆様方も待ちかねているわけで、さぞや大変な騒ぎだろうと感じたものです。

「でもねぇ、今からはホタテの刺身が美味しいから、お客さんも召し上がって行ってくださいよ」と、津軽弁で言われたものです。しかし、ロケの仕事ではそんな自分の思い通りにはまいりません。ですから、昨年は食べ損ねてしまっていました。だから今回こそは、何としてもホタテの刺身を鱈腹食ってやるぞと意気込んだものです。

まずは、駅からすぐの青森湾を一望する、青森ベイブリッジで秋の風を満喫です!

まずは青い海公園の巨大な操舵輪のモニュメントで、舵を切る真似をして見ました。それにしても抜けるような青空で、こころまで清々しかったものです。

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「モスラの幼虫?」

またしてもウォーキングの途中で、色が見るからにデンジャラスな、モスラの幼虫のような芋虫を発見!

ところが先日の、尺取虫のような、どことなくユーモラスな動きでなんかではなくって、もっと堂々たるものでした。

だからか、可愛らしさはさすがに感じられず、まさか家に持って帰って、同居しようなどとは思いもしませんでした。

だって寝ていて顔の上を、我が物顔で這いずり回られようものなら!

だって、こんなんなんですもの!

そう言えば43~44年ほど前。ぼくの丸太町にあったアパートに、秋田出身のH.Iさんが転がり込んで来られ、二段ベッドでしばらく共同生活をしていたことがありました。

H.Iさんが下のベッドで、上がぼく。

ある夏の日、友人に誘われ内海の海に海水浴に行き、ぼくが体の横幅3cm程の小っちゃなカニを持ち帰り、そのまま洗面所の洗面器に入れて置いたことがありました。

ですからベッドに入っても、しばらくカニさんは、洗面器から何とか逃げ出そうと、カシャカシャ音を立てていたくらいでした。

それでも眠られなかったのは、ほんの1~2分。直ぐに睡魔に襲われ、ぐっすりと眠りについていると、明け方近くに「あっ、痛っ!痛い!」とH.Iさんが大声を上げるではないですか!

その次には、ガツンと壁に何かがぶち当たった、大きな音がしたのです。

直ぐに電気が点ると、H.Iさんの手の指先から微かに、血が滲んでいるじゃないですか!

するとH.Iさんは自分のベッドの足元側、さっきガツンと何かがぶつかったような音のした壁の辺りを、恐る恐る覗き込んでおりました。

「何でこんなところに、カニがおるんだ!」と、血の滲んだ指先で掴み上げ、カニを睨みつけていたことを、なぜだか懐かしく思い出してしまいました。

くわばらくわばら。

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「先週はお上りさん!でした」

文部省唱歌「ふじの山」そのものでした!

先週水曜日の朝、新幹線の車窓より、雲から頭をもたげる富士山を眺めることが出来、ありがたい気持ちになりました。思わず子どもの頃の唄が、頭をよぎったものです。

あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして かみなりさまを 下に聞く 富士は日本一の山

青空高く そびえ立ち からだに雪の 着物着て 霞のすそを 遠く曳く 富士は日本一の山

この日はまず、一番町のやんごとなき恩人のご遺影に香華を手向けに参りました。

するといつものように、「チビラ」がすり寄って来てくれました。

もうチビラは生まれてから14年とのこと。でも猫は、人間の1年で4歳としを取るのだとか。ある動物病院発表の、猫年齢換算表によると、14歳のチビラは、人間で言うと72歳だそうです。でもヒョイッとテーブルに飛び乗ったり、飛び降りたりする身軽さから見ると、まだまだ足腰ちゃんとしたものです。コンドロイチン要らずのようです(笑)

カメラを何度も向けるのですが、シャッターを押す時に限って、プイッと横を向いてしまい、なかなか正面から写真を撮らせてくれません。もしかすると照屋さんなのかな?

ついに暇乞いをして、荷物を持って立ち上がると、こんな調子で見送ってくれたものです。

一番町を後にして、今度は麻布で人と会い、その後は一路横浜へ。横浜からはみなとみらい線でみなとみらい駅へ。こちらは今年の春に亡くなられた、ぼくにとっての偉大な先輩であり、ちょっと失礼かも知れませんが兄の様でもあった方の、お仏壇に香華を手向け、通夜にもご葬儀にも伺えなかった不義理を詫びてまいりました。

大先輩のお宅から眺める山下公園です。まるで香港の九龍か香港島にいるかのような、素敵な景色を堪能させていただき、名古屋へと戻ってまいりました。

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「五条川」

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まだ、YouTubeで動画がアップ出来なかった頃のブログに、五条川の歌詞だけをあげたことがありましたが、今日はまず弾き語りの「五条川」をお聴きいただければ何よりです。

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弾き語り「五条川」

『五条川』

詩・曲・歌/オカダ ミノル

枯葉二枚重ねて君は 五条橋から流した

二人の恋を弔うように 軽く手を添え

その行方をしばらく見つめ 君は歩き始めた

川沿いに枯葉を追って 口数少なに

  長者橋 舟入橋 想い出は拭い去るんだと

  君の声はわずかに掠れた 折からの風のせいじゃなく

君よ許せ男はみな 少なからず旅人

果てしもない夢など追い 恋もろくに出来ず

不器用な男だったと 深く胸に刻んで

忘れるためにましな男と 恋をしてくれ

  巡礼橋(じゅんれいばし)の袂(たもと) サヨナラ本気だったわと

  繰り返す君がいたいけなくて ぼくは返す言葉失った

  五条川へ枯葉流し 一つの恋の終わりを告げた

  風が落とした波紋の渦に 枯葉二枚巻き込まれただけ

この曲を最初に披露したのは、ぼくがアルバイトをしていた花屋のご夫婦の前でしたと、以前のブログにも書かせていただきました。そしてそれから30数年後、たった中一日で、ご主人のコウチャの後を追うように、奥さんのヤッチャンまでもが他界されてしまったのです。

ですから葬儀の祭壇の前には、ご主人のコウチャと奥さんのヤッチャンの棺が、頭合わせに並べられ、笑顔の二人の遺影までもが並んでいました。これまでこんな葬儀に出合ったことなど、一度もありません。仲の良かった下町の夫婦の、在りし日の姿が偲ばれ、込み上げてくるもので遺影が滲んでいました。

その事をある新聞社の「昭和がらくた文庫」という連載の中で、「二度目のハネムーン」と題して書かせていただきました。そしてその後も、LiveやRecitalなどのステージで、「もしも生まれ代われたなら」の曲の前に、何度か朗読をさせていただいたものでした。

昭和がらくた文庫 第二十四話 「二度目のハネムーン」

2012.11.22掲載  オカダ ミノル著

こんな通夜は、最初で最後に違いない。 頭合わせに並んだ二つの棺。目を閉じそっと手を合わせた。色取り取りの花が楽園を模る祭壇。呆然と見上げれば、色褪せた想い出が走馬灯のように駆け巡る。その刹那、にこやかな二つの遺影が、滲んで消えた。

先日、第二の両親と慕った夫婦が旅立った。夫のコーチャと妻のヤッチャン。親しみを込め、誰からもそう呼ばれた、戦前生まれの夫婦だ。大病の後遺症と闘い続ける妻を夫が支え、晩年病に臥した夫を妻は案じ続けた。

10月末のこと。入院中のコーチャの容態が急変。自宅療養中だったヤッチャンは「お父さん一人で逝かせられん」と、床に臥しながらうわ言の様に繰り返した。程なく、ヤッチャンまでもが危篤状態に。図らずも救急搬送先は、コーチャと同じ病院だった。病室こそ違えども、同じ屋根の下、意識が戻ると真っ先に、互いの容態を気遣い合ったという。

生死の境で行きつ戻りつを繰り返す二人。奇跡的に二人が容態を持ち直した一瞬。まるで待っていたかのように、看護士たちは二人をストレッチャーで連れ出し、病棟の通路へと向かった。そしてすれ違い様、二人の手と手を取り、しっかと握り締めさせたのだ。

おぼろげに霞む混濁した意識。もう互いに言葉を交わすことも叶わぬ。だが半世紀を連れ添った二人は、その手の温もりと、脈打つ波動だけで、互いの心を十分に受け取ったことだろう。

いつもせっかちだったコーチャ。たったの24時間で、おっとり者のヤッチャンが、後を追うように逝った。

折しも今日は、いい夫婦の日。今頃はどうせ二人して、天国で二度目のハネムーンとでも、洒落込んでいることだろう。

弾き語りとCDの「五条川」とをお聴き比べいただければ、これまた幸いです。

ぼくが「五条川」で描いたのは、あの戦国の世の「清州越え」でお馴染みの、愛知県清須市を流れる五条川です。

もっとも五条川は、岐阜県多治見市の高社山付近を源とするそうで、やがて愛知県犬山市の八曽山の南を流れ、入鹿池に水を満たし、その後新郷瀬川と別れるのだとか。さらに途中で半之木川と合わさり、大口町に入ったところで、合瀬川(木津用水)・新木津用水と交わり、岩倉市に下って巾下川を、さらには一宮市で青木川と合わさり、清須市とあま市との境界から新川へと合流するそうです。

その下流域に当たる清須市に、この曲に描かれる五条橋、長者橋、舟入橋、巡礼橋がございます。

ぼくがこの曲を書いた40年ほど前は、これらの橋の東側には、白壁の土蔵がたくさん立ち並んでいたものです。

そう言えば、名古屋の四間道(しけみち)に、清州越えでやって来た、豪商たちの家並があります。やはりこの際を流れる橋にも、「五条橋」と名付けられた橋が架かっています。

この四間道には、やがて銀行を営む「川伊藤家」と、いとう呉服店(松坂屋)の「伊藤家」があり、ぼくは若い頃縁あって、今も市の文化財指定をされている「川伊藤家」に伺わせていただく機会がありました。

400年以上の年月をかけ、人々に踏み固められた土間はひんやりとし、天井の明かり取りの窓から差す太陽光が、弱々し気に薄暗い家屋の中を照らしていたものです。

仏間には、金ぴかで巨大な名古屋仏壇が、座敷にドーンと居座り、400年と言う浮世の歴史を傍観されているようでした。

まあそんなことはさておき、来年の春は、お弁当とクーラーボックスにビールと冷酒を詰め込み、「五条川」の袂で花見でも出来たらこの上なく幸せです。

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「希釈用リンス」。中学生の頃だったでしょうか?「♪振り向かないで 金沢の女♪」のエメロンのリンスのCM。振り向くと奇麗なお姉さまばかりで、中学生のぼくはドキドキした覚えがあります。そのエメロンのリンスが買ってほしくて、坊主頭の癖に母に強請った覚えがありました。洗面器にキャップ一杯のリンスを注ぎ、お湯を足して希釈して、洗面器の中に頭を突っ込んでリンスをするといった塩梅!しかしそれにしてもあの「希釈用リンス」は、いつの間に絶滅してしまったのでしょう。今回は、『希釈用のリンス』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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