「いざ!マオリ・ビレッジへ」

中央がこのマオリ・ビレッジの酋長と言うか、村長です。

酋長も両脇の女性も、首から背中を覆うケープを着用しています。これは一説によると、暖かなポリネシアからやって来たマオリの人々は、ニュージーランドが冬もあって寒いため、その寒さを凌ぐために、飛べない鳥たちを捕獲し、その羽根でケープを作ったそうです。現に、オークランドの国立博物館には、マオリの最大部族の大酋長が着用されたと言う、ケープが展示されていました。その貴重なケープに使われていたのが、絶滅の危機に瀕している、飛べない鳥「カカポ」のハーブのような羽根でした。

しかもそればかりか、既に絶滅してしまった「フイア(和名/ホオダレムクドリ )」は、我々人間の犠牲になったと言わざるを得ない鳥でした。

「フイア」は、体長約50cm。羽の色は黒で、尾羽の先端だけが白く、クチバシの根元に赤い肉だれがあり、和名の「ホオダレムクドリ」の名はそこからついたそうです。

「フイア」に悲劇が訪れたのは、19世紀末。マオリの酋長が白い尾羽を髪飾りとして使っていたことや、1900年前後にニュージーランドを訪問したヨーク公(後の英国王ジョージ5世)が、寄贈された「フイア」の羽が帽子に付けられており、それがファッションとして流行したことにより、羽飾り目的の乱獲が行われたのも、その一因と言われています。

酋長が木彫りの鳥笛を吹いて、鳥たちを呼び寄せるデモンストレーションを披露してくれました。

しかしマオリの方々のライフスタイルも、ぼくが知り得る30年ほど前と比べると、随分変わったことに気付かされます。

もっとも30年ほど前は、交差点の横断歩道ですれ違うマオリの方々は、顔や腕、それに上半身に魔除けの刺青がたくさん入っていて、ギョッとしたほどです。何でもマオリの部族で位が高い程、顔面には多くの刺青が施されていたようです。ところが最近では、刺青に似せたメイクを施すようで、やっぱり本物のマオリの長老たちの彫り物とは、色合いと風格が違います。この酋長の両脇のお嬢さん方は、クォーターくらいの方ですから、下顎に髭のような刺青擬きがメイクされていました。

伝統と文化は、時代と共に少しずつ色褪せてゆくのでしょうか?ちょっぴり寂しい気持ちになったものです。

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「南島のマオリ・ビレッジへ!」

クライストチャーチから車で南島唯一の、エクスペリエンス型のマオリ・ビレッジへ!

村の入り口にやって来ると、マオリの戦士たちが槍を片手に物見にやって来ます。

ぼくらのパーティーは、ヨーロッパやアメリカの方々を含め、20名ほどでしたでしょうか?

まるでラグビーのオールブラックスのハカを見ているようです。

そしてぼくらのパーティーの中から、予め選出された赤いTシャツ姿のリーダーが、黒いTシャツ姿のマオリの出迎えの使者とご対面です。

まずは両者が額を合わせ、そして鼻の頭を合わせて、敵意がない事を現し、やっと村への門を潜ることが出来るのです。

こりゃしかしどう見ても、まともに張り合ったところで、わがパーティーのリーダーじゃあ、勝ち目はなさそうですから、平和的に穏便に事を運ぶのが一番ですねぇ。

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「ふたりの長良川」

某局のTV番組で、わずかな期間の放送でしたが、「夫婦善哉 金婚庵」という、番組がございました。

ぼくとラジオパーソナリティーの森下リカちゃんが夫婦役で、毎回金婚式をお迎えになられたご夫婦や、間もなくお迎えになるご夫婦をお招きし、夫婦道について新婚間もないぼくとリカちゃんが教えを乞うと言うものでした。

しかしながらこの番組は、玉虫色にコロコロと変るお偉いさんのご意向で、わずかワンクールたらずで、あっという間に終わりを迎えることとなったのです。

さてこのLiveのバックに移っている写真は、その「夫婦善哉 金婚庵」の番宣のため、大雪に見舞われる中、テーマソングとなった「ふたりの長良川」の歌詞に合わせる形で、現地ロケを行った時の、長良川鉄道北濃駅でのシーンです。

まずは、ミノルとリカの「ふたりの長良川」からお聴きください。

「ふたりの長良川」

詩・曲・唄/オカダ ミノル 唄/森下リカ

雪に埋もれた高鷲(たかす) 夫婦滝で誓った

ふたり寄り添い生きてゆこうと 舞い上がる白鳥(しろとり)に託した

  夜を明かして踊れば 八幡の城下町

 このまま何処までも あなたとなら

喜びと哀しみ 幸せと不幸せ

ふたり手をとり美濃路を下る 長良の鮎がその身を任(まか)すように

  長良橋 金華橋 互いをただ信じて

  この命果てるまで あなたと伴に

  ふたり生きた証しが この川を遡る

  あとは海へ還ろう 流れるままに

  ふたり生きた証しが この川を遡る

  あとは海へ還ろう 流れるままに

この「ふたりの長良川」を深夜のラジオ番組で、毎週流していた頃、老夫婦の奥様からお手紙をいただきました。

「この歌にあるご夫婦のように、私共夫婦も喜びも哀しみも二人で分かち合い、長良川を下りながら生きて行こうと思います」と。

なんだかとっても嬉しいお便りだったと、記憶しています。

続いては、ぼくの弾き語りの「ふたりの長良川」をお聴きください。

長良川沿いの町には、それぞれの文化と歴史がてんこ盛りです。郡上と一口で言っても、高須と白鳥も、そして大和にしても八幡も、似ているようでも非なる部分も多く見られるものです。今のように何処へでも、車でひとっ走りと言う時代ならともかく、自分の足だけが頼りの時代であれば、集落の周辺から抜け出すこともままならず、ましてや山間の集落ならなおさらの事。だからこそ似て非なる独自の文化や風習が、集落の中で脈々と息づいていったのでしょう。長良川沿いの町で、色んな方々からお話を伺うと、言葉の端々にも若干の違いまで感じられるものです。

清流長良川が育んだ、美しい文化や風俗。いつまでもいつまでも、受け継がれてゆくことを願って止みません。

続いては、ボサノババージョンの「ふたりの長良川」、そして長良川国際会議場大ホールでのLive音源からの「ふたりの長良川」と、2曲お聴きいただければ幸いです。

まずは、スタジオ録音版からです。

そして長良川国際会議場大ホールのLive版です。

★実は先週の12月31日の深夜ブログで、翌日の1月1日にお誕生日をお迎えになる「トトロんぽいけどとんとろとんとんとん」さんの、お祝いソングを唄わせていただくお約束をしておりました。しかしぼっくがうっかり失念。録音する事を忘れてしまっておりました。それに気が付いて、さっそくメールでお詫びし、1週間遅れでのお祝いでご了見いただきました。そしてもうお一方、明日1月8日にお誕生日をお迎えになる、「黄色いモンブラン」さんのお祝いを、今夜はご一緒にさせていただきます。それでは「Happy Birthday~君が生まれた夜は」を、今夜も唄わせていただき、ささやかなお祝いとさせていただこうと思います。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「鏡開き」。昔は真空パックの鏡餅なんて、洒落たものなんてありませんでしたから、1月11日の鏡開きの日にゃあもう、鏡餅なんて黴まるけ!お母ちゃんが鏡餅を水に浸し、菜切り庖丁のアゴのところで、黴をこそぎ落としていたのを思い出します。これは家のお母ちゃんだけかも知れませんが、小さな鏡餅を家中のあちらこちらに飾り付けておりました。ですから便所にも当然小さな鏡餅と、小さな豆注連縄が飾られていて、鏡開きの日には便所にお供えした小さな鏡餅も、他の物と一緒にお母ちゃんが黴を取り、そのまま火鉢の上でコトコトと煮立っているぜんざいの中へ!ですから、便所にあった鏡餅がもうどれかさえ分からず、「ええい!ままよ」っとばかりに、知らぬ存ぜぬを決め込んで美味しくいただいたもの物です。さすがに今となっては、トイレで鏡餅を見掛けることはありませんねぇ。皆さんのお宅ではいかがでしたか?家のお母ちゃんだけだったのかしらん?

今回はそんな、『鏡開き』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」

皆さんは鰹の荒節や、利尻や日高の昆布で出汁を引いた後、鰹の荒節や昆布の残り物をどうされていますか?

ぼくは捨てるのも憚られ、鰹の荒節の残り滓で、なぁ~んちゃって自家製ふりかけにしたり、昆布は醤油と酒と味醂に山椒粉で煮て、これまたなぁ~んちゃって自家製昆布の佃煮を作ることがあります。

今回も出汁を引いた後の昆布が捨てられず、さてどうしたものかと。

冷蔵庫を見渡せば、乾燥桜エビやちりめんじゃこがあるではないですか!

ならばと試してみたのが、この「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」です。

まず出汁を引いた後の昆布を賽の目切りにして、フードプロセッサーへ。微塵切りモードで細かくして鍋に入れ、残り物の乾燥桜エビにちりめんじゃこ、白ごまを入れます。

そして醤油、酒、味醂、山椒粉をお好みで入れ、後は昆布に味が染みるまで、弱火でコトコトと煮詰めれば完了。

炊き立ての新米に乗せ、いただいてみました。これがまた、昆布の独特な食感と、桜エビとちりめんじゃこの風味も加わり、なんとも言葉に出来ないほど絶妙な味に仕上がりました。

ならばと、酒のあてにもと思い、湯豆腐に塗っていただいて見ましたが、これまたぴったんこ!

ついつい冷酒が進んでしまったものです。

こんな一品が冷蔵庫に常備してあれば、なんにも作る気がしない日にも便利で重宝なものです。

ついつい調子に乗って、翌日にはオリーブオイルでパスタを炒め、ジェノベーゼソースの代わりに、この「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」をソースにして、パスタと一緒に軽く炒めていただきましたが、これまたビックリ!イタリア人にも食わせたいほどの、ボーノボーノなパスタに早変わりしちゃいました!

皆様もぜひお試しいただければ、「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮パスタ」の美味しさには、きっと目を見張る事間違いなしです。

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「ペガサスベイ・ワイナリーのメイン料理」

お待ちかねのメイン料理が厳かに登場です。

どうですか!昭和時代のあの「おっぱいパン=甘食」のような物がデーン!一見巨大なパイのようですが、皆様は何だかお判りでしょうか?

上蓋のようなパイ生地を取り除いたところが、この写真の状態です。

まだお判りになりませんよねぇ。

ニュージーランドと言えば、何と言っても羊。子羊の骨付きラム肉の塊に、ハーブを被せ、先程のパイ生地で蓋をして、そのまま大胆にオーブンで焼いたものです。

これを皆でシェアして、ラムチョップに切り分けて、右側のアボカドディップソースなどを添えていただくと言うものです。

さすがにぼくは、一切れだけで十分でした。でもさすが本場ニュージーランドのラムチョップ。臭みも全くなく、それはそれは美味しかったです。ラムチョップにはやっぱり、赤のピノノワールのグラスワインをグビグビと頂いちゃいましたぁ!

そしてフレッシュハーブリーフのシンプルサラダ!オリーブオイルと岩塩とブラックペッパーで、とってもシンプルにいただきました!

ご馳走様でした!

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「ガーデンテラスのお洒落なランチ①」

まず最初の登場は、箸休めのスターターであるカンパーニュ。オリーブオイルに岩塩、そして赤味噌が混ぜ込まれたバター!この赤味噌仕立てのバターと、自家製石窯焼きのカンパーニュが、箸休めどころか立派な逸品料理の様でした。

続いては、白身魚とリンゴのスライスロール、フレッシュハーブ添えのアミューズです。

リンゴの酸味と甘味がほんのりと加わり、白身魚のカルパッチョのような爽やかなお味で、白ワインにピッタリ!

そしてサラダは、インゲンとフライド・オートミール、ドライレーズンにモッツァレラチーズ添えです。なんとも絶妙な歯応えが堪らない、シンプルでとってもナチュラルなサラダでした。特にドライレーズンがとってもいいアクセントを加えてくれ、そこにフライド・オートミールの香ばしさと、サクッとした歯ごたえが堪りません!

さあ、いよいよペガサスベイ・ワイナリーのメイン料理の登場ですよ!

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「あっ!こんな町中に木守柿だぁ!・・・???あれれっ?」

いつもと違うコースをウォーキングすると、新発見と出逢えるものです。

今回は信号待ちしていると、道路を渡った街路樹に「木守柿???」のようなものが!

まさかこんな町中の街路樹に柿の木が植わっているのか?

信号が変わって近付いて見ると、そんなわけはありません!

ご近所のどなたか野鳥好きの方が、桜のような街路樹の枝に、半分に切ったミカンを挟んでいらっしゃったようです。

ご丁寧にお隣の木にも!

よく見ると半身のミカンは、まだまだ瑞々しいじゃありませんか!さすがに野鳥がやって来るまで、寒空の下、待ち続けることも叶わず断念いたしました。

そう言えば昔、天職一芸の取材で、伊自良の連柿職人さんを訪ねた折に、「木守柿」のお話しを教えていただきました。

柿の木を収穫する際、根こそぎ柿の実を採ってしまわず、「来年もたくさん実ってくれますように」とか、「野鳥たちへのお裾分け」と言う意味合いで、柿の実を必ず一つ二つ残したままにすると伺いました。

何だか心和む「木守柿」に、日本人の気高い心根のやさしさを感じました。

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「これぞ吉兆の兆しか?」

昨日のウォーキングの帰り道、堀川に架かる橋を渡っていると、川下から一艘の屋形船が!

何か知らんと橋の上から眺めると、屋形船の上に千成瓢箪が!

あれあれっと船縁を見ると、秀吉の文字!

堀川を上り下りする、観光屋形船の「秀吉丸」とでもいうのでしょうか?

それにしても三が日の最終日に、たまたま眺められましたので、「むむむ、これぞ吉兆の兆しか!」と、勝手に都合よく思った次第でございます。

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「ペガサスベイ・ワイナリーの道具たち」

ここはワイン樽の製造所です。何と言ってもプラスチックやステンレスの樽ではなく、昔ながらの木製のワイン樽こそが、ワイナリーの味の決め手だと思います。

樽職人がまだまだ活躍する居場所が、ちゃんと残っているからこそ、樽職人の技術が絶えることなく受け継がれて往くのですから。

天職一芸の取材で色んな職人さんの話を散々伺いましたが、日本の酒蔵も味噌屋も醤油屋も、昔ながらの仕込み樽を治す職人もおらず、新たな木製樽を注文したくても、もう巨大な樽を作れる職人すら消え失せる一方だと、嘆かれていたことを思い出します。

このお道具たちも、ワイン製造に欠かせぬ、昔ながらの道具なんでしょうが、眺めるだけで何が何だかさっぱりわかりませんでした。

しかし樽を閉めたり、醸造具合を確かめる、テイスティングの道具なんかかしらと思ったものです。

日本の鉋や鋸は、手前に引いて使いますが、西洋ではまるっきり反対で、手前から向こうに押し出して使うなど、これまたビックリした覚えがありましたから、ワイン醸造のお道具たちも、日本人向けの使い方とは異なる物かも知れませんね。

こんな目方測りなんて、時代がかっていて、面白いものですよね。そうと知らなければ、洋風のベー独楽かしらんと思えるほどです。

さあ、次回はいよいよ、ペガサスベイ・ワイナリーのメインハウスの外に広がる、ガーデンテラスで豪快なランチです!お楽しみに!

こちらがニュージーランドで買った、ペガサスベイ・ワイナリーのピノノワールです。昨日の夜、ニュージーランドを思い出しつつ、美味しくいただいてしまいました。

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「一富士二鷹三茄子 初夢や如何に?」

初夢って本当は、正式にいつ見るものなのか?元日の夜だと言う方もいれば、いやいや二日の夜見るものが初夢だと言い張る方もおいでになります。

皆様の初夢とは、何時の夜にご覧になる事を指しておられますか?

気になって調べて見てビックリ!もう、諸説あることある事!

 昔は立春を正月としおり、「節分の夜から立春の朝」までに見る夢が初夢と呼ばれたのだとか。 やがて明治の改暦で、暦が現在のグレゴリオ暦に変わると、「大晦日の夜」に見る夢ということとなったそうです。

簡単に言うとそうなりますが、実は明治政府が改暦を発表したのは、明治5年(1872)11月8日。新暦に従うとなると、あと一月も無い明治5年12月3日が、新暦の明治6年1月1日に当たることとなった訳で、これまでの慣習による師走はたったの二日目で大晦日となる勘定。例年より4週間も縮まるわけですから、さぞやその時代を生きた方々は、戸惑われたことでしょう。

それから後になり、大晦日は年神様をお迎えするため、眠らないとする習慣が定着し始め、「元日の夜」に見る夢が「初夢」となっていったとか。

また一方で、1月2日が物事を始める日という考えから、「2日の夜に見る夢」が「初夢」と言う説も一般的になっていったそうです。中には、2日から3日の夜の夢を「初夢」と位置付けているところもあるのだとか・・・。ああ、分かりにく~っ!

そして初夢の中身と言えば、「一富士、二鷹、三茄子」。

ぼくは62年間生きてまいりましたが、まだ一度もこんな吉夢を見た記憶がございません。

今夜あたり、ぜひ見て見たいものです。

言わずと知れた「富士」は、高く美しい日本一の山で、高い目標や理想をかなえる立身出世の象徴。末広がりで縁起良し。

食物連鎖の頂点に君臨する「鷹」は、高く強く羽ばたき大空を舞い、開運につながる。

続いての「茄子」は、財を「成す」、子を「成す」と、事を「成す」に通じ、これまた縁起が良い。

子供の頃から、お雑煮を食べつつ、お母ちゃんから何度も聴かされた台詞です。そうは毎年毎年言われても、そんな自在に「一富士、二鷹、三茄子」の夢なんて、さっぱり見られっこありませんでした。

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