「CD販売が近日再開されます!」

近日中に、岐阜市長良のCDショップ「名音堂」さんで、再びぼくのCDが販売していただけることとなりました。

「名音堂」さんでは、店頭での販売はもちろん、全国どこへでも発送もしていただけるそうです。

502-0071 岐阜県 岐阜市長良191番地 名音堂

058-232-1744 営業時間: 10:00〜20:00

https://ja-jp.facebook.com/meiondo

ぜひ、ご利用いただければ幸いです。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「古い町オアマルにお似合いのクラッシックカー」

ニュージーランドの人たちは、ものすごく物を大切に大切にされる、そんな国民性があり、19世紀英国からの入植者が持ち込んだ、良質な銀食器などが全国各地のセコンドショップなどに並んでいるものです。

ぼくの大親友でもあった、アラン・ソーンダース氏なんて、ぼくと初めて会った時から凡そ10年近く、茶色の革靴を毎日奇麗に磨き上げて、大切に履いていたものです。

ケチだとか質素だとかではなく、基本的に物をとても大切にする国民性であり、物に対する価値観が今の日本人とは少しかけ離れているのかも知れません。

ですからビンテージものの車などは、見事にレストアされ、各地の中古車屋さんの店先に並んでいたものです。

こんなアンティックなトラックを転がし、焼き立てパンをカフェなんぞに納品したら、とてもお洒落ですよね。また、英国系の国ですから、こんなロイヤル・グリーンの塗装の車もよく目にしたものです。

こちらはショップの前に何気にディスプレイされた、これまた年代物の自転車です。なかなかハイカラですよね。

そう言うぼくも、クライストチャーチの中古車屋さんのガレージで、1961年製のジャガーマークⅡを衝動買いしてしまい、船便で日本に運んだこともありました。

ワンオーナーの所有者で、農場の納屋にほったらかしになっていたのをレストアしたものだそうでした。1961年と言えば、あの故ダイアナ王妃がお生まれになった年の車です。中古車屋さんのガレージで一目惚れしたまでは良かったのですが、1995年当時コンテナに積み込んで船便で名古屋港に個人輸入するのも、大変な手続きで苦労したことを覚えています。そして名古屋港で通関したはいいものの、そこから今度は日本の排出ガス規制やら、車検を通すのにこれまた大騒動で、やっとのことで手元に届けられたのは、契約から半年近く過ぎてからでした。

でもなかなかご機嫌な車でした。メーターはマイル表示のままでしたので、運転中に「いま40マイルってことは、40×1.6kmだから約64kmか」ってな感じで、これまたややっこしくって仕方なかったものです。

まだ2歳だった娘を助手席に乗せ、近くのショッピングセンターまでドライブしたのも、遠い日の思い出です。

しかし約2年ほどした時に、クラッチペダルが向こうまです抜けてしまい、クラッチ板が滑っていかれてしまったとのことでした。部品を取り寄せるのにも手間取り、そのまま知り合いの自動車整備工場に入ったまま動かさなかったからでしょうが、ついに他のパーツもボロボロに!

残念な結果となってしまいました。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「アヒルのガーコ」

鶴舞公園の池で、優雅に泳ぐマガモたち。

実はこの池まで足を延ばしたのには、訳がありました。

シロアヒルの「ガーコ」がもしかしたらいるのではないか?と、ふと思ったからです。

そのシロアヒル「ガーコ」との出逢いは、40年ほど前の事。はてさて、シロアヒルの寿命がどれほどなのか分かりませんが、もしかするともう天に召されてしまったのでしょうか?

もしかしてマガモの群れに混ざっていはしないものかと、しばらく池の畔に佇んでおりました。

「ガーコ」と出逢った時は、CBC TVの「ぱろぱろエブリデイ」と言う番組の中で、「もちょっとニュース」と言うコーナーがあり、その取材記事を書かせていただいていた頃の事。

夕方の報道番組では、取り上げられるはずもない、ちっぽけな雑記を取材して回ると言うものでした。

その日は、鶴舞公園で何かニュースのネタが転がってはいないだろうかと、公園内をフラフラと歩いておりました。

そして公園中央の池に差し掛かると、多くのマガモやアヒルが気持ちよさそうに泳いでおり、ついつい立ち止まって水鳥達を眺めていたのです。

するとすぐ近くの池の畔で、一人の作業服姿のオッチャンが、ビニール袋から食パンの耳を取り出し、「お~い、ガーコ!ガーコ!」と呼びながら、池に向かってパンの耳を投げ込んでいるではないですか!

初めのうちは、アヒルの総称としてオッチャンは、「ガーコ」と呼んでいるものだとばかり思っていると、シロアヒルの一羽がオッチャンの手元に一目散で泳いでくるではないですか!

そしてオッチャンの手から、パンの耳を啄み、呑み込んではまた啄むを繰り返していたのです。

オッチャンの餌遣りが一段落したところで、ぼくはオッチャンに話を伺って見ました。

ある日オッチャン家の子供が、縁日の屋台で雛だった「ガーコ」を飼い、家族で大変可愛がっていたそうです。ところが当然「ガーコ」は大きく成長し、鳴き声も次第に大きくなり、オッチャン家族の暮らす団地では、近所迷惑となって飼うことも出来なくなり、泣く泣く港区の家から鶴舞公園の池まで放しに来たとのこと。この池なら、他のアヒルたちもいて、「ガーコ」も寂しくないだろうと。

それからオッチャンは雨の日も風の日も、自転車の荷台に段ボール箱を括り付け、近所のパン屋で分けてもらったパンの耳を積み込み、港区の団地からこの池まで餌遣りにやって来ていたんだそうです。

オッチャンは団地の側の工場で仕事を終えると、それから片道1時間近くを掛けて鶴舞公園まで、作業服姿のまま自転車を走らせていたのです。

昨今、動物虐待のニュースや、幼児虐待などといった、心無いニュースが報じられる度、アヒルの「ガーコ」のために休むことも無く、毎日毎日餌遣りを続けたあのオッチャンのやさしそうな笑顔が、思い出されてなりませんでした。だから、きっともう「ガーコ」には逢えないだろうとは思いながらも、この池までやって来てしまったのです。

笑うと一本だけ欠けた前歯が、とても印象的だった「ガーコ」のオッチャン。どうかどうかお元気でいてください。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「君を手に入れるなら」

あの名作映画、「卒業」はご覧になられましたか?

ダスティン・ホフマン扮するベンジャミンと、キャサリン・ロスの扮する幼馴染エレーン。

言わずと知れたラストシーンは、エレーンと別の男が結婚式を挙げる教会。

エレーンと新郎が、誓いの口づけを交わした場面でベンジャミンが叫ぶ。

「エレーン、エレーン!」。

ベンジャミンへの愛の方が、本物だと気づいたエレーンは、それに答える。

「ベーンッ!」。

エレーンに向かって走るベンジャミンを、阻止しようとするエレーンの両親。

しかし二人は、手に手を取り合って教会を飛び出し、バスへとに飛び乗る。

1968年の封切りですので、ぼくはまだ小学生。ですからリアルタイムで、映画を見たわけではありません。しかし思春期のぼくらは、先輩や友人から聞く「卒業」のラストシーンに、恋も愛も知らぬくせに心震わせた記憶があります。

実際にTVか映画館でのリバイバルで「卒業」を観れたのは、もっと大人になってからだった気がいたします。

しかし「卒業」は、当時のぼくらにとって、大人の恋や愛のバイブルであったことには間違いがありません。

そんな背景があったのでしょう。ぼくの恋心の奥底には、いつもこの曲「君を手に入れるなら」に描いたような、そんな想いが満ち溢れていたようです。

この曲は、CD化されておりませんので、ぼくの拙いギターの弾き語りでお聴きください。

「君を手に入れるなら」

詩・曲・唄/オカダ ミノル

君を手に入れるなら この命の他には

すべてを失っても いいとさえ思ってる心から

君はこれまで生きた この町捨てれば

二度と戻れないと泣いて 立ち止まり振り向く

 気が済むまで 泣き通せばいい 最後の 泪涸れるまで

 そして二人 明日を生きよう 互いに 心を結い上げ

 この世に 確かなものなど どこにも無いはずだから

 ぼくは君を 君はぼくを 決して見失わずに

両手で握れるのは 小さなお結び一つ

だから幸せだって 欲張れば掴み切れないさ

君となら大丈夫 この世の果てまで

一つを二人で分け合い 支え合い生き抜こう

 出逢う時が 遅過ぎたのは 最後の 神様の仕業

 ならば二人 残り時間は 片時も 無駄には出来ない

 たとえ一秒たりとも 君の瞳を見詰め

 君に語り続けるだろう この命の限り

 出逢う時は 遅過ぎたけど 取り戻そう 君と二人して

 だから二人 残り時間を 互いに 足し合えばいいさ

 この世に 確かなものなど どこにも無いはずだけど

 ぼくは君を 君はぼくを 決して見失わずに

 君を手に入れるなら この命の他には

すべてを失っても いいとさえ思ってる心から

1986~7年の年の瀬。初めて一人で、成田空港からユナイテッド・エアでニューヨークに向かった時の事。

搭乗口の辺りで搭乗手続きが始まり、ファーストクラスのパッセンジャーから順に搭乗が始まった時のことです。

ジーンズにラフなシャツ姿の、小柄な男性が目に入ったのです!それはなんと、「卒業」でベンジャミンを演じた、あのダスティン・ホフマンではないですか!

サングラスもせず帽子も被らず、スクリーンで観たそのままの気取らない姿で!

本当に本当に興奮したものです。周りの方々も気付いていたのでしょうが、取り分け騒ぎ立てることも無く、みんな大人の対応でした。

機内ですれ違わないだろうかとも思いはしましたが、彼はファースト、ぼくはエコノミーでしたから、住む世界が違い過ぎました。

ジョン・F・ケネディ空港のターンテーブルで、もう一度ご尊顔を拝せはしないものかとも思いましたが、彼らファーストクラスの方の荷物は、当然プライオリティー・タグが付いていますから、ぼくがエコノミー席からやっとのことターンテーブルに辿り着いた頃には、とっくの昔に空港を出て行かれた後ですから、残念無念!でも、いい想い出になりました!

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「継ぎ接ぎだらけの手編みの手袋」。ぼくの子供の頃は、そんなに簡単に手袋など買ってもらえず、お父ちゃんやお母ちゃんの穴の開いたセーターを解いて、それを継ぎ足し継ぎ足ししながら、母が夜なべ仕事で編んでくれた手編みの手袋でした。しかも五本指の開いた立派なものではなく、首から一本の毛糸で吊るす「ミトン」タイプのものでした。おまけに継ぎ足した毛糸ですから、左右対称ではなく、色も違えば太さもまちまち。それでも、顔に近付けると、お父ちゃんやお母ちゃんの匂いがするようで、心までポッカポカになった覚えがあります。皆さんは、いかがでしたか?初めての手袋って?

今回はそんな、『継ぎ接ぎだらけの手編みの手袋』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「残り物クッキング~獅子柚子ピールと生ハムのHoneyピザ」

まだまだ獅子柚子ピールが残っており、無添加のためなるべく早くなんとかせねばと、編みい出したる作品がこの、超お手軽時短クッキングの「獅子柚子ピールと生ハムのHoneyピザ」です。

まずピザ生地にたっぷりとろけるチーズを盛り付け、その上に獅子柚子ピールをお好みで盛り付け、オーブントースターでチーズに焦げ目が付く程度に焼き上げ、皿に盛り付けます。

そして生ハムとベビーリーフを彩に添え、上からハチミツをたっぷりかければ完了。

ハチミチとラム酒の香りが漂う獅子柚子ピールの甘さと、生ハムとチーズの塩味とが絶妙に絡み合い、キリン一番搾りと白ワインに、ドンピシャな一品に仕上がりました。

お腹一杯で一枚はとても食べきれず、冷蔵庫で保冷しておきましたが、翌日はレンジでチンして、これまた美味しくいただけました。

お子様にも大うけ間違いなしですから、ぜひお試しください。もしも獅子柚子ピールがなければ、ドライマンゴーやドライイチジクなんかでも、きっと美味しくいただけるはずです。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「これって水鳥???それともカラスの行水???」

鶴舞公園の噴水で、真っ黒クロスケで何とも無器用な水鳥だなぁなんて、ボーッと眺めていると水鳥なんて、そんな優雅な物じゃありませんでした!

街中で生ゴミを漁る嫌われ者のカラスたちではありませんか!

しかも何羽も何羽も次々に飛来し、噴水池を我が物顔で占有しているのです。

まさか池の中に餌となるような魚でもいるのかと、マジマジと観察していると、どうやら「カラスの行水」のようなのです。

カラスたちはあまり水が苦手なのか、ザバザバっと羽根を羽ばたいて水を体中に撒き散らし、直ぐに飛び立って行き、また別のカラスがやって来ると言った塩梅です。

そう言えば子供の頃の夏場、熱い湯船に長く浸かれずに、直ぐに風呂からあがって来ると、「またカラスの行水か、この子は!」と母に叱られたものです。

「カラスの行水」の言葉は知っておりましたが、カラスが行水する姿を見たのは、恥ずかしながら62年の人生の中で初めての事でした。やっぱり噂に違わぬ、それはそれはほんの一瞬の行水でした。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「Seasonal Greeting」

いよいよ木枯らしが、広葉樹の木々の色を染め替え、常緑樹の中で浮き出て人目を惹き付けて止みません。

あまりの美しい色付きに、誰もがスマホのカメラを向けているから笑えます。まあもっとも、そんな野次馬の一人が、紛うことなくこのぼくなのですけどね。

きっと皆様の周りにも、こんな風景が今を盛りに広がっているのでしょうね。

そして落ち葉が散り終えると、・・・

サンタさんの季節となるのですね。

こんなポストを見掛け、つい目を見張ってしまいました。

クリスマスカードでも送りましょうってことなんでしょうかねぇ。

さすがにポストのサンタさんから、クリスマスプレゼントはいただけないでしょうが!

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「むむ、ここは何の店だ?」

「GRAINSTORE GALLERY」とはあるものの、とても穀物の貯蔵庫にはどこからどう見てもそうは見えません。

窓枠からこちらを睨み付けているのは、女性でしょうか?或いは男性でしょうか?

さて、恐る恐る店内へ!

入り口を入ってすぐの所に、年代物の帆船が!

説明文には、イギリスが20世紀初頭に派遣した、帝国南極横断探検隊とあるようですが、ぼくの語学力では、このキャプションを読み解くには、辞書を片手にオアマルに1泊せねばなりませんので、ここは断念。

その探検隊の帆船のいずれかなのか、復元しエイジングされたものか、定かではありませんが、この探検隊に関する書籍やTシャツなども並べられ、販売されていました。

しかし昔の方は、こんな帆船で南極の荒波に立ち向かったのかと思うと、その勇気にただただ恐れ入るばかりでした。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「19世紀にタイムスリップ」

オアマルストーンの19世紀の町並みを漫ろ歩いていると、時計の秒針の進み具合が、慌ただしいばかりの現代の、無機質に表示の変わるデジタルのセコンド計と、明らかに違っているように感じられてしまいます。

こんなアウトサイドのテーブルで、まったりとキャフェラテなんぞを愉しみたくなってしまいます。

こちらの小路は、とても趣があります。その割に人影が見当たらないため、「ええっ、人々が忽然といなくなってしまったのではないか?」と、疑いたくなる程です。でもこうしたところが、ぼくが愛するニュージーランドらしさかも知れません。

ニュージーランドでウイスキー?って、どうにもワインのイメージが強かったせいかも知れません。しかしよくよく考えれば、ウイスキーのメッカ、英国領でしたからウィスキーの蒸留もかつては盛んであったようです。

しかし残念ながら最近では、ウイスキーの蒸留もあまり行われなくなったそうで、原酒の樽も空っぽで、瓶詰めされたウイスキーの販売が終わった時点で、こちらのショップも店仕舞いだとか。

でもまだ今は、こちらのショップでテイスティングも出来、販売もされています。しまった!ワインばかりに目が行って、うっかり買い忘れた~っ!

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「まさか!まるでハウルの動く城か?」

まるで宮崎駿ワールドかと、目を疑ってしまう程の衝撃でした。

産業革命の産物か?スチームパンク!

なかなかリアルじゃないですか!物語の世界に誘われるようです。

なんとも見事でそそられるディスプレイです!

1880年代の穀物倉庫を利用した、ユニークな博物館なのですねぇ。

入り口エントランスの脇には、巨鳥モアを思わせる、鉄屑アートがお出迎えです。

もう30年ほど前のことでしょうか?銀座の御幸通りにあった小さなギャラリーで、バクテリアート展なる作品展が開催されていました。

なんだか妙に気になって、ギャラリーの中を覗くと、このオアマルのスチームパンクHQの作品のような、電化製品の廃棄物や鉄屑に空き瓶などで、未知なる生物のようなものがアートされていました。

作品のキャプションを読み進むと、そのアートに利用されている、電化製品の廃棄物や鉄屑に空き瓶が、何万年と言う気も遠のく時を経て、バクテリアが粉々に跡形も無くしてしまう年月が記されており、とんでもなくビックリしたものです。

確かに、電化製品や鉄にガラス瓶も、ぼくらの暮らしに無くてはならない人工物ですが、それが無に戻るまでにそんな大それた時間を要するとは思っても見ませんでした。つまり今を生きるぼくらは、利便性の追求の陰に、途轍もなく膨大な廃棄物を、日々せっせこせっせこと生み出している。それがぼくら人間共の実態なのだと、思い知ったものです。

しかしそれにしても、バクテリアの偉大さをまざまざと見せつけられた、大変意義深い展示会でした。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。