「昭和Nostalgia」(255)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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腕白坊主共の憧れは、こんなゴム管なる飛び道具で、カラスなんぞを狙ったものでした。

とは言え一度たりと、カラスに命中するなんてぇ事はまったくありませんでしたが!

ぼくらは「ゴム管」と呼んでましたが、果たしてそれすら正式名称やら?

ぼくはこんな立派なゴム管など買ってももらえず、そこら辺の道端で拾った枯れ枝の二股をY字部分に見立て、パンツのゴムを括り付けた「なぁ~んちゃってゴム管」でしたから、そりゃあもう狙いが外れるわ外れるわ!

到底カラスになんぞ命中するはずなどありませんねぇ。

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ゴム繋がりでは、こんなゴムだけで優雅に大空を舞う、こんな凧のようなプロペラ機なんてぇ、ちょっと高価なオモチャもありました。

ぼくもお母ちゃんのご機嫌取りに躍起になって、やっとのこと買ってもらったものです。

嬉しくって公園で自慢げに飛ばしたものでした。

でもどんどんと遊び方が過激になり、プロペラを何十回と回しゴムを思いっきり巻き、勢いよく飛ばしたまではいいものの、お寺の本堂の甍に激突し、そのまま放置するしか術もなく悔しい思いをしたものです。

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一文菓子屋で売られていた、機体の先端に鉛の付いた丈夫なグライダーでも、大いに遊んだものでしたねぇ。

大空への夢は、子どもながらに憧れの象徴だったのかも知れません。


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「昭和Nostalgia」(254)

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たかが輪ゴム、されど昭和半ばの子どもらにとっては、それはもう立派な遊び道具の材料であり、女子は髪を束ねたりするヘアーバンドとしても活用される、身の回りに存在したスグレモノノ一つだったものです。

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ぼくら男坊主どもは、もっぱら指鉄砲とか称して、仲間同士で輪ゴムを乱射し合ったりしたものでした。

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まぁ、よっぽど至近距離で射抜かれない限り、痛くも痒くもない代物でしたから、子どもたちの悪戯遊びにゃ持って来いってぇ感じでした。

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こんな感じの飛ばし方もありましたねぇ。

ぼくは結構こっちの飛ばし方のほうが、よく的中させることが出来たものです。

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そう言えば、こんなゴム鉄砲も駄菓子屋で売っていましたねぇ。

ぼくのは、お父ちゃんが見様見真似で日曜大工で作ってくれた、なぁ~んちゃってゴム鉄砲でした。

友達が買ってもらったゴム鉄砲を貸してもらい、それをお父ちゃんが矯めつ眇めつ眺めては、家にあった木っ端で器用に作ってくれた代物です。

とは言え、鉄砲の性能に関しては、残念なことにうまったく記憶にもありませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(253)

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昨日は、サーバーのメンテナンスとかで、ブログをアップ出来ませんでした。

そう言えば先日の、日曜と月曜で「飛騨びと、言の葉綴り」の取材で、飛騨古川と飛騨市河合町の可合スキー場へ出掛けさせていただきました。

9月の半ば頃、古川中学の生徒さんを訪ねて以来、約3か月ぶりの飛騨市となりました。

ちょうど寒波がやって来てくれていまして、飛騨金山からワイドビューひだの車窓からの景色は、徐々に雪景色となり、飛騨古川の駅舎を出ると雪が舞い下りておりました。

1枚目の写真は、雪が降り止んだ月曜日のものですが、名残惜し気な紅葉とほんのりと白い雪景色のコントラストで、どうにもこうにも心癒されてしまったものです。

この分で行けば、年明けの三寺まいりが、大いに期待できそうでなりません!


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「昭和Nostalgia」(252)

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昭和も第4コーナーを回った終盤のバブル時代には、夜の町のあちこちでこんな感じで酔いつぶれているサラリーマンを見かけたものでした。

かく言うぼくも、街角でこんな風に寝たことはありませんでしたが、何度か電車の中で寝てしまい、降りなきゃいけない駅を寝過ごし、反対側のホームで戻りの電車に揺られ、またもや寝入ってしまい降車駅を通り越し、またもう一度反対側のホームの電車に乗り込んだはいいものの、凝りもせずまた降車駅を乗り越し、ついには終電で終着駅の豊橋まで眠り込んでしまったことがありました。

結局豊橋駅近くのサウナで一晩過ごしたものでした。

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こんなネクタイを鉢巻きにしたサラリーマンも、そこら中で見かけたものでした。

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ジュリアナ東京でしたっけ、ディスコで酔いしれる若者たちも多かったものでしたねぇ。

って、こんなぼくでも3回ほど、ディスコに行ったことがありました。

しかし!

なんせ踊り音痴のぼくですから、ダンスフロアへ足を踏み込めるはずなど到底なく、遠巻きのテーブル席で黙々とグラスを傾けるばかりでした。

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こんな光景も、今となっては懐かしいばかりですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(251)

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こんなリヤカーから甘い香りを振りまきながら、曳売りの焼き芋屋さんが、寒い冬になると「石や~きいも、おいも!甘くて美味しい~ヨ♪」と、ちょっと調子っぱずれなだみ声を響かせ、町内を練り歩いていたものでした。

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さすがに芋栗南京好きなお母ちゃんでも、せいぜい家で蒸し芋まではできても、さすがに家の調理器具で焼き芋までは出来なかったと見えて、何度かに一度くらいの割合で内職の手を止め、がま口から小銭をぼくに握らせ、焼き芋一本を買い求めて来るように仰せつかったものでした。

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ほっこりしっとり甘い焼き芋は、なんとも素朴でとっても美味しかったものでした。

でも何十年ともう、食べたことない気がします。

今度、自販機の焼き芋でも買ってみますかぁ!


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「昭和Nostalgia」(250)

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昭和の時代のウー〇ーイーツとでも言ったらいいでしょうか?

鮨屋にうどん屋、中華飯店などの店員さんが岡持ち下げて、自転車や徒歩で出前をする風景って、お目に掛れなくなってどれくらい経つのでしょうか?

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岡持ちの跳ね上げ扉の蓋が空くのを、固唾を飲むようにして、眺めていた遠い日。

わが家で出前を取る時なんて、それこそお客さんのあった時くらいなもの。

出前が届くだけで、非日常的そのものだったものです。

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わが家の周りでは、こんな曲芸じみたお蕎麦屋さんの出前は見かけられませんでしたけど、なかなか圧巻ですねぇ!

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うどんやラーメンなどの汁ものの出前には、こんなスーパーカブの後部に、岡持ちを水平に維持する装置が付いていたものです。

こんなことを想い出していると、なんだか無性に、出前の中華そばが食べたくなっちゃいましたー!


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「昭和Nostalgia」(249)

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子供の頃の木製風呂桶の時代には、こんなヘチマの束子で体を洗ってもらったものでしたねぇ。

ちょっぴり痛気持ちいいって言うか、こそぐったいとでも言うか、ぼくはヘチマの束子が結構好きだったものです。

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そう言えばお風呂が湧いたら、こんな木製の湯かき棒でお湯を掻き混ぜたものでしたねぇ。

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草津の湯もみとは大違いでしたけど!

わが家のお風呂では、沸いたばかりの温度の高い湯と、ぬるい湯を混ぜ合わせ頃合いの温度にしたのに対し、草津の湯もみは源泉の温度の高い湯を湯もみすることで、湯温をを下げるんだそうですから全く持って大違いです。

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そして洗い場には、やっぱり木製の椅子と木桶もあったような?

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銭湯ではこんな、お馴染みケロリンの洗面器が、浴場の入り口に山積みになっていたものでした。

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そして風呂場の壁には、こんなお風呂掃除用のバスシューズが吊り下げられていたものでした。

いずれもお父ちゃんとお母ちゃんがいた、昭和半ばのお風呂場のわが家の風景だった気がします。

よしっ、今度100均でヘチマの束子を見かけたら、絶対に買ってみよっと!


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「昭和Nostalgia」(248)

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こんなまるでお湯張り番人のような「ナショナル電子風呂ブザー」なるものをご存知ですか?

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わが家にはあったのか、それともなかったのか?

でもどこかで確かにお目に掛ったような?

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まぁもっとも、お父ちゃんが近所のご隠居さんお二人と、三人がかりで日曜大工の末、小学校の2年か3年の頃、小さな庭に風呂小屋を建て木製の風呂桶を設置してくれた頃。

水だけ張って釜で沸かすという和風なお風呂でしたから、こんなお洒落なブザーは似合わなかったでしょうねぇ!

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今だったら給湯器が勝手に「お風呂が沸きました」って喋って教えてくれる、想像も出来ぬほどとても便利な世の中になりましたよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(247)

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昭和半ばの時代、一般家庭にはまだまだ乾燥機なんてぇスグレモノの家電がある家なんて、そうそうなかったんじゃないでしょうかねぇ。

家なんて昭和がとっくに終わっても、まだ衣類乾燥機なんて無かった気がいたします。

ですから洗濯物を物干しやベランダで乾かすわけですから、急な雨が降り出すと厄介極まりなかったものです。

それでもまだ家に居れば多少の雨に濡れる程度で、洗濯物を家の中に緊急避難させられるものの、これがあいにく外出でもして居ようものならさあ大変!

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昭和半ば以降には、こんな「雨コール シンフォニー」なるものが登場していたようです。

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なんでも雨の降り始めを感知して、メロディーで知らせてくれるのだとか。

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当然ながらこんなスグレモノはわが家にゃあありませんでしたし、その存在すら今の今まで知らずに令和の世へとやって来てしまっております。

しかもメーカーは、ヘルスメーターや体温計で有名なあの「タニタ」さんだから驚きです!

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大きな金盥に木製の洗濯板を差し入れ、お母ちゃんが手洗いしていた時代に、こんな未来からやって来たような「雨コール」なるものがあれば、せっかく乾きかけた洗濯物が急な雨でずぶ濡れになって、もう一度洗い直すことも無く済んだんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(246)

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「オシッコを音で知らせるオムツカバー」なんてぇ便利なものが昭和半ば以降に誕生していたようですねぇ。

もちろんぼくは知りませんでしたし、使ってもらったことも無かったはずです。

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ぼくがまだ赤ちゃんでオムツのお世話になっていた頃は、もっぱらお母ちゃんお手製の晒し木綿のオムツだったと思われます。

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ちゃんとそんなオムツをした白黒写真が、古いアルバムの中にあります。

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きっと当時のわが家の洗濯物の物干しでは、洗いざらされた木綿のオムツが、こんな風に棚引いていた事でしょう!

もしぼくがオムツのお世話になっていた時代に、こんな「ヘルスベビー」なるものがあったとしたら、お母ちゃんの背に負ぶわれていた時にお漏らししたとしても、お母ちゃんの背中に染み出す前に事態を収拾出来たんでしょうけどねぇ。

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それも今となってはとても叶わぬことかぁ!

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こんなぼくでも、娘が赤ちゃんだったころは、こんな紙おむつをせっせせっせと取り換えてやったものでしたねぇ。


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