「あっ!こんな町中に木守柿だぁ!・・・???あれれっ?」

いつもと違うコースをウォーキングすると、新発見と出逢えるものです。

今回は信号待ちしていると、道路を渡った街路樹に「木守柿???」のようなものが!

まさかこんな町中の街路樹に柿の木が植わっているのか?

信号が変わって近付いて見ると、そんなわけはありません!

ご近所のどなたか野鳥好きの方が、桜のような街路樹の枝に、半分に切ったミカンを挟んでいらっしゃったようです。

ご丁寧にお隣の木にも!

よく見ると半身のミカンは、まだまだ瑞々しいじゃありませんか!さすがに野鳥がやって来るまで、寒空の下、待ち続けることも叶わず断念いたしました。

そう言えば昔、天職一芸の取材で、伊自良の連柿職人さんを訪ねた折に、「木守柿」のお話しを教えていただきました。

柿の木を収穫する際、根こそぎ柿の実を採ってしまわず、「来年もたくさん実ってくれますように」とか、「野鳥たちへのお裾分け」と言う意味合いで、柿の実を必ず一つ二つ残したままにすると伺いました。

何だか心和む「木守柿」に、日本人の気高い心根のやさしさを感じました。

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「これぞ吉兆の兆しか?」

昨日のウォーキングの帰り道、堀川に架かる橋を渡っていると、川下から一艘の屋形船が!

何か知らんと橋の上から眺めると、屋形船の上に千成瓢箪が!

あれあれっと船縁を見ると、秀吉の文字!

堀川を上り下りする、観光屋形船の「秀吉丸」とでもいうのでしょうか?

それにしても三が日の最終日に、たまたま眺められましたので、「むむむ、これぞ吉兆の兆しか!」と、勝手に都合よく思った次第でございます。

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「ペガサスベイ・ワイナリーの道具たち」

ここはワイン樽の製造所です。何と言ってもプラスチックやステンレスの樽ではなく、昔ながらの木製のワイン樽こそが、ワイナリーの味の決め手だと思います。

樽職人がまだまだ活躍する居場所が、ちゃんと残っているからこそ、樽職人の技術が絶えることなく受け継がれて往くのですから。

天職一芸の取材で色んな職人さんの話を散々伺いましたが、日本の酒蔵も味噌屋も醤油屋も、昔ながらの仕込み樽を治す職人もおらず、新たな木製樽を注文したくても、もう巨大な樽を作れる職人すら消え失せる一方だと、嘆かれていたことを思い出します。

このお道具たちも、ワイン製造に欠かせぬ、昔ながらの道具なんでしょうが、眺めるだけで何が何だかさっぱりわかりませんでした。

しかし樽を閉めたり、醸造具合を確かめる、テイスティングの道具なんかかしらと思ったものです。

日本の鉋や鋸は、手前に引いて使いますが、西洋ではまるっきり反対で、手前から向こうに押し出して使うなど、これまたビックリした覚えがありましたから、ワイン醸造のお道具たちも、日本人向けの使い方とは異なる物かも知れませんね。

こんな目方測りなんて、時代がかっていて、面白いものですよね。そうと知らなければ、洋風のベー独楽かしらんと思えるほどです。

さあ、次回はいよいよ、ペガサスベイ・ワイナリーのメインハウスの外に広がる、ガーデンテラスで豪快なランチです!お楽しみに!

こちらがニュージーランドで買った、ペガサスベイ・ワイナリーのピノノワールです。昨日の夜、ニュージーランドを思い出しつつ、美味しくいただいてしまいました。

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「一富士二鷹三茄子 初夢や如何に?」

初夢って本当は、正式にいつ見るものなのか?元日の夜だと言う方もいれば、いやいや二日の夜見るものが初夢だと言い張る方もおいでになります。

皆様の初夢とは、何時の夜にご覧になる事を指しておられますか?

気になって調べて見てビックリ!もう、諸説あることある事!

 昔は立春を正月としおり、「節分の夜から立春の朝」までに見る夢が初夢と呼ばれたのだとか。 やがて明治の改暦で、暦が現在のグレゴリオ暦に変わると、「大晦日の夜」に見る夢ということとなったそうです。

簡単に言うとそうなりますが、実は明治政府が改暦を発表したのは、明治5年(1872)11月8日。新暦に従うとなると、あと一月も無い明治5年12月3日が、新暦の明治6年1月1日に当たることとなった訳で、これまでの慣習による師走はたったの二日目で大晦日となる勘定。例年より4週間も縮まるわけですから、さぞやその時代を生きた方々は、戸惑われたことでしょう。

それから後になり、大晦日は年神様をお迎えするため、眠らないとする習慣が定着し始め、「元日の夜」に見る夢が「初夢」となっていったとか。

また一方で、1月2日が物事を始める日という考えから、「2日の夜に見る夢」が「初夢」と言う説も一般的になっていったそうです。中には、2日から3日の夜の夢を「初夢」と位置付けているところもあるのだとか・・・。ああ、分かりにく~っ!

そして初夢の中身と言えば、「一富士、二鷹、三茄子」。

ぼくは62年間生きてまいりましたが、まだ一度もこんな吉夢を見た記憶がございません。

今夜あたり、ぜひ見て見たいものです。

言わずと知れた「富士」は、高く美しい日本一の山で、高い目標や理想をかなえる立身出世の象徴。末広がりで縁起良し。

食物連鎖の頂点に君臨する「鷹」は、高く強く羽ばたき大空を舞い、開運につながる。

続いての「茄子」は、財を「成す」、子を「成す」と、事を「成す」に通じ、これまた縁起が良い。

子供の頃から、お雑煮を食べつつ、お母ちゃんから何度も聴かされた台詞です。そうは毎年毎年言われても、そんな自在に「一富士、二鷹、三茄子」の夢なんて、さっぱり見られっこありませんでした。

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「初春を寿ぎ、お慶びを申し上げます」

皆々様、明けましておめでとうございます。

どのような元旦をお迎えでしょうか?

ぼくは頂き物の、取って置き、久保田の萬壽を御屠蘇代わりに、そしてシャンパンのブーブクリコを抜いて、朝から田作りを肴に今年も酒浸りです。

とは言え、2020年の元旦は非常に穏やかな心で、グラスを重ねられることに、何より感謝している次第です。

今年は大らかな心で穏やかに、奢らず腐らず焦らずを信条に、まあいつもの事ではありますが、のらりくらりと健康に過ごせれば、それが何よりと、神棚と両親の遺影にお屠蘇代わりの萬壽をお供えして、新たなる誓いを立てました。

今日は千鳥足で、ショートカットのウォーキングでもと思っています。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げますいたします。

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「フィナーレ」

いよいよ泣いても笑っても、2019年もあと2時間を切りました。

皆々様はどんな大晦日をお過ごしでしょうか?

ぼくはこの一年、色んな事がありすぎて、まさに喜怒哀楽がてんこ盛りでした。

でも何とか健康で、穏やかな気持ちで大晦日を迎えられたことに、心からただただ感謝するばかりです。

確かに失ったものもありました。しかし失ったもの以上に、数々の出逢いがぼくを勇気付けてくれた、そんな一年でもありました。そして何より、本当に大切な、人としての心の在り方を、改めて考えさせられ、教えてもらえた年でもありました。

先日のほろ酔いLiveで、冒頭ぼくが「ただいま~っ!」と叫ぶと、会場の皆様から割れんばかりの「おかえり!」の声。どれほどぼくの心が震えたことか!その一場面だけのために、ぼくの2019年はあったのかも知れません。

喜怒哀楽で埋め尽くされた今年の暦も、いよいよあと2時間足らずで、真新しい2020年の暦へと変わる、2019年のフィナーレです。

「喜」と「楽」は来年に携え、「怒」と「哀」は2019年と共に葬り去って、また新しい一歩を踏み出そうと思っています。

今年もご支援の数々、心より感謝申し上げます。

どうぞ皆々様の新年が、輝かしい年となりますよう、心より祈念いたしております。

今夜は、2019年もあと2時間足らずとなりましたので、「フィナーレ」を弾き語りでお聴きください。

「フィナーレ 」

詩・曲・唄/オカダ ミノル

粉雪が君の睫毛から 零れ落ちて頬伝う

君をなぜ愛したのか 別れが来ること知らないまま

 フィナーレは粉雪舞う 白いホーム二つの影

 終電が出るまでに 何か言わなくちゃ

 遠ざかるテールライト 赤い灯を揺らさないで

 小さな肩震わせた 君のようだから

駅前の見慣れた街さえ いつの間にか雪化粧

昨日まで寄り添い歩いた 二人の街が雪に煙る

 フィナーレは粉雪舞う 通い慣れた改札口

 終電が出た後の まっ白なホーム

 心だけがテールライト いつまでも追い掛けてく

 駅前にただ佇む 抜け殻のぼく残して

 フィナーレに粉雪舞い 駅舎の灯も今消え入る

 君とぼくの物語の エピローグですか

  心だけがテールライト いつまでも追い掛けてく

  小さな肩呼び止めて もう一度抱きしめたい

この曲は、ぼくが22~23歳くらいの、今から40年近く前の作品です。この曲が出来て間もない頃、どんなコンサートだったかもう記憶にありませんが、一宮勤労会館で初めて披露した覚えがあります。

バックバンドを務めて下さったのは、大先輩のセンチメンタルシティーロマンスの皆さんでした。ですからその時のステージで、センチの皆さんとデモ・レコーディングした「TOKYO SILHOUETTE」と「心の扉」を演奏したはずです。そんな頃この「フィナーレ」が出来たばかりで、当時リーダーだった告井さんに相談し、急遽ぶっつけ本番で演奏していただいた思い出があります。

そして不思議な事に、ぼくが15歳の夏だったかに、師匠であった故山平和彦氏のコンサートで、当時マネージャーだった銀次さんから、「ミノル、前座やってみるか?」と言われ、15分間の前座のステージを任されたのも、同じ一宮勤労会館でした。しかしその前座のステージは、惨憺たるものでした。ぼくも師匠たちを真似、ギターの弦を初めて張り替え、意気込んでステージに立ったはいいものの、弦を張り替えた後、弦を引っ張って伸ばしておかなければならないという、基本中の基本も知らずスポットライトを浴び、弦はますます伸び放題で、チューニングも制御不能。ぼくの初めての15歳の前座のステージは、舞台の真ん中で冷や汗をかきながら、必死にチューニングするのに悪戦苦闘し、最後はそのまま一言もしゃべれず、一小節も唄わないまま、緞帳を下ろされてしまったのです。そんな思い出深い会館で、今度はあのセンチメンタルシティーロマンスの大先輩方とご一緒とは、とても緊張したものです。

さらに前座の惨憺たるステージから確か2年後には、師匠の故山平和彦氏のバックバンドをセンチメンタルシティーロマンスが務め、鶴舞の名古屋市公会堂で公開レコーディングがあり、ぼくもバックステージで師匠のお手伝いをしながら、初めてライブレコーディング用のアンペックスの24chレコーダーをこの目にし、感動した覚えがあります。カセットテープの幅は3.81mmなのに対し、アンペックスの24chテープの幅は、4~5cmくらいあり、腰を抜かすほど驚いたものです。

ぼくの出来立ての「フィナーレ」を、センチの皆さんは即興演奏で、見事なまでに仕上げて下さったのです。ところが残念ながら、その時の録音は残されておらず、ぼくもどんな楽曲に仕上がっていたか、すっかり記憶から消えてしまっているのが、返す返す今となっては残念でなりません。

ここでもう一度、CDに収録されている、バンドアレンジの「フィナーレ」をお聴きください。

さあ、あと少しで2019年も終わります。いい事も悪い事もすべて呑み込んで、もう一歩前へ。自分らしく、自分の速度で。のらりくらりと、笑って2020年を迎え、また一年間の大半が笑って過ごせるよう祈りましょう!

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「福笑い!」。今考えたら、一体全体、何がそんなにおかしかったのか、思い至りませんが、お正月に従兄妹が遊びに来ると、両家の家族皆で「福笑い」で遊んだものです。ぼく的におかしくてならなかったのは、家のお父ちゃんと、従兄妹のオジチャン。もうたいがい酔っ払って、真っ赤な顔に手拭いで目隠しをして、やれ右だ、やれ上だの下だのと、半ばみんなにからかわれながら、着物を尻っ端折して四つん這いで這い回る、お父ちゃんやオジチャンの姿が笑えてならなかったものです。やっとのことで出来上がった作品は、お福様のお顔にゃあほど遠い宇宙人のようだったものです。皆さんはいかがでしたか?

今回はそんな、『福笑い!』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~大根バターソテーの鉄板チーズ焼き」

スーパーで1/2にカットされた大根を買って、大根おろしでいただいた後、まだ2/3ほどが野菜室に入ったままでした。

こいつを何とかせねばと、編みいだしましたる作品が、この「大根バターソテーの鉄板チーズ焼き」です。

作り方はこれまた超ズボラ。まず大根を3cm程の輪切りにし、シリコンスチーマーに入れてレンジで4~5分チンして、竹串がスポッと通ったら準備OK。

続いてフライパンでたっぷり目にバターを溶かし、蒸した大根の両面に焦げ目が付く程度に焼き上げます。

その傍らで、鉄板にとろけるチーズをたっぷり入れ、白ワインを少々注いで火にかけチーズを溶かしておきます。

大根のバターソテーが完成したら、チーズのとろける鉄板に乗せ、しばらく火にかけてチーズが一部焦げる程度に焼き上がれば完了。

彩にドライパセリを振り掛け、味噌カツ用の甘味噌を大根に垂らせば完成。

大根とバター、そしてチーズの相性たるや目を見張るほどで、甘味噌がとってもいい感じにアクセントを加えてくれました。

考えて見れば、チーズも味噌も共に発酵食品ですから、ダブルパワーで大根ソテーの旨味を引き立ててくれまして、ついついキリン一番搾りがグビグビと進んでしまいました。

これまたお子様にもお喜びいただけるのは間違いなし。お正月のお節に飽きたお子さんに、ぜひどうぞお試しあれ!

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「除夜の鐘の音」

わが家の周りには、寺町と言ってもいいほど寺が多く、大晦日の夜半になるとあちらこちらから、それぞれに違う梵鐘の音が響き渡り、ベランダに出て寒い夜空を見上げていると、様々な思いが脳裏をよぎってゆくものです。

「鐘も撞木の当り柄」。意味は、「よい音の出るも出ないも撞木次第。連れ添う人の良し悪しで、その人が良くも悪くもなる意。また、よく仕向ければ、相手もこれに報いることのたとえ。 」だそうです。

以前、天職一芸の取材でお邪魔した、三重県桑名市の鋳物師(いもじ)は、「鐘の音は、当り、送り、返し、振りと、余韻と抑揚を含んで鳴り響くもの」と、お教えいただきました。寒空に耳を澄ましていると、老鋳物師が仰った言葉通り、何とも言えぬほど奥行きのある鐘の音に、穏やかな心で一年を振り返ることが出来そうです。

皆様も今夜は厚着でもして、寒空に響く梵鐘の音に耳を傾けられてはいかがでしょうか?心がスーッと静まっていくと思います。

それではどちら様も、良い年をお迎えください。

今年も一年間、誠にありがとうございました。

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「お地蔵さまも、年に一度の煤払い」

またまた昨日のウォーキングの途中、こんな不思議な光景を発見!

お地蔵様の両脇に置かれたプランターから、フラワーアーチが弧を描き、蔓科の植物でも伸びているかと思いきや、何が何が!

よくよく見て見ると、お地蔵様の色とりどりの涎掛けが奇麗に洗濯され、フラワーアーチを物干し代わりに干してあるじゃないですか!

なるほど、お地蔵さまも年に一度の煤払いで、涎掛けまでも奇麗にしていただいて、新しい年を迎えられるのだと、とってもホッコリとした気分に浸れました。

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「いざ!ペガサスワイナリーへ」

クライストチャーチの中心部から、車で40分ほどの所にあるペガサスワイナリー、へ!

なんともお洒落な佇まいです。

予定では、このワイナリーでワインのテイスティングは勿論の事、ペガサスワインにぴったりな食事も、専門シェフが腕によりをかけて振舞ってくださるとあって、俄然戦闘意欲が湧いたものです。

次回はいよいよ、ワイナリーのメインハウスを巡ります。

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