「日本軍の上陸を阻んだ砲台」

この国立博物館の前の左端にある砲台は、オークランド湾の沖を向いて設置されており、第二次世界大戦の折に日本軍が攻め入って来た時、日本の軍艦を撃沈するためのものだったとか。

しかしこの砲台は、火を噴くこともないまま、日本軍は無条件降伏を受け入れ、現在に続く平和な世が訪れることとなったのです。

こんな砲台も、歴史をつぶさに見守った、歴史遺産として、今後も愚かな戦争に足を踏み入れないための、教訓とすべきなのでしょうね。

この「イーデンパーク」は、あのオールブラックスの聖地のラグビー場です。

あんな風に世界の檜舞台、ワールドカップで見事なまでのトライを決められたら、さぞや天にも昇る想いなんでしょうね。

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「マオリ・ビレッジのこぼれ話」

ニュージーランドのいたるところで見掛けるものの一つに、こんなドネイションボックスがあります。

ネイティブな動植物のための寄付金集めが、ごくごく普通に生活の中に根付いている証です。

ぼくもポケットの小銭を入れさせていただきました。

この募金がDEPARTMENT OF CONSERVATION(自然保護省)に託され、ネイティブな動植物保護に使われるのです。

こちらは昔懐かしい、男子の小便用のトイレです。ぼくが子どもの頃は、横一列に子どもたちが並んで、どこまで高く小便を飛ばせるか、なぁ~んて馬鹿な事に夢中になったものです。

ニュージーランドでは、今でもこうした男性トイレが存在しています。

30年ほど前に初めてニュージーランドに降り立った時、ウエリントン空港でこんなトイレを発見し、子どもの頃を思い出しながら用を足した記憶があります。

今では個別の小便器で、両脇にパーテーションの目隠しがあるのが普通ですから、何とも解放感に満ちて、久しぶりに痛快でした!

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「マオリのカパ・ハカの始まり始まり!」

コタネ・ザ・マオリ・エクスペリエンス最大の呼び物は、マオリの伝統的な踊りのラインダンスや、ボンボンを巧みに操るポイダンス、そしてもちろん、あのオールブラックスで有名なハカも見ものです。

ブログでは、ハンギ料理が竈から出されて直ぐ後に、ハンギディナーの写真を掲載しましたが、実はハンギ料理が竈からパントリーに運び出され、ブッフェの準備が整うまでの間、ゲストはホールに案内され、このショーを見て愉しみ、それからダイニングへと移動すると言う流れです。

ハワイアンやポリネシアンダンスとは、一味も二味も異なる凄みが感じられます。

男たちは、踊りの中でも、独特な表情で敵を威嚇するかのようです。

ハイライトはやっぱりこの、歌舞伎役者さながらの、ハカの決めポーズですねぇ。

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「マオリと言えば、ハンギ料理」

地面を覆う鉄の蓋の下で、大きな葉に包んで鶏肉や野菜を蒸し焼きにしたのが、マオリの伝統的なハンギ料理です。

普通は地面に大きな穴を掘り、鉄の蓋の代わりに大きな葉で覆って蒸し焼きにしていたようですが、ここは多くの観光客にマオリディナーを用意しなければなりませんから、火種はプロパンガスの様でした。

だからなのか、蓋も鉄製の頑丈なものだったのかも知れません。

さあいよいよ、ハンギ料理が完成したようです!屈強なマオリの戦士が鉄製のふたを持ち上げれば、ご覧の通り!

竈から料理を引き出し、メインハウスのダイニングへと運ばれて往きます。

ブッフェテーブルからぼくがチョイスした、ハンギディナーです。鶏肉と豚肉、そしてクマラ(サツマイモ)などのスチームされた野菜と、サラダにナチョス風のスナックです。

ソースはお好みで、ご覧の三種から!左がサワークリーム風のソース、真ん中がトマト風のソース、そして一番右側は・・・。ぼくは右側のソースを取らなかったのでわかりません・・・トホホ。

お味はいずれもシンプルそのもので、素材の味を十二分に楽しむ、それかぜマオリのハンギ料理です。むしろ色鮮やかなソースで華美に装飾されておらず、出来るだけ手を加え過ぎないことで、素材の持つ天然の味を味わうって感じで、とても美味しかったものです。

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「いざ!マオリ・ビレッジへ」

中央がこのマオリ・ビレッジの酋長と言うか、村長です。

酋長も両脇の女性も、首から背中を覆うケープを着用しています。これは一説によると、暖かなポリネシアからやって来たマオリの人々は、ニュージーランドが冬もあって寒いため、その寒さを凌ぐために、飛べない鳥たちを捕獲し、その羽根でケープを作ったそうです。現に、オークランドの国立博物館には、マオリの最大部族の大酋長が着用されたと言う、ケープが展示されていました。その貴重なケープに使われていたのが、絶滅の危機に瀕している、飛べない鳥「カカポ」のハーブのような羽根でした。

しかもそればかりか、既に絶滅してしまった「フイア(和名/ホオダレムクドリ )」は、我々人間の犠牲になったと言わざるを得ない鳥でした。

「フイア」は、体長約50cm。羽の色は黒で、尾羽の先端だけが白く、クチバシの根元に赤い肉だれがあり、和名の「ホオダレムクドリ」の名はそこからついたそうです。

「フイア」に悲劇が訪れたのは、19世紀末。マオリの酋長が白い尾羽を髪飾りとして使っていたことや、1900年前後にニュージーランドを訪問したヨーク公(後の英国王ジョージ5世)が、寄贈された「フイア」の羽が帽子に付けられており、それがファッションとして流行したことにより、羽飾り目的の乱獲が行われたのも、その一因と言われています。

酋長が木彫りの鳥笛を吹いて、鳥たちを呼び寄せるデモンストレーションを披露してくれました。

しかしマオリの方々のライフスタイルも、ぼくが知り得る30年ほど前と比べると、随分変わったことに気付かされます。

もっとも30年ほど前は、交差点の横断歩道ですれ違うマオリの方々は、顔や腕、それに上半身に魔除けの刺青がたくさん入っていて、ギョッとしたほどです。何でもマオリの部族で位が高い程、顔面には多くの刺青が施されていたようです。ところが最近では、刺青に似せたメイクを施すようで、やっぱり本物のマオリの長老たちの彫り物とは、色合いと風格が違います。この酋長の両脇のお嬢さん方は、クォーターくらいの方ですから、下顎に髭のような刺青擬きがメイクされていました。

伝統と文化は、時代と共に少しずつ色褪せてゆくのでしょうか?ちょっぴり寂しい気持ちになったものです。

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「南島のマオリ・ビレッジへ!」

クライストチャーチから車で南島唯一の、エクスペリエンス型のマオリ・ビレッジへ!

村の入り口にやって来ると、マオリの戦士たちが槍を片手に物見にやって来ます。

ぼくらのパーティーは、ヨーロッパやアメリカの方々を含め、20名ほどでしたでしょうか?

まるでラグビーのオールブラックスのハカを見ているようです。

そしてぼくらのパーティーの中から、予め選出された赤いTシャツ姿のリーダーが、黒いTシャツ姿のマオリの出迎えの使者とご対面です。

まずは両者が額を合わせ、そして鼻の頭を合わせて、敵意がない事を現し、やっと村への門を潜ることが出来るのです。

こりゃしかしどう見ても、まともに張り合ったところで、わがパーティーのリーダーじゃあ、勝ち目はなさそうですから、平和的に穏便に事を運ぶのが一番ですねぇ。

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「ふたりの長良川」

某局のTV番組で、わずかな期間の放送でしたが、「夫婦善哉 金婚庵」という、番組がございました。

ぼくとラジオパーソナリティーの森下リカちゃんが夫婦役で、毎回金婚式をお迎えになられたご夫婦や、間もなくお迎えになるご夫婦をお招きし、夫婦道について新婚間もないぼくとリカちゃんが教えを乞うと言うものでした。

しかしながらこの番組は、玉虫色にコロコロと変るお偉いさんのご意向で、わずかワンクールたらずで、あっという間に終わりを迎えることとなったのです。

さてこのLiveのバックに移っている写真は、その「夫婦善哉 金婚庵」の番宣のため、大雪に見舞われる中、テーマソングとなった「ふたりの長良川」の歌詞に合わせる形で、現地ロケを行った時の、長良川鉄道北濃駅でのシーンです。

まずは、ミノルとリカの「ふたりの長良川」からお聴きください。

「ふたりの長良川」

詩・曲・唄/オカダ ミノル 唄/森下リカ

雪に埋もれた高鷲(たかす) 夫婦滝で誓った

ふたり寄り添い生きてゆこうと 舞い上がる白鳥(しろとり)に託した

  夜を明かして踊れば 八幡の城下町

 このまま何処までも あなたとなら

喜びと哀しみ 幸せと不幸せ

ふたり手をとり美濃路を下る 長良の鮎がその身を任(まか)すように

  長良橋 金華橋 互いをただ信じて

  この命果てるまで あなたと伴に

  ふたり生きた証しが この川を遡る

  あとは海へ還ろう 流れるままに

  ふたり生きた証しが この川を遡る

  あとは海へ還ろう 流れるままに

この「ふたりの長良川」を深夜のラジオ番組で、毎週流していた頃、老夫婦の奥様からお手紙をいただきました。

「この歌にあるご夫婦のように、私共夫婦も喜びも哀しみも二人で分かち合い、長良川を下りながら生きて行こうと思います」と。

なんだかとっても嬉しいお便りだったと、記憶しています。

続いては、ぼくの弾き語りの「ふたりの長良川」をお聴きください。

長良川沿いの町には、それぞれの文化と歴史がてんこ盛りです。郡上と一口で言っても、高須と白鳥も、そして大和にしても八幡も、似ているようでも非なる部分も多く見られるものです。今のように何処へでも、車でひとっ走りと言う時代ならともかく、自分の足だけが頼りの時代であれば、集落の周辺から抜け出すこともままならず、ましてや山間の集落ならなおさらの事。だからこそ似て非なる独自の文化や風習が、集落の中で脈々と息づいていったのでしょう。長良川沿いの町で、色んな方々からお話を伺うと、言葉の端々にも若干の違いまで感じられるものです。

清流長良川が育んだ、美しい文化や風俗。いつまでもいつまでも、受け継がれてゆくことを願って止みません。

続いては、ボサノババージョンの「ふたりの長良川」、そして長良川国際会議場大ホールでのLive音源からの「ふたりの長良川」と、2曲お聴きいただければ幸いです。

まずは、スタジオ録音版からです。

そして長良川国際会議場大ホールのLive版です。

★実は先週の12月31日の深夜ブログで、翌日の1月1日にお誕生日をお迎えになる「トトロんぽいけどとんとろとんとんとん」さんの、お祝いソングを唄わせていただくお約束をしておりました。しかしぼっくがうっかり失念。録音する事を忘れてしまっておりました。それに気が付いて、さっそくメールでお詫びし、1週間遅れでのお祝いでご了見いただきました。そしてもうお一方、明日1月8日にお誕生日をお迎えになる、「黄色いモンブラン」さんのお祝いを、今夜はご一緒にさせていただきます。それでは「Happy Birthday~君が生まれた夜は」を、今夜も唄わせていただき、ささやかなお祝いとさせていただこうと思います。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「鏡開き」。昔は真空パックの鏡餅なんて、洒落たものなんてありませんでしたから、1月11日の鏡開きの日にゃあもう、鏡餅なんて黴まるけ!お母ちゃんが鏡餅を水に浸し、菜切り庖丁のアゴのところで、黴をこそぎ落としていたのを思い出します。これは家のお母ちゃんだけかも知れませんが、小さな鏡餅を家中のあちらこちらに飾り付けておりました。ですから便所にも当然小さな鏡餅と、小さな豆注連縄が飾られていて、鏡開きの日には便所にお供えした小さな鏡餅も、他の物と一緒にお母ちゃんが黴を取り、そのまま火鉢の上でコトコトと煮立っているぜんざいの中へ!ですから、便所にあった鏡餅がもうどれかさえ分からず、「ええい!ままよ」っとばかりに、知らぬ存ぜぬを決め込んで美味しくいただいたもの物です。さすがに今となっては、トイレで鏡餅を見掛けることはありませんねぇ。皆さんのお宅ではいかがでしたか?家のお母ちゃんだけだったのかしらん?

今回はそんな、『鏡開き』に関する、皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」

皆さんは鰹の荒節や、利尻や日高の昆布で出汁を引いた後、鰹の荒節や昆布の残り物をどうされていますか?

ぼくは捨てるのも憚られ、鰹の荒節の残り滓で、なぁ~んちゃって自家製ふりかけにしたり、昆布は醤油と酒と味醂に山椒粉で煮て、これまたなぁ~んちゃって自家製昆布の佃煮を作ることがあります。

今回も出汁を引いた後の昆布が捨てられず、さてどうしたものかと。

冷蔵庫を見渡せば、乾燥桜エビやちりめんじゃこがあるではないですか!

ならばと試してみたのが、この「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」です。

まず出汁を引いた後の昆布を賽の目切りにして、フードプロセッサーへ。微塵切りモードで細かくして鍋に入れ、残り物の乾燥桜エビにちりめんじゃこ、白ごまを入れます。

そして醤油、酒、味醂、山椒粉をお好みで入れ、後は昆布に味が染みるまで、弱火でコトコトと煮詰めれば完了。

炊き立ての新米に乗せ、いただいてみました。これがまた、昆布の独特な食感と、桜エビとちりめんじゃこの風味も加わり、なんとも言葉に出来ないほど絶妙な味に仕上がりました。

ならばと、酒のあてにもと思い、湯豆腐に塗っていただいて見ましたが、これまたぴったんこ!

ついつい冷酒が進んでしまったものです。

こんな一品が冷蔵庫に常備してあれば、なんにも作る気がしない日にも便利で重宝なものです。

ついつい調子に乗って、翌日にはオリーブオイルでパスタを炒め、ジェノベーゼソースの代わりに、この「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮」をソースにして、パスタと一緒に軽く炒めていただきましたが、これまたビックリ!イタリア人にも食わせたいほどの、ボーノボーノなパスタに早変わりしちゃいました!

皆様もぜひお試しいただければ、「なぁ~んちゃって、あり合わせ佃煮パスタ」の美味しさには、きっと目を見張る事間違いなしです。

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「ペガサスベイ・ワイナリーのメイン料理」

お待ちかねのメイン料理が厳かに登場です。

どうですか!昭和時代のあの「おっぱいパン=甘食」のような物がデーン!一見巨大なパイのようですが、皆様は何だかお判りでしょうか?

上蓋のようなパイ生地を取り除いたところが、この写真の状態です。

まだお判りになりませんよねぇ。

ニュージーランドと言えば、何と言っても羊。子羊の骨付きラム肉の塊に、ハーブを被せ、先程のパイ生地で蓋をして、そのまま大胆にオーブンで焼いたものです。

これを皆でシェアして、ラムチョップに切り分けて、右側のアボカドディップソースなどを添えていただくと言うものです。

さすがにぼくは、一切れだけで十分でした。でもさすが本場ニュージーランドのラムチョップ。臭みも全くなく、それはそれは美味しかったです。ラムチョップにはやっぱり、赤のピノノワールのグラスワインをグビグビと頂いちゃいましたぁ!

そしてフレッシュハーブリーフのシンプルサラダ!オリーブオイルと岩塩とブラックペッパーで、とってもシンプルにいただきました!

ご馳走様でした!

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「ガーデンテラスのお洒落なランチ①」

まず最初の登場は、箸休めのスターターであるカンパーニュ。オリーブオイルに岩塩、そして赤味噌が混ぜ込まれたバター!この赤味噌仕立てのバターと、自家製石窯焼きのカンパーニュが、箸休めどころか立派な逸品料理の様でした。

続いては、白身魚とリンゴのスライスロール、フレッシュハーブ添えのアミューズです。

リンゴの酸味と甘味がほんのりと加わり、白身魚のカルパッチョのような爽やかなお味で、白ワインにピッタリ!

そしてサラダは、インゲンとフライド・オートミール、ドライレーズンにモッツァレラチーズ添えです。なんとも絶妙な歯応えが堪らない、シンプルでとってもナチュラルなサラダでした。特にドライレーズンがとってもいいアクセントを加えてくれ、そこにフライド・オートミールの香ばしさと、サクッとした歯ごたえが堪りません!

さあ、いよいよペガサスベイ・ワイナリーのメイン料理の登場ですよ!

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