「昭和Nostalgia」(208)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

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これをご覧になって「懐かしい!」と感じた方は、これまた立派な昭和人に違いありません。

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JRがまだ「国鉄」と呼ばれていた頃、みどりの窓口で座席指定の切符を買おうとすると、窓口の係員が

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こんな鉄製のノートの様な「マルス端末」と言うもののページをめくって、乗車駅と降車駅にピンの様なものを差し込んで、座席指定の予約を入れると言ったものでした。

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そしてこんな切符が発券されたものです。

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そう言えば、中学校の卒業旅行で、友人4人と長野県の白馬へスキー旅行に出かけたことがありました。

そこはぼくがカブスカウトの頃、カブスカウトのスキー合宿で伺ったことのある民宿で、ぼくが民宿の手配やら、それこそ名古屋駅のみどりの窓口で、夜行列車の指定席切符を手配したものです。

そう考えると、ぼくもそこそこの「乗り鉄」だったのかも知れません!

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でも当時の白馬には、ロープリフトが1本と、ちゃんとしたリフトが1本あっただけだったものです。

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「昭和Nostalgia」(207)

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小学校の高学年になった頃、TV番組だったかが牽引役になったのか、こんなローラースケートが流行ったものでした。

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とは言えわが家じゃあ、ローラースケート用のシューズなんて買ってもらえるわけもなく、颯爽とアスファルトの道路を滑る中学生を羨ましく眺めたものでした。

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まぁもっとも、こんなシューズが手に入ったとしても、運動音痴のぼくなんて、スッテンコロリンが関の山で、あっちこっち擦り傷だらけになったに違いありませんけどねぇ。

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そうは言っても、やっぱり真似てみたくなるのも人情!

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ぼくは友達と一緒に、糸巻きの芯の真ん中に麻紐を通して運動靴に括り付け、真似っこしたものでしたが、ちっとも滑ることなど出来ませんでしたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(206)

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ちょうど秋のこんな頃だったでしたねぇ。

胸弾ませて修学旅行に出かけたのは!

ぼくが中学校の修学旅行の時は、修学旅行専用列車で東京へと向かったものでした。

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こんな感じで駅での見送りなんてあったか、もう今となっては記憶を辿れそうにありません。

でも当時としては、東京までの距離と時間が、今より遥か遠くに感じられたものでした。

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もちろん列車が走り出すと、直ぐに車内はワイワイガヤガヤ!

専用列車ではなく一般の列車だったとしたら、乗り合わせた一般客の方にとっちゃー、さぞやうるさかったに違いありません。

あっ、そーか!

だからそんな騒々しさを見越して、修学旅行専用列車だったってぇことかぁ!

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ぼくの中学の修学旅行は東京と箱根でしたねぇ。

そしてこんな旅館が宿だったものです。

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その夜、何を食べたのかなんて思い出せませんが、こんな感じで大広間に詰め込まれて、ワイワイガヤガヤと楽しく夕餉をいただいたものでした。

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そして夜も更けると、こんな枕投げが始まったものでしたねぇ。

もう今の子たちは、枕投げで盛り上がるなんてこたぁ、無くなっちゃったんでしょうかねぇ。

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「昭和Nostalgia」(205)

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ちょっと季節外れになっちゃった気がしますが、ぼくは66年間、こんな流しそうめんとやらを食べたことがありません。

確か拙著「長良川鉄道ゆるり旅」の取材で、岐阜県郡上市美並の釜ヶ滝で、釜ヶ滝滝茶屋の流しそうめんの取材はしたことがありましたが、実際に流しそうめんをいただいたことはありません。

それなりに子どもたちは楽しいんでしょうねぇ。

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そう言えばぼくの知り合いが、子どものためにとマンションのベランタにホースを引いて流しそうめんをやったそうです。

三河の山から竹を切り出し、マンションのエレベーターでは二つ割りにした竹を運べず、非常階段でエッコラエッコラと竹を8階の部屋まで運んだとか。

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そしてベランダに二つ割りの竹を据え付け、上部からホースで水を流しながら、茹で上げたそうめんを反対側に居る子どもたちに向けて流して楽しんだそうです。

そこまでなら子想いの父親として立派なものではありますが、流しそうめんを食べ終える頃、マンションの下の部屋の住人が怒鳴り込んできたのだとか。

そりゃあそうでしょうねぇ。

ベランダは個人の所有物ではなく、マンション全体の共有部ですからねぇ。

きっと忘れ得ぬ流しそうめんの想い出となったに違いありません。

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「昭和Nostalgia」(204)

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小学校の高学年になった頃、こんな焼きそばパンが、社会見学の日の給食として出され、初めて食べたことがありました。

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ただただコッペパンと焼きそばだけなのに、とっても新鮮ですっかり虜になったものでした。

とは言え、おやつに買ってはもらえませんでしたっけ!

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こんなお惣菜パンのコロッケパンも、これはこれで美味しかったものです。

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中でも取り分けぼくが王様の惣菜パンと崇めたのは、こんなハムカツパンでしたねぇ。

それこそめったやたらに買ってもらえっこなんてありませんでしたけどねぇ。

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中にゃあこんな、「ネギパン」なるものやら、

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こんな「昆布パン」なるものもあるんだそうですねぇ。

今度旅に出掛けたら、こんなご当地惣菜パンを探して見たいものです。

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でも待てよ!これじゃあビールのお供にはちょいと不向きかぁ!

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「昭和Nostalgia」(203)

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確かニュースでも言っていましたが、最近公園でも雀の姿をあまり見かけなくなりましたよねぇ。

それに引き換え、鳩やカラスはふてぶてしく堂々と公園内をわがもの顔で闊歩しておりますよね。

そう言えば昭和50年代の終わりの頃、栄3丁目に自社ビルを構えておられた広告代理店の屋上で、もう使われなくなったと言う伝書バトの小屋を見たことがありました。

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昔は新聞社でも伝書バトが通信手段として、立派に活躍していたんだそうです。

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元より新聞社だけではなく、古くは軍隊でも医療機関でも、伝書バトを無線機代わりに利用していたのだとか。

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しかし時代の進化で通信手段も格段に進歩し、伝書バト小屋も閉鎖するところがどんどん増えて行ったようです。

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伝書バト小屋が閉鎖された後、お役御免となった伝書バト達は、鳩の愛好家に貰われていったとか。

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ところが新たな飼い主である愛好家の方が、伝書バトに手紙を託し訓練をすると、何羽かの伝書バトは、古巣の新聞社や広告代理店の伝書バト小屋へと戻ってしまうものもあったそうです。

さすがに「古巣」という言葉通りですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(202)

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秋はブライダルの秋でもありますねぇ。

でももう、こんな嫁入り道具を積み込んで、紅白幕を張り巡らせた嫁入りトラックもすっかり見かけなくなってしまいましたねぇ。

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確かに時代と共に、嫁入りの形も変化を遂げているのですね。

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昔は花嫁さんが嫁入り先に持参される軽自動車とかのフロントグリルにも、こんな感じのデコレーションが施されていたものでしたねぇ。

この先、どのように果たして進化してゆくのやら?

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「昭和Nostalgia」(201)

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ぼくが幼い頃、お母ちゃんに手を引かれ、近所の市場へ買い物に行くのが、それなりに楽しみでもありました。

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この写真のようなお洒落な市場ではありませんでしたが、レジの風景は記憶に残っています。

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こんなレジスターに一品一品金額を打ち込み、下の引き出しが開く時には「チーン」と鳴ったものでしたねぇ。

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お母ちゃんは「買い物かご」と呼んでおりましたが、今風なエコバックでしたねぇ。

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ぼくは市場のレジスターを、一度触って見たくって仕方ありませんでしたが、そんな本物など触らせてもらえるはずもなく、近所の女の子が買ってもらったオモチャのレジスターを触らせてもらったものです。

もちろん下部の引き出しの中のお札は、オモチャの子ども銀行券でしたが!

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朧げな記憶をたどると、小学校に入ったばかりの頃は、授業の始業も終業を告げる合図は、用務員のオジサンが鳴らすこんなベルだった気がいたします。

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そして何年生かになってやっと、教室のスピーカーからチャイムが流れて、授業の始業や終業が告げられた気がします。

学校の校門の脇に用務員室があり、用務員のオジサンが先生方がなさらないような雑務をされていたものです。

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ぼくの小学校には用務員のオジサンが一人いらっしゃって、リヤカーに運動会用の道具などを積んで運んでおられました。

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それと飼育小屋のお世話もされ、一輪車で小動物たちの餌を運んでおられたものです。

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今の小学校にも用務員さんっていらっしゃるんでしょうかねぇ。

ぼくの記憶では、用務員のオジサンはとても優しく、下校時には大きな声で「サヨーナラー」と言って、手を振って見送ってくれたものでした。

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「昭和Nostalgia」(199)

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真っ青な秋晴れの空に万国旗が棚引き、徒競走のピストルの空砲でも聞こえると、子ども心はすっかり運動会モードとなって浮かれたものでした。

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ぼくら男坊主どもの一番の関心は、騎馬戦と決まっていたものです。

とは言え、今じゃそんな過激なプログラムは無くなっちゃってるんでしょうねぇ。

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ぼくはいつも決まって馬の役で、体が小さく華奢な子が上に跨っていたものでした。

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ぼくもクラスメイトのマドンナと一緒にペアを組んで、肩を組み二人三脚を愉しみたかったものです。

しかし現実は、いつもいかつい男どもとばかりペアを組まされてばかりでしたねぇ。

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