「昭和Nostalgia」(265)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

ぼくが子供の頃の昭和半ばには、まだこんなお洒落なクリスマスリースを玄関のドアに吊り下げられている家なんて見たことありませんでした。

ましてや暖炉も煙突もありませんから、サンタさんはどうやってわが家にやって来てくれたんだろうって、そりゃあもう不思議でならなかったものです。

写真は参考

異教徒ではありますが、やっぱり今日は『Merry Christmas!』ですねぇ!

皆様も素敵なクリスマスをお過ごしください!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(264)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

70歳まであと3年に迫った昭和オヤジのクリスマスは、セルフクリスマスプレゼントとして熱燗専用のチロリを買い込んで、クリスマスケーキやチキンに代え、おでんと超熱燗で一献と洒落込みますかぁ!

写真は参考

こんな専用の道具にも憧れますが、ここまで入れ込める物じゃありません。

写真は参考

こんな味わい深い屋台のおでん屋で、チロリの燗酒を味わってみたいものです。

写真は参考

チロリでつけた燗酒は、酒本来のまろやかさが損なわれず、電子レンジによる燗とは、えらい違いです。

チロリの燗酒で金沢おでんの車麩をつついてみたいものですねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(263)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

ぼくもカブスカウトの頃に、本物の臼と杵で餅搗きを体験したことがありました。

神社の境内にはもち米を蒸す水蒸気が立ち込め、子どもたちの歓声が響き渡っていたものです。

搗き立ての餅は、きな粉や餡子、それに醤油を垂らしたおろし大根など、3種類ほどからお好みで選んだ記憶があります。

そしてお腹かが膨れると、今度は飛騨の花餅作りを楽しんだものです。

写真は参考

食紅でピンク色に染まった餅と、白い餅を指先で丸め、枝に紅と白の餅を交互に纏わせたものでした。

カブスカウトの偉いさんのどなたかが、飛騨のご出身の方だったのか?

飛騨では「花餅」とよばれますが、全国各地では「餅花」と呼ばれるとか?

花の咲かない真冬ながら、まるで梅の花でも咲いたかのような感じで、待ち遠しい春の訪れを今か今かと待ち焦がれたんでしょうねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(262)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

いよいよ恋人たちや子どもたちが待ち侘びた、クリスマスがやって来ますねぇ。

とは言え。あと数年で70歳を迎えようとしているオッサンにとっちゃあ、クリスマスのトキメキなんてもうとっくの昔に、何処かに置き忘れて来ちゃったようです。

そう言えば、もう何年もクリスマスケーキすら、わが家のテーブルには載りませんねぇ!

写真は参考

子どもの頃のわが家のクリスマスは、まさにこんな感じの昭和の和洋折衷そのものでした。

櫓炬燵にクリスマスツリー、そしてバタークリームのデコレーションケーキに、シャンパン擬きのソーダ水とチキンのもも肉の照り焼きと相場が決まっていたものでした。

写真は参考

そうしてクリスマスが過ぎると、今度は大掃除や餅搗きにおせち造りと、お母ちゃんもお父ちゃんも大忙しだったものです。

とは言え、わが家に杵や臼など立派なものなどあろうはずもなく、お母ちゃんがある年に奮発して買い求めた家電の餅搗き機でした。

写真は参考

餅搗き機がわが家にやって来て1~2年ほどは、年末になると餅搗き機が登場したものの、それ以降は知らぬ間に押入れの片隅に押し込められてしまっておりました。

でも、搗き立ての柔らかく温かな餅を千切り取り、醤油を垂らした大根おろしに浸けて食べるのが、ぼくの何より大好きな食べ方でしたねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(261)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

年賀状仕舞いが話題になっていますが、皆様はいかがでしょうか?

ぼくは2000年に既に年賀状仕舞いを済ませました。

もちろんそれに伴い、中元歳暮仕舞いも一緒に済ませちゃっています。

年賀状仕舞いを済ませたとはいえ、年賀状のシーズンがやって来ると、子どもの頃にせっせと作った芋版を想い出して仕方ありません。

写真は参考

お母ちゃんからサツマイモの端っこを貰って、図柄を思い描き、彫刻刀で一生懸命に彫ったものでした。

しかし!

なんせ天性の不器用さですから、せっかく周りを慎重に彫り落とした凸部を、あろうことか切り出しナイフで切り落としてしまって、何度やり直したことやら。

写真は参考

のちの世にこんなに便利なプリントゴッコなるものが登場したのは、もうすっかり年賀状への関心も冷めた、大人になってからだったような気がします。

が、それよりも以前に登場していたのかも知れませんが、もちろんわが家にゃあそんな高価な道具なんてありませんでした。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(260)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

昭和ならではの、和式水洗トイレですねぇ。

用を足した後、上部の水洗タンクから伸びる紐を引いて、水を流したものでした。

写真は参考

年代物の水洗タンクから、ポトリポトリと水滴が落ちて来ることもありましたねぇ。

写真は参考

トイレの出入り口には、こんな手洗い用のタンクが吊り下げられていたものです。

まぁ、本格的に手を洗うと言うよりも、指先だけを水に濡らしたってぇ感じでしかなかったですけどねぇ。

コロナ以降、感染症が常に危惧される昨今からしたら、何とも不衛生極まりない時代だったのかも知れません。

でも昭和人は、そんなことすら恐れを抱くことなく、逞しく生きて来たものです!


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(259)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

ぼくはどうしたものか、世の中には数多ある漬物の中でも、食べられるものは、いや食べようと思う漬物は、非常に限られたものばかりです。

白菜漬けにキュウリの糠漬け、しば漬けに飛騨のめしどろぼうくらいの物でしょうか?

何でそんな漬物の偏食になったかと言うと、子どもの頃オヤツ代わりに沢庵をしょっちゅう食べさせられたからじゃないかと思います。

子どもの頃は沢庵のあの甘じょっぱさが嫌いじゃなく、沢庵を一切れ頬張ると、沢庵の黄色い色が抜けきって真っ白になるまで、口の中で弄んでいたものでした。

写真は参考

そう言えば当時のわが家の台所の片隅にも、こんな漬物の甕が置かれ、お母ちゃんが糠床を掻き混ぜては、キュウリの糠漬けを作ってくれておりました。

お母ちゃんのキュウリの糠漬け、懐かしいなぁ!

しかしそんな糠床も、小学校の3年の時だったかに、お父ちゃんが十二指腸潰瘍を患い、その手術のため2週間の入院が余儀なくされ、お母ちゃんが病室に泊まり込んで付き添ったため、面倒を見るものが不在となった糠床はそれまでとなってしまったものです。

それ以来、お母ちゃんお手製のキュウリの糠漬けは食べれなくなったんじゃなかったのかなぁ?

糠のあの何とも言えない香り、ぼくはとっても癒されちゃいますねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(258)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

まだ20歳になったばかりの頃、こんな飛行機の手荷物タグに憧れたものでした。

師匠の愛用されていた、オベーションのハードケースの握り手には、全国各地へ飛行機で移動された痕跡として、各エアラインと各エアポートの手荷物タグが鈴なり状態で付いていたものです。

写真は参考

ぼくも師匠のハードケースのタグに憧れ、お金をためて用もないのに国内線に載って、タグを括り付けてもらったものでした。

写真は参考

何と無く、ギターのハードケースにこんなタグが括り付けられているだけで、ほんのちょっと師匠の真似事が出来た気になって、有頂天だったのかも知れません。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(257)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

こんな荷札をご覧になってピーンと来た方は、押しも押されぬ昭和人に違いありません。

東京・名古屋・大阪など、昭和の時代の大きな駅のホームには、赤い帽子を被った「赤帽」さんがいたものでした。

写真は参考

正式には、「手荷物運搬人」さんと言う呼称だったようですが、誰もが気軽に「赤帽さん」と手を上げて呼んでいたような記憶があります。

写真は参考

ぼくも昭和も第4コーナーを回った頃、一二度東京駅の新幹線ホームだったかで、「赤帽さん」のお世話になったことがありました。

確かその時、冒頭の荷札に必要事項を書き入れたような?そうではなかったような?

相も変わらず、不鮮明な記憶の断片しか残っておりません。

写真は参考

それから平成の世へと移り、「赤帽」さんは姿を消し、それと入れ替わるように、軽トラックのその名も「赤帽」が、街中を走り抜けるようになったんでしたねぇ。


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

「昭和Nostalgia」(256)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

写真は参考

令和の時代を生きる方にゃあ、こんな「ハッキンカイロ」なるものが、どんなものなのか分かんないんじゃないでしょうかねぇ?

でもこれだけ冷え始めると、今では使い捨ての貼るカイロが手放せません。

でも昭和半ばのあの頃は、小学校の高学年に上がった頃、こんな携帯のハッキンカイロを持たせてもらったものでした。

カイロのベンジンをこうして補給して!

写真は参考

燃料補給はもっぱらお父ちゃんが担当してくれておりました。

写真は参考

しかしこのハッキンカイロがわが家に登場する前は、こんな豆炭の携帯サイズのアンカだったものでした。

写真は参考

これはこれで、確か練炭の火の上で豆炭を熾し、朝の登校間際にお母ちゃんがアンカに豆炭を入れてくれて、学校へ持たせてもらった記憶がありますが、果たしてこんな大きな弁当箱のようなアンカをどこに入れて、どうやって暖を取ったものやら・・・。

昭和半ばの遠い記憶は、なかなかどんなに声を張り上げて呼んで見ても、おいそれと脳裏に浮かんで来てくれそうにもありません。

皆様方もこんな豆炭、お使いになられませんでしたか?


このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。