「昭和Nostalgia」(377)

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線路のレールに耳を当て、機関車の軌道音に耳を澄ましたことはありませんでしたか?

危険極まりない遊びで、決して褒められる事ではありませんが、ぼくも半世紀以上前の中学生だった頃、一度だけ友に誘われレールに耳を宛がったことがありました。

しかも友が、「10円玉のD51(デコイチ)プレスしてみよう!」と言い出し、愚かなるぼくも10円玉をレールの中心において、線路からちょっと離れた茂みに身を隠したものでした。

ぼくが通っていた中学校のすぐ北側を、関西線が通っていて、当時はまだD51が白煙を巻き上げ、現役で走っていたものです。

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ドキドキしながら茂みで隠れていると、遠くから蒸気機関車の汽笛が聞こえてまいりました。

すると友が、「でもどうしよう?もし俺たちの10円玉で、D51が脱線でもしちまったら大変だぞ!国鉄から物凄い賠償金を請求されるんじゃないか?」と、真顔で言うじゃないですか?

そんな事、今さら言うなよ!

ぼくはそう思って、レールに載せた10円玉を取りに行こうとしたものの、もうD51は目と鼻の先まで迫っているじゃないですか!

万事休す!

D51が脱線する轟音から耳を守らねばと、両手で耳を塞いで、薄目を開けてD51の雄姿をドキドキしながら眺めたものです。

ところがD51は巨体を唸らせながら、長い貨物列車を何十両も従え、走り去ってしまいました。

ヤレヤレと、冷や汗を拭い、やっとのこと安堵したものです。

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その時の戦利品「10円玉のD51(デコイチ)プレス」は、その後いったいどこへいっちまったのやら?

あんなに罪悪感に苛まれながら、肝を潰す思いをした10円玉だったのに!

時効とは言え、当時の国鉄の皆さんに、やんちゃな遊びをしたことを、心よりお詫び申し上げます。

どうか良い子の皆さんは、こんなやんちゃなオッサンの真似はなさらないで下さいね!


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「昭和Nostalgia」(376)

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子どもの頃の家の台所の壁にも、こんな束子が吊り下げられていたものです。

お釜を洗うもの、フライパンや鍋を洗うもの、茶碗や湯呑を洗うものと、お母ちゃんはお母ちゃんなりのルールを定めていたのでしょう。

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木製のまな板も、こんな風に束子で擦っていたものでした。

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そう言えば、こんな棕櫚で出来た長めの束子もあったような?

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そして台所の片隅には、こんな紙の容器のクレンザーなるものが鎮座していましたねぇ~っ!

でも紙の容器のため、水に濡れて円柱の筒がブニュブニュになっていたのを覚えています。

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はたしてお母ちゃんがお気に入りだったクレンザーは、どれだったのやら?

しっかり者のお母ちゃんでしたから、スーパーで一番お安く購入できた物に違いないでしょうが!


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「昭和Nostalgia」(375)

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これまた昭和の年の瀬の年賀状作りで持て囃された「プリントゴッコ」!

って言っても、芋版ばかりだったわが家にゃあ、ありませんでしたけどねぇ!

昭和52(1977)年の発売だったとか。

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ってぇことは、ぼくが20歳の年に誕生していたってぇことになります。

でももうその頃は、年賀状をやり取りする興味もまったく失せてしまっていて、結局娘が年賀状をやり取りする年になって、初めてプリントゴッコデビューを果たしたような覚えがあります。

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それでも平成20(2008)年まで発売されていたそうですから、ロングセラー商品の一つであった事には違いなさそうです。

まぁ今の世は、PCでチョチョイノチョイですものねぇ。

って、ぼくは2000年を最後に、年賀状も中元歳暮も止めちゃいましたけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(374)

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昭和も晩年を迎えた頃、こんな使い捨てのカメラ「写ルンです」が登場し、実にビックリしたものでした。

そんな頃は、今のようなスマホで気軽にパチリと言う時代ではなく、カメラを持ってくるのを忘れて来たのに、そう言う時に限って、どうしてもこの風景が写真に納めたいとかってぇ事があったものです。

でもそんな時、この「写ルンです」は救世主でもありました。

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何でも昭和61(1986)年7月の発売とかで、24枚撮りでお値段は1.380円だったそうです。

そりゃあフィルム1本分の値段に比べたら、割高感は否めなかったでしょうが、カメラが無くったってその場で写真が撮れちゃうってぇ手軽さで、瞬く間に圧倒的な支持を得たのも頷けます。

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さらに「写ルンです」はその後も進化を続け、フラッシュまで内蔵されたものまで登場!

そう言えば観光地などで、こんな自販機も目にしたものでした。

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これまたすっかり見かけなくなってしまったものの一つです。

でもこのところ、若い方がスマホのカメラではなく、昔ながらのアンティックな二眼レフカメラで、桜の木を仰ぎ撮影されている姿をお見掛けするようになりました。

スマホカメラ全盛の時代に、敢えて逆行するようなそのお姿には、如何にも「さぁ、写真を撮らせていただきますねぇ~っ!」と言った、被写体に対する畏敬の念のようなも感じられ、そんな謙虚さが何とも素敵でした。


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「昭和Nostalgia」(373)

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何だよ~っ!またトイレネタかよ~って、どなたかお嘆きになられませんでしたか?

そいつぁ~朝から申し訳ございません!

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でも昭和も後半の頃には、トイレの中でこんな芳香剤のスプレーを噴霧し、前の方がご使用になったトイレの中に蟠る悪臭を、花の香りのような匂いで覆い隠そうとする、そんなスプレーが設置されていたものでしたですよねぇ。

どなたかのお宅にお邪魔した時なんて、そんな芳香スプレーなどどこにも見当たらないのに、どこからともなく優しい花の香りがして・・・。

どこからこの匂いがするんだろうと考えながら用を足し終え、トイレットペーパーをカラカラと回して手に取ると、その香りが一際漂い出してビックリ!

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何と何と、トイレットペーパーの芯を通すバーに、芳香剤が仕込まれていて、なるほどなぁと唸った記憶があります。

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ところが最近では、そんな消臭スプレーはとんと見かけなくなり、コロナ以降便座を消毒する消毒液に挿げ替えられてしまったようです。

そう言えば昭和48(1973)年には、第一次オイルショックが勃発し、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えて大騒動となったものでした。

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って言っても、わが家はまだその頃、ボットン便所でしかもトイレットペーパーなんぞと言った、ハイカラなものではなく、徳用のチリ紙でしたから、お母ちゃんが血相変えてトイレットペーパーに群がったと言う記憶はありません。

昔も今も、ちょっとした噂話が発端となり、それがやがて大騒動に発展するってな事が、いつの世になっても大いにあり得そうで、何とも物騒な気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(372)

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またしても昨日に引き続き、今日もトイレの話題となり大変失礼いたします。

それはそうと、昔は喫茶店やレストラン、それにバーとかでも、トイレにはこんなダスキンのロール状のタオルが設置されていたものです。

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自分が手を洗い、このロール状のタオルで手を拭ったら、次の方のために上から下へタオルを引いて、新しいタオルを手前に引き出したものです。

ところが中にゃあそんなこともお構いなしで、濡れた手を拭ったものの、新しいタオルを引き下げずにいる方もしばしば見かけられたもの。

嫌~な気分で、誰が手を拭ったか知れぬ使用済みのタオルを引き下ろし、もう一度手を洗い直してから真っ新なタオルで手を拭ったものでした。

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運が悪いと、1ロールのタオルが全て使用済みになると、新しいタオルを引き下ろそうとしても、ロールがもう回転しなくなり、誰が使ったか、何人が使ったかも分からないビタビタのタオルの、辛うじてまだ濡れていない奇麗な部分を見つけ出し、そこで指先を拭う事もありましたねぇ。

しかもロール状のタオルが使用済みとなった事を、お店の方が察知されない限り、新しいロールと取り換えていただけないため、それはそれで厄介極まりないものでした。

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でも自分のハンカチを濡らさずに済むと言う点と、ハンカチを忘れてもちゃんと手を拭くことが出来ると言う点では、実に画期的で素晴らしいものでもありました。

しかしコロナ以降、感染症のリスクもあってなのか、ほとんど見かけることが無くなっちゃいました。

そんな話を、先日の飛騨市での取材の夜、古川町の駅近くにある居酒屋さん「志摩茶屋」さんで、関係者の方々と一献酌み交わしていた時に、何気にぼくのブログの話になり、「昭和Nostalgia」と題した記事で、最近頓に見かけなくなったダスキンのロール状のタオルの話を取り上げようとしているという話をしたところ、昭和の記憶が微かに残っている方の間で盛り上がったものでした。

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そしてビールから白真弓の真宗寺燗(「しんしゅうじかん」とも「しんしょうじかん」とも地元では呼ばれる、65°に近い超熱々燗)に切り替わった頃、先のビールで催した尿意を処理せねばとトイレへ。

用を足し終え、手洗いをしていると、何と何と!

現役のダスキンのロール状のタオルが待ち受けていらっしゃるじゃあないですかぁ!

そりゃあもう大感激で手を拭い、昔を懐かしみながら、ロールを上から下へと次の方のために新しいタオルを引き下ろしたものです!


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「昭和Nostalgia」(371)

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そう言えばこのところ、駅などの公衆トイレの入り口で、こんなチリ紙の自販機をすっかれ見かけなくなったものです。

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旅先で急に催したりした時など、50円だったか100円だったかで、こんな束になったチリ紙を大慌てで手に入れ、幾度となく窮地を救ってもらった経験がございます。

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今にして思うと、一束50円にしろ100円であったにせよ、割高感は否めませんが、緊急事態の折にそんな悠長な損得勘定など、とやかく言っている場合じゃありませんから、藁にも縋る思いでコインを投入し、ハンドルレバーを引き下ろした記憶がございます。

そう言えば小学校の3~4年生の頃。

当時ぼくはカブスカウトに入っていて、日曜日の度にバスや市電に地下鉄なんぞを乗り継いで、八事や覚王山の集会に参加していたものです。

その集会もお昼頃には終わり、腹を空かせたぼくはバスや地下鉄を乗り継ぎ、わが家へと一目散で帰ったものでした。

ところがある日の事。

地下鉄の東山線に乗り、中村公園を目指している途中、どうにもこうにもお腹が痛くなり始め、とうとう伏見駅に列車が到着した時にはもう爆発寸前!

肛門括約筋を最大限に絞ったまま、世にもけったいな格好をしながら、駅のトイレに駆け込みどうにかこうにか難を逃れたものです。

ところが!

一難去ったものの、今度は個室内に目を凝らしても、どこにもチリ紙やらトイレットペーパーの類がみあたらないじゃあないですか!

すわ一大事!

はてさて、後始末の最後の一拭きをどうするのか?

チリ紙に代わる古新聞も、筆記具のノートもありません。

そしてついにぼくは、無い知恵を絞りからかして、最後の策を講じることに!

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当時男子の多くが履いていたのは、こんな木綿のパンツで、ぼくもご多分に漏れず同様の物を履いておりました。

ぼくが無い知恵を絞りからかして思い付いた最後の手段は、パンツの前にある二重になった社会の窓の表側を破って、それをチリ紙の代わりにすると言う策!

ところがこれが頑丈に縫製されていて、素手で引き千切って破り取るまでにどれだけ時間を費やしたことやら。

しかも和式便所に屈んだまま!

何とかかんとか、引き千切ったパンツの一部で、危機を逃れはしたものの、家に帰ってからお母ちゃんに破れたパンツの訳を問われ、緊急事態勃発時の説明に苦慮した記憶がまざまざと蘇ってまいりました。

多分あの緊迫した折には、トイレの入り口で、チリ紙の自販機を見定める余裕すらなかったでしょうし、よしんば自販機を目にしたとしても、チリ紙をそこで買ってしまったら、中村公園からのバス代が消え果てしまったやも知れぬと躊躇したやも知れません。

もうそれからと言うものは、いかなる時もハンカチとチリ紙を、必ずポケットに入れる習慣が自然と身に付いた気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(370)

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こんな可愛らしい壁掛け型の、芳香剤だったのか消臭剤だったのかも、よくトイレなどに掛かっていたものでした。

ゆっくりゆっくりと時間をかけ、その可愛らしい芳香剤は痩せ細り、次第に小さくなっていったものです。

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しかしそれが果たしてどんな匂いを放ってくれていたのかは、もう嗅覚の記憶のライブラリーを探して見ても、とても思い出せそうにありません。

皆々様のご家庭にも、やっぱりこんなの、ございませんでしたか?


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「昭和Nostalgia」(369)

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昭和半ばの頃、町医者でいただく薬は、こんな風に油紙のようなモノに包まれておりましたですよねぇ。

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でも子供の頃は、粉薬をなかなか飲めなくって、お母ちゃんがオブラートに包んでくれて、それを渋々飲んだものでした。

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そう言えば子どもの頃、ボンタンアメの周りを包んでいた透明の包装紙を、ぼくは食べられるオブラートとは思いも付かず、丁寧に透明フィルムを必死になって剥いていて、ボンタンアメの本場、鹿児島出身のお母ちゃんに散々笑われたものでした。

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そう言えば、お父ちゃんが「胃が痛い、胃が痛い」と言っては飲んでいた胃腸薬も、紙に包まれていましたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(368)

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これが何だかすぐにお分かりの方は、これまたやっぱり昭和時代をお過ごしの方に違いないでしょう!

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ぼくなんて、写真を見るだけで、お母ちゃんの着物に纏わりついていた、樟脳の匂いが思い出されてなりません。

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子どもの頃、この樟脳がクスノキの精油から出来ているとお母ちゃんに教えられたものの、当時はそれが想像も出来ずチンプンカンプン。

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ただただ、あちらこちらで見かけるクスノキを、偉大なる樹木と畏敬の念を抱いて見上げていたものでした。

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それにしても、こんなクスノキから、よくぞ精油を取り出して、樟脳とやらを抽出する事を思い付かれたもの!

先人の並々ならぬ探求心たるや、いやはや天晴れ天晴れ!


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