飛騨市の「広報ひだ」10月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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ぼくが初めてスキーを体験したのは、昨日のブログでもお話いたしましたように、カブスカウトのスキー教室で白馬のゲレンデへ行った時でした。
確か、小学校の3年生の冬であったはずです。
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当時のスキー道具は、今とは比べ物にならないほど、実に粗末なものだったものです。
木製のスキー板に竹製のストック、そして写真の様な重たいスキーシューズで、靴の踵の枠にスプリングを噛ませて、靴前方の金具を押し倒してロックすると言ったもの。
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もちろん初心者でしたから、ロープリフトのロープを両手を前後に伸ばしてしっかりと握り、そうして体を支え勾配を登ってゆくのですが、どういうわけだかスキーを履いたお尻だけが前方へとどんどん先に滑って行って、やがてそのまま仰向けに寝そべったような状態に!
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とうとう自分の体重を両手で支え切れなくなって、ロープから手が離れてしまいます。
すると今度は、仰向けの状態のままズルズルと勾配を滑り落ちてゆき、後続で登って来る仲間に体当たり!
そこへその後続者も重なり合い、見る見るうちに手の付けようもない団子状態となったものでした。
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夕方民宿に帰ると、こんな乾燥室で濡れたスキー道具や、ウエアーを乾かしたものでした。
晩御飯までのひと時は、みんなで炬燵に潜り込み、民宿のおばちゃんが運んでくれたアッツアツのお茶を啜り、お茶請けの自家製野沢菜に舌鼓を打たせていただいたものでした。
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