
表題の「My Fanny」⇒「All My Family」って、なんのこっちゃーって疑問を抱かれるのも確かでしょう。
実は以前のラジオの深夜放送でも、幾度かお話しした記憶がありますが、「My Fanny」も「All My Family」も歌詞こそ違えども、メロディーはまったく同じものです。
これらの曲が出来たのは、23~24歳の頃であったと思います。
最初に出来たのが「My Fanny」です。
これは名古屋の柳橋にあったちょっと英国風のパブの店名「My Fanny」だったかただの「Fanny」だったかを、ちょっと仮想の国境を超えた国の恋人の名に拝借したものです。
当時もぼくは無知だったため、英国における「Fanny」にはちょっと卑猥な意味合いが含まれているとも知らず、その音感の響きの良さと、「Fanny」の持つ良い方の意味合いだけで、仮想の恋人の名に拝借してしまったものでした。
もしかすると柳橋の英国風パブは、洒落を利かしてそんな卑猥な意味合いで命名されていたのかも知れませんが!
いずれにせよ、そんな異国の美女「Fanny」との、仮想Love Songでした。
ところが当時、ぼくのワンマンコンサートをプロデュースしてくれ、デモ・レコーディングなどにも力を貸してくださっていたプロデューサー氏から、「もっとさぁ、フヘン的な歌詞じゃなきゃダメだよ」と言われたものでした。
さてこれまた厄介な、「フヘン的」ですが、「普遍的?」「不変的?」「不偏的?」???
同じ「フヘン」の発音ながら、こんな3つもまったく別の意味の言葉があるわけですから、口で言われたら???えっ、それって「普遍」「不変」「不偏」となってしまうものです。どうせならば、紙に文字を書いて説明して下されば良いものを!
ですからぼくなりの解釈で歌詞を作り直したのが、後発版の「All My Family」です。
今日はまず弾き語りで、本当のオリジナルだった「My Fanny」をお聴きください。
「My Fanny」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
夜空を駆ける流星よ あいつを連れ去る船の
行く先を照らして 遥かなる海を越え大陸まで
Oh My Fanny 出逢った時から 別れが来ると 気付いていたさ
Oh My Fanny 生まれ変われたら 青い瞳で 愛せたらいいね
短い命を散りばめて 夜を渡る流星よ
お前にわかるはずさ この俺のやるせなさそして愛しさ
Oh My Fanny 俺の人生に ひときわ輝く 出逢いと別れ
Oh My Fanny 抱き合えばただの 所詮男と女でしかない
Oh My Fanny 俺の人生に ひときわ輝く出逢いと別れ
Oh My Fanny 生まれ変われたら 青い瞳で愛せたらいいね
そして続いては、ヤマハのスタジオウイングで収録した、まだ歌詞を変更する前の「My Fanny」のデモ・レコーディング音源をお聴き願います。が、しかし!ぼくの操作ミスで前半を少し消してしまったため、不完全なままで申し訳ありませんが、大目に見ていただければ幸いです。
そして続いては、弾き語りの「All My Family」です。
「All My Family」
詩・曲・唄/オカダ ミノル
All My Family 風を従えて 夜を駆け抜け 夢を彷徨い
All My Family 輝く明日が 訪れるまで 唄い明かそうよ
恋人よ君の頬伝う 一筋の光は きっと夜空に降る
煌めく星になると信じておくれ
恋人よ君の哀しみは 今風に抱かれ 果てしない宇宙(そら)へ
旅立つよだから泪見せないでよ
All My Family 風を従えて 夜を駆け抜け 夢を彷徨い
All My Family 輝く明日が 訪れるまで 唄い明かそうよ
恋人よ君の口笛に 星たちも集う 寄せる波の調べ
真夜中に響き渡る風のシンフォニー
All My Family 風を従えて 夜を駆け抜け 夢を彷徨い
All My Family 輝く明日が 訪れるまで 唄い明かそうよ
All My Family 風を従えて 夜を駆け抜け 夢を彷徨い
All My Family 輝く明日が 訪れるまで 唄い明かそうよ
続いては、ラジオの深夜放送でもよく流させていただきました、ヤマハオールスターズ版の「All My Family」をお聴き願います。
★そして今日は、9月14日月曜日にお誕生日をお迎えになられます、ウメピョンさんからお祝いソングをリクエストいただきましたので、ささやか~なお祝いをさせていただきます。
もちろんウメピョンさんより数分前に産声を上げられました、「ほうずき」さんのお祝いも併せてさせていただきます。
お二方、お誕生日おめでとうございます。どうか素敵な1年をお過ごしください。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、逸品ではありませんが、「怖いながらもちょっぴり愉しかった台風の思い出」。
ところで皆様は、台風10号の被害はございませんでしたか?続けざまに押し寄せた、台風9号、そして10号で被害に遭われた奄美地方や沖縄、そして九州の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
まさにわが家は伊勢湾台風で家財道具のすべてが浸水し、命からがらアパートの二階へ避難して、なんとか助かった経験がありましたから、台風が近付いているとなると、そりゃあもうお父ちゃんもお母ちゃんもただ事じゃありませんでした。
お父ちゃんも台風が上陸しそうだと知ると、会社を早引けして家に戻り、家の玄関から全ての窓に戸板を打ち付け、胴縁で補強したものです。
あまりに慌てて、自分が家に入る勝手口まで戸板で封じてしまい、ずぶ濡れになってまた戸板を外して、家の中へと飛び込んできたことも、一度や二度じゃなかった気がいたします。
安普請な家でしたから、台風が近付くと風の唸り声やら、家のあっちこっちが軋む音に脅かされたものです。
それに今よりももっと簡単に停電になり、真っ暗な茶の間に夏目ロウソクを燈し、三人家族が身を寄せ合うように、ささやかなおにぎりとみそ汁の夕餉に舌鼓を打ちつつ、台風が無事に通り過ぎるのを祈ったものでした。
その時の両親の気持ちまではわかりませんが、ぼくは家族三人が寄り添って、息を殺すようにラジオに耳を傾け、おむすびを頬張っている時が、台風の日の密かな楽しみでもありました。
でももう、二度とそんな事は出来ないと思うと、どうにも懐かしさが込み上げせて仕方ありません。
皆々様は、台風直撃の日は、どんな風にお過ごしでしたか?
今回は、そんな「怖いながらもちょっぴり愉しかった台風の思い出」。皆様の思い出話を、ぜひお聞かせください。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。