

今週の土曜日の9月19日は、秋の彼岸の入りでございます。
暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったもので、暑さにも少しずつ変化が感じられるようになった気がいたします。
それにしても今年の夏は、って冬の終わりも春もでしたが、産まれてこの方経験したことのない歳時記を過ごすことになろうとは、改めて肉眼ではその姿も見つけられない、ちっぽけなコロナウイルスながらその猛威に、ただただ愕然とするばかりです。
夏の花火も見上げられず、御坊様の盆踊りさえも中止となり、ささやかな楽しみの一つであった、屋台の串カツで缶ビールをプッハァとも参りませんでした。
とは言え、盆踊りが仮に中止にならなかったにせよ、踊りのセンスの全くないぼくは、踊りの輪の外側で缶ビールを傾け、浴衣姿の踊り上手の方々を、酒の肴に眺めるだけでしょうが。
しかしやっぱり、燃え尽きることなく、燻ぶったまま終わってしまった夏に、一抹の寂しさを感じてしまうものです。
昨年秋からyoutubeで週に一曲ずつ、ぼくのオリジナル曲を拙い弾き語りでお聴きいただいてまいりましたが、これで概ね一巡してしまいました。
そこでこれからは、その時々のぼくの気の向くままに、唄いたい歌を弾き語らせていただこうと思っています。
そこで今日は、彼岸の入りまではまだ夏の名残が留まっていると、そう考えコロナとの戦いでとてもやるせなかった夏を今一度偲びたく、「夏花火」と「八幡様のお百度」、2曲続けてお聴き願います。
続いては、CD音源から「夏花火」「八幡様のお百度」お聴きください。
★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)
今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、「春のボタ餅も秋のオハギも、どっからどう見たって同じに見えるのに???不思議でならなかった思い出」。
ぼくだけでしょうかねぇ。春と秋のお彼岸に、お供えとして必ずお母ちゃんが拵えてくれた、「春のボタ餅」「秋のオハギ」。どちらもぼくには同じに見えて仕方なくって、どこがどう違っているのか、悩みの種でした。
父も母も餡子にゃあ目が無くって、「やっぱり春のボタ餅は最高やなぁ」と父が言えば、秋になると「秋のお彼岸のオハギは、美味しくってどんだけでも食べれちゃうわ」と母。どこがどう違うのか、さっぱり分からないままのぼくには、ますます不思議でならなかったものです。
たぶんお父ちゃんやお母ちゃんにたずねたことがあった記憶もありますが、なんだか中途半端でとても納得いく回答を与えてはくれなかった気がいたします。「そんなもん、春のお彼岸はボタ餅で、秋にはオハギって昔から決まったるんや」とかなんとか・・・。
たいがい大人になってから、ボタ餅とオハギの真相を知り、「なんてこった~っ」って感じでした。
まあ、どちらも変わらぬ美味しさですものねぇ。
皆様は子どもの頃から、その違いをご存知でしたか?
今回は、そんな、「春のボタ餅も秋のオハギも、どっからどう見たって同じに見えるのに???不思議でならなかった思い出」。皆様の思い出話を、ぜひお聞かせください。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。