「昭和Nostalgia」(224)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

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ぼくが17歳の終わり頃だったか、18歳になった頃だったか、こんな繋ぎルックが当時の若者に人気だったものです。

もちろんそれは、ダウンタウンブギウギバンドの影響に他なりませんでしたが!

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白い繋ぎルックにコンバースのバッシュ!

胸元のポケットには、一文字の漢字をマジックで手書きして!

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仕上げは、ミラーレンズのサングラス!

ぼくも安物を買って真似たものでしたねぇ!

レイバンなんてとても手が出ず、そこら辺のバッタ物のサングラスでお茶を濁したものでした。

でも直ぐに飽きちゃいましたけど!

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「昭和Nostalgia」(223)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

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ぼくの薄らいだ記憶ですから、そもそもいい加減なものかも知れませんが、こんな「ロシア」のような感じの、長さ40cm・幅20cm・厚さ3cmほどの巨大な黒糖仕立てで、この「ロシア」のように白い砂糖蜜がパンの上辺に固められた、「ボルガ」とかって名前の付いたパンをご存知ありませんか?

写真は参考(ボルガはもっと幅が広かったものです)

ぼくの家では時折お母ちゃんが買って来て、そのおおきな「ボルガ」を千切ってオヤツに出されたものでした。

なんとも黒糖の香りがして、ぼくは好きだったものです。

記憶の中の「ボルガ」の写真が無いかと検索していたら、こんな不思議な菓子パン「シンコム3号」とやらを見つけてしまいました。

何でも鹿児島県南さつま市のイケダパンで製造されているものだそうでして、昭和36年発売の素朴な味わいのブッセにバニラクリームをサンドしたものとか。

まだアイスクリームが一般家庭でなかなか食べられなかった時代、冷たくひやしたシンコム3号は子どもたちに大変人気だったと。

そりゃあ頷けますねぇ。

この商品名は、世界初の静止衛星『シンコム』が打ち上げられたことを記念して名付けられたとか。

一度味わってみたいものです。

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「ボルガ」探しの途中で、こんな「よつわり」と呼ばれる菓子パンを発見!

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この「よつわりパン」は、福島県南相馬市のソウルフードだそうで、老若男女に70年以上にわたって愛され続けてきた逸品なんだとか。

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こちらも「シンコム3号」同様の経緯を経て誕生したようにも思えます。

全国菓子パン巡りの旅、なぁ~んてぇのも乙なものかも知れません。

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「昭和Nostalgia」(222)

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子供の頃のわが家にも、こんなお母ちゃんの鏡台なるものがありました。

この一角を通ると、ほんのりとお母ちゃんの化粧品やら整髪料の残り香がしたもので、お母ちゃんが買い物に行ったり用事で何処かへ行って帰りが遅いと、一人っ子のぼくはついつい心細くなり、お母ちゃんが恋しくってたまらず鏡台の前に座り込んでいたものです。

未だに覚えているのは、化粧水のような明色アストリンゼン!

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ほんのり香りを覚えている気がします。

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それやらたった1本しかなかったお母ちゃんの口紅!

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金色だったか銀色だったかのケースに入っていて、まさに1本こっきりのお母ちゃんの宝物の口紅だったものです。

とは言え、お母ちゃんが紅を挿すなんて、それこそ盆暮れくらいのものでした。

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こんな椿油をお母ちゃんは髪の毛に薄っすらと塗って、和服姿に合うように髪を上げていたものでした。

写真は参考

なんだか僅かにいまでもその香りを思い出せます。

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それからこんなヘチマコロンなるものも置いてあったような気がします。

さすがにこちらは、どんな匂いだったか、さっぱり思い出せませんが!

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「昭和Nostalgia」(221)

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ぼくは晩秋になると、ご覧の練炭や豆炭を想い出してなりません。

小学校から帰ると直ぐに公園で草野球!

ところが晩秋はつるべ落としで日が傾いてしまいます。

公園には蛍光灯の街灯も無く、電柱の上に取り付けられた裸電球だけが、オレンジ色にわずかに燈るだけで、もうとても白球を追い駆けられる状態じゃなくなっちゃって、みんなトボトボと家路に向かったものでした。

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「ただいま~っ」と玄関を開けると、「お帰り~っ」の代わりに、「玄関先で豆炭に火熾してや~っ」と、いつになく猫なで声のお母ちゃんの声がしたものです。

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いきなりどやしつけられるよりも、猫なで声の方が、ぼくには不気味でならなかったもので、古新聞と枯れ枝を焚きつけにして豆炭や練炭を熾したものでした。

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家にもこんな練炭用の器具がありましたねぇ。

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ぼくは火鉢の側がとっても好きでした。

熱すぎず、それでいてほんわかとした温もりがあって!

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でもそれから数年もすると、火鉢は庭の片隅へと追いやられ、こんな火鉢のような石油ストーブが茶の間に鎮座するようになったものでした。

このストーブは、暖を取ると同時に、お母ちゃんが煮物やら小豆をコトコトコトコトと煮ていたものでしたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(220)

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そう言えばもう何十年と、こんな剥き出しの側溝はお目に掛ったことがありませんねぇ。

ぼくが子供の頃の昭和半ばなんて、家の前もそこもかしこも、こんな剥き出しの側溝ばかりで、家の前の側溝にだけ、お父ちゃんが手作りした木製の蓋が覆っていたものです。

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だから月に何度か、ご近所さんと一緒に、側溝に溜まった泥や落ち葉を「どぶさらい」と称して、日曜の朝になるとお父ちゃんやお母ちゃんが「どぶさらい」に向かったものでした。

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今のようなマンションなどどこにもなく、ご近所さんとの協調性は随分高かったものでした。

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確か家には、こんな「どぶさらい」用の器具が物置に置いてあったものです。

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「昭和Nostalgia」(219)

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この写真をご覧になって、男たちが何をしているのかわかりますか?

ぼくは子供の頃、運河沿いでこんな光景を何度か、バスの窓越しに眺めた記憶があります。

それと同時に、その記憶のシーンには、ボットン便所の香りまでセットになっていて、この写真を見るとバスの窓からそこはかとなく忍び込んできた、あのボットン便所の香りまで鼻先を霞めるかのようでなりません。

ぼくらは確か、「ウン〇のポンポン船」とかって、勝手に呼んでいたものです。

バキュームカーが市中を巡回し、回収した糞尿は運河に係留された「ウン〇のポンポン船」に移し替えられ、それを河口付近まで運んで当時は海洋投棄していた、そんな緩い時代だったのです。

写真は参考

伊勢湾の河口付近に集まる魚の群れにとって、人間の排泄物は格好の餌となったことでしょう。

そして近海物の漁師の手にかかり、それらの魚が再び食卓へと上ったと言うわけでありましょう。

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何かにつけ、今ほど誰も目くじらも立てず、疑うこともせずそうしたものだと受け入れていたんでしょうねぇ。

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確かに令和の今ならば、環境団体から抗議の声が上がった事でしょうねぇ。

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「昭和Nostalgia」(218)

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こんな風にかかしを公園やアスファルトの上に書いて、ケンケンパをしたものですねぇ。

なんでも正式かどうかは分かりませんが、この遊びは「かかしケンパ」と呼ばれているようです。

ぼくの子供の頃は、「ケンケンパ」とだけで呼んでいた気がしますが・・・。

ところが遊んだ記憶はあるものの、どんなルールで遊んでいたものやら、さっぱり思い出せません。

参考資料

こんなルールだったんでしょうかねぇ?

公園の土の上なら、そこら辺に落っこちている木の枝でかかしを描けましたが、アスファルトには石っころを力任せに押し付け、それでかかしを描いたりしたものでした。

でも石で引いた線では、細くって見にくくって!

そんなある日、ぼくは閃いちゃったんです!

白墨の代わりになりそうなものが家にあったって!

お母ちゃんは洋裁の内職をしていて、裁縫道具箱の中に、ズボンの裾上げなどのための線を引くために使っていた、白墨を平べったくした三角形のギターのピックのような「チャコ」ってお母ちゃんが呼んでいるものを持ち出して、それでかかしを描いたのです。

写真は参考

まるで白墨のように滑らかに線が引けたものの、チャコ一枚なんてあっと言う間に無くなっちゃったものです。

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みんなにゃあ喜ばれましたが、それがお母ちゃんの知るところとなり、二度とチャコに触らせちゃもらえませんでした。

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「昭和Nostalgia」(217)

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こんな五右衛門風呂に入った事はありませんか?

ぼくは三重の田舎の、従兄妹のお兄ちゃんとお姉ちゃんの昔の家で入ったことがあります。

最初は釜の周りが熱くって火傷しないかなんて心配したものですが、ぜ~んぜん平気だったものです。

底には木製の踏み板があり、とってもまろやかで体全体が温まったものでした。

写真は参考

果たしてお兄ちゃんと一緒に入ったのか、或いはお姉ちゃんと一緒だったのか?

その湯加減たるや心地よくって、わが家のお風呂とも銭湯とも異なり、お兄ちゃんだったかお姉ちゃんだったかと、キャッキャキャッキャと長湯を決め込み、はしゃぎたくっていたものです。

写真は参考

すると窓の向こうから、オジちゃんの声が!

「どうや?ぬるうないか?もうちょっと焚いたろか?」と。

朝晩秋らしく少しヒンヤリし始めましたから、ついつい五右衛門風呂の温もりが恋しくなってしまいました!

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「昭和Nostalgia」(216)

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こんな三角牛乳も懐かしいですねぇ。

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今でもあるようですが、ぼくはとんと目にしなくなってしまいました。

なんでも細長い紙を折り紙のようにして、三角形のテトラパックを作るんだそうで、製造費もローコストだったそうですが、梱包して運搬するにはいささか難点もあったようです。

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ぼくにとって最初の三角牛乳との出逢いは、小学校の社会見学の時に、給食として焼きそばパンと一緒に配られた時だったように記憶しております。

そしてしばらくすると、通常の給食でも、瓶入りの牛乳から三角牛乳へと変わっていった記憶があります。

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「昭和Nostalgia」(215)

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子供の頃から今も、滅法ズボラなぼくではありますが、理科の実験室での様々な実験をする授業は興味津々だったものです。

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まずもって家ではお目に掛れないような実験道具が居並び!

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顕微鏡を覗き込むときなんて、結構興奮したものでした。

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何かの重さを量りで測定する時も、分銅をあれこれ選んだり、ピンセットで小さく軽い銅板のようなものを挟んで、そっと息を吞みながら秤の上皿に載せたものでしたねぇ。

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ビーカー、フラスコ、スポイト・・・。

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アルコールランプなぁ~んてぇのもございましたねぇ。

でも、骸骨の模型と、解剖された人体模型だけは、なかなか直視できずいつも目をそらしてばかりでした。

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ある日のこと。

下校時に気付いたんです。

理科の実験の時間に、実験室の席に忘れ物をしたことに!

ぼくは勇気を出して、たったひとりぽっちで、西日に染まって薄暗く静まり返った理科の実験室の引き戸を開け、骸骨の模型と解剖された人体模型から目をそらしながら、忘れ物を手にして一目散で実験室から逃げ帰ったものでした。

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