「昭和Nostalgia」(262)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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いよいよ恋人たちや子どもたちが待ち侘びた、クリスマスがやって来ますねぇ。

とは言え。あと数年で70歳を迎えようとしているオッサンにとっちゃあ、クリスマスのトキメキなんてもうとっくの昔に、何処かに置き忘れて来ちゃったようです。

そう言えば、もう何年もクリスマスケーキすら、わが家のテーブルには載りませんねぇ!

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子どもの頃のわが家のクリスマスは、まさにこんな感じの昭和の和洋折衷そのものでした。

櫓炬燵にクリスマスツリー、そしてバタークリームのデコレーションケーキに、シャンパン擬きのソーダ水とチキンのもも肉の照り焼きと相場が決まっていたものでした。

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そうしてクリスマスが過ぎると、今度は大掃除や餅搗きにおせち造りと、お母ちゃんもお父ちゃんも大忙しだったものです。

とは言え、わが家に杵や臼など立派なものなどあろうはずもなく、お母ちゃんがある年に奮発して買い求めた家電の餅搗き機でした。

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餅搗き機がわが家にやって来て1~2年ほどは、年末になると餅搗き機が登場したものの、それ以降は知らぬ間に押入れの片隅に押し込められてしまっておりました。

でも、搗き立ての柔らかく温かな餅を千切り取り、醤油を垂らした大根おろしに浸けて食べるのが、ぼくの何より大好きな食べ方でしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(261)

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年賀状仕舞いが話題になっていますが、皆様はいかがでしょうか?

ぼくは2000年に既に年賀状仕舞いを済ませました。

もちろんそれに伴い、中元歳暮仕舞いも一緒に済ませちゃっています。

年賀状仕舞いを済ませたとはいえ、年賀状のシーズンがやって来ると、子どもの頃にせっせと作った芋版を想い出して仕方ありません。

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お母ちゃんからサツマイモの端っこを貰って、図柄を思い描き、彫刻刀で一生懸命に彫ったものでした。

しかし!

なんせ天性の不器用さですから、せっかく周りを慎重に彫り落とした凸部を、あろうことか切り出しナイフで切り落としてしまって、何度やり直したことやら。

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のちの世にこんなに便利なプリントゴッコなるものが登場したのは、もうすっかり年賀状への関心も冷めた、大人になってからだったような気がします。

が、それよりも以前に登場していたのかも知れませんが、もちろんわが家にゃあそんな高価な道具なんてありませんでした。


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「昭和Nostalgia」(260)

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昭和ならではの、和式水洗トイレですねぇ。

用を足した後、上部の水洗タンクから伸びる紐を引いて、水を流したものでした。

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年代物の水洗タンクから、ポトリポトリと水滴が落ちて来ることもありましたねぇ。

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トイレの出入り口には、こんな手洗い用のタンクが吊り下げられていたものです。

まぁ、本格的に手を洗うと言うよりも、指先だけを水に濡らしたってぇ感じでしかなかったですけどねぇ。

コロナ以降、感染症が常に危惧される昨今からしたら、何とも不衛生極まりない時代だったのかも知れません。

でも昭和人は、そんなことすら恐れを抱くことなく、逞しく生きて来たものです!


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「昭和Nostalgia」(259)

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ぼくはどうしたものか、世の中には数多ある漬物の中でも、食べられるものは、いや食べようと思う漬物は、非常に限られたものばかりです。

白菜漬けにキュウリの糠漬け、しば漬けに飛騨のめしどろぼうくらいの物でしょうか?

何でそんな漬物の偏食になったかと言うと、子どもの頃オヤツ代わりに沢庵をしょっちゅう食べさせられたからじゃないかと思います。

子どもの頃は沢庵のあの甘じょっぱさが嫌いじゃなく、沢庵を一切れ頬張ると、沢庵の黄色い色が抜けきって真っ白になるまで、口の中で弄んでいたものでした。

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そう言えば当時のわが家の台所の片隅にも、こんな漬物の甕が置かれ、お母ちゃんが糠床を掻き混ぜては、キュウリの糠漬けを作ってくれておりました。

お母ちゃんのキュウリの糠漬け、懐かしいなぁ!

しかしそんな糠床も、小学校の3年の時だったかに、お父ちゃんが十二指腸潰瘍を患い、その手術のため2週間の入院が余儀なくされ、お母ちゃんが病室に泊まり込んで付き添ったため、面倒を見るものが不在となった糠床はそれまでとなってしまったものです。

それ以来、お母ちゃんお手製のキュウリの糠漬けは食べれなくなったんじゃなかったのかなぁ?

糠のあの何とも言えない香り、ぼくはとっても癒されちゃいますねぇ。


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「昭和Nostalgia」(258)

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まだ20歳になったばかりの頃、こんな飛行機の手荷物タグに憧れたものでした。

師匠の愛用されていた、オベーションのハードケースの握り手には、全国各地へ飛行機で移動された痕跡として、各エアラインと各エアポートの手荷物タグが鈴なり状態で付いていたものです。

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ぼくも師匠のハードケースのタグに憧れ、お金をためて用もないのに国内線に載って、タグを括り付けてもらったものでした。

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何と無く、ギターのハードケースにこんなタグが括り付けられているだけで、ほんのちょっと師匠の真似事が出来た気になって、有頂天だったのかも知れません。


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「昭和Nostalgia」(257)

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こんな荷札をご覧になってピーンと来た方は、押しも押されぬ昭和人に違いありません。

東京・名古屋・大阪など、昭和の時代の大きな駅のホームには、赤い帽子を被った「赤帽」さんがいたものでした。

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正式には、「手荷物運搬人」さんと言う呼称だったようですが、誰もが気軽に「赤帽さん」と手を上げて呼んでいたような記憶があります。

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ぼくも昭和も第4コーナーを回った頃、一二度東京駅の新幹線ホームだったかで、「赤帽さん」のお世話になったことがありました。

確かその時、冒頭の荷札に必要事項を書き入れたような?そうではなかったような?

相も変わらず、不鮮明な記憶の断片しか残っておりません。

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それから平成の世へと移り、「赤帽」さんは姿を消し、それと入れ替わるように、軽トラックのその名も「赤帽」が、街中を走り抜けるようになったんでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(256)

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令和の時代を生きる方にゃあ、こんな「ハッキンカイロ」なるものが、どんなものなのか分かんないんじゃないでしょうかねぇ?

でもこれだけ冷え始めると、今では使い捨ての貼るカイロが手放せません。

でも昭和半ばのあの頃は、小学校の高学年に上がった頃、こんな携帯のハッキンカイロを持たせてもらったものでした。

カイロのベンジンをこうして補給して!

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燃料補給はもっぱらお父ちゃんが担当してくれておりました。

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しかしこのハッキンカイロがわが家に登場する前は、こんな豆炭の携帯サイズのアンカだったものでした。

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これはこれで、確か練炭の火の上で豆炭を熾し、朝の登校間際にお母ちゃんがアンカに豆炭を入れてくれて、学校へ持たせてもらった記憶がありますが、果たしてこんな大きな弁当箱のようなアンカをどこに入れて、どうやって暖を取ったものやら・・・。

昭和半ばの遠い記憶は、なかなかどんなに声を張り上げて呼んで見ても、おいそれと脳裏に浮かんで来てくれそうにもありません。

皆様方もこんな豆炭、お使いになられませんでしたか?


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「昭和Nostalgia」(255)

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腕白坊主共の憧れは、こんなゴム管なる飛び道具で、カラスなんぞを狙ったものでした。

とは言え一度たりと、カラスに命中するなんてぇ事はまったくありませんでしたが!

ぼくらは「ゴム管」と呼んでましたが、果たしてそれすら正式名称やら?

ぼくはこんな立派なゴム管など買ってももらえず、そこら辺の道端で拾った枯れ枝の二股をY字部分に見立て、パンツのゴムを括り付けた「なぁ~んちゃってゴム管」でしたから、そりゃあもう狙いが外れるわ外れるわ!

到底カラスになんぞ命中するはずなどありませんねぇ。

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ゴム繋がりでは、こんなゴムだけで優雅に大空を舞う、こんな凧のようなプロペラ機なんてぇ、ちょっと高価なオモチャもありました。

ぼくもお母ちゃんのご機嫌取りに躍起になって、やっとのこと買ってもらったものです。

嬉しくって公園で自慢げに飛ばしたものでした。

でもどんどんと遊び方が過激になり、プロペラを何十回と回しゴムを思いっきり巻き、勢いよく飛ばしたまではいいものの、お寺の本堂の甍に激突し、そのまま放置するしか術もなく悔しい思いをしたものです。

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一文菓子屋で売られていた、機体の先端に鉛の付いた丈夫なグライダーでも、大いに遊んだものでしたねぇ。

大空への夢は、子どもながらに憧れの象徴だったのかも知れません。


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「昭和Nostalgia」(254)

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たかが輪ゴム、されど昭和半ばの子どもらにとっては、それはもう立派な遊び道具の材料であり、女子は髪を束ねたりするヘアーバンドとしても活用される、身の回りに存在したスグレモノノ一つだったものです。

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ぼくら男坊主どもは、もっぱら指鉄砲とか称して、仲間同士で輪ゴムを乱射し合ったりしたものでした。

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まぁ、よっぽど至近距離で射抜かれない限り、痛くも痒くもない代物でしたから、子どもたちの悪戯遊びにゃ持って来いってぇ感じでした。

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こんな感じの飛ばし方もありましたねぇ。

ぼくは結構こっちの飛ばし方のほうが、よく的中させることが出来たものです。

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そう言えば、こんなゴム鉄砲も駄菓子屋で売っていましたねぇ。

ぼくのは、お父ちゃんが見様見真似で日曜大工で作ってくれた、なぁ~んちゃってゴム鉄砲でした。

友達が買ってもらったゴム鉄砲を貸してもらい、それをお父ちゃんが矯めつ眇めつ眺めては、家にあった木っ端で器用に作ってくれた代物です。

とは言え、鉄砲の性能に関しては、残念なことにうまったく記憶にもありませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(253)

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昨日は、サーバーのメンテナンスとかで、ブログをアップ出来ませんでした。

そう言えば先日の、日曜と月曜で「飛騨びと、言の葉綴り」の取材で、飛騨古川と飛騨市河合町の可合スキー場へ出掛けさせていただきました。

9月の半ば頃、古川中学の生徒さんを訪ねて以来、約3か月ぶりの飛騨市となりました。

ちょうど寒波がやって来てくれていまして、飛騨金山からワイドビューひだの車窓からの景色は、徐々に雪景色となり、飛騨古川の駅舎を出ると雪が舞い下りておりました。

1枚目の写真は、雪が降り止んだ月曜日のものですが、名残惜し気な紅葉とほんのりと白い雪景色のコントラストで、どうにもこうにも心癒されてしまったものです。

この分で行けば、年明けの三寺まいりが、大いに期待できそうでなりません!


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