「昭和Nostalgia」(281)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー(city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も柿下 剛さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!

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昔の航空会社のチェックインカウンター前は、こんな感じでスーツケースがズラーッと並んでいたものでしたねぇ。

今のリモワのようなすこぶる快適なキャスターの付いたスーツケースなどまだ登場しておらず、どんなにヘビー級のスーツケースであったにせよ、手で持つか空港の頑丈なカートに載せて運ぶしかありませんでしたよねぇ。

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でもそれは、カートを借りられる空港内のエリアだけ。後はひたすら人力で運ぶしかなかったものです。

そしてこんな糞重たくって嵩張る変圧器も、ホテルの部屋に備わっていないと不安なため、スーツケースの片隅を我が物顔して占拠されたものでした。

こんな変圧器を手にして初めて、世界の国々においてコンセントも電圧も、まちまちだってことを知らされたものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(280)

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これを一目ご覧になって、何だったか思い出せた方は、これまた立派な昭和人に違いありません!

昭和の時代の海外旅行の必需品の一つ「トラベラーズチェック」ですねぇ。

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それにしても、懐かしいですねぇ。

ぼくも何度かトラベラーズチェックのお世話になったものです。

26~27歳くらいの時に、独りで初めてニューヨークを訪れた時も、トラベラーズチェックを持参し、地下鉄に乗ったり五番街やセントラルパークにタイムズスクエアを歩く時には、靴下の中に100$札を隠した覚えがあります。

当時のクレジットカードは、下のインプリンターで、カード番号の凸部を伝票に転写したものでしたねぇ。

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今じゃもう、まったく見かけることも無くなっちゃったように思います。

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そう言えばパスポートも、今のモノと比べるとずいぶん大きかったものでしたねぇ。

スーツの胸の内ポケットに仕舞うにゃあデカ過ぎて!

かと言って、機内持ち込みのブリーフケースに仕舞っていると、パスポートコントロールや税関で見せるのに、また鞄の中をゴソゴソしなきゃいけないしで、ちょっと申し訳ありませんが、実用性からは幾分かけ離れていたような?

でもパスポートは、さすがにぞんざいには扱えませんものねぇ!

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まだ客室の中に、個々にセイフティーボックスが設置される前の時代、ホテルにチェックインするとフロントの奥や脇にあったセーフテイーボックス専用ルームに入って、割り当てられたセーフティーボックスに、パスポートやらトラベラーズチェックなど貴重品を仕舞い込んだものでした。

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まぁ、いちいち出し入れが面倒だったこと!

でも今でも使えなくなったパスポートは、そのまま旅の記録として残っております!


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「昭和Nostalgia」(279)

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ぼくが子どもの頃は、正月の三が日が終わると、こんな「初荷」の旗や幕を掲げたトラックを目にしたものです。

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その度に、子どもながらにも、もう冬休みも終わって三学期が始まるんだなぁと、ちょっと寂しい気がしたものでした。

平成から令和の現代になると、ますます正月気分ももう味わえなくなって来ちゃった気がして仕方ありません。

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お正月には、こんな立派な注連飾りを付けた自家用車も、そこら中で目にしたんですけどねぇ。

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それよりも何よりも、元日に日の丸の国旗を掲げる家もトント見なくなっちゃいましたものねぇ。

まぁ、マンシヨン住まいのわが家では、共有部分の玄関入り口に国旗を掲げるなんて、とてもとても無理な相談です!

って言うより、そもそも国旗も掲揚ポールもありませんが(大汗)


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「昭和Nostalgia」(278)

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松の内も終わるころになると、すっかりおせち料理やお雑煮にも飽きちゃって、こんなシンプルなチキンラーメンが食べたいと、子どもの頃はお母ちゃんに強請ったものでした。

この時ばかりは、さすがにお母ちゃんもお父ちゃんも、おせちや雑煮にも飽きちゃっていて、快く同意してくれたものです。

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なんとチキンラーメンは、昭和33年の8月25日に35円で発売されたそうですが、そう考えるとぼくがちょうど生後9か月からこの世にあったとは、1歳違いの弟のようなラーメンでもあり、親しみが非常に湧いちゃいました。

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でもぼくが初めてチキンラーメンを食べさせてもらったのは、小学校の1~2年生になってからだったように思います。

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パッケージもこんな風な変遷をたどったようですねぇ。

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しかも世界7か国でも販売されてるとはビックリ!

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それからしばらくして登場した「出前一丁」も、ごまラー油が良い味を出して、ぼかぁ好きなインスタントラーメンでもありました。

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でも考えてみると、チキンラーメンも出前一丁も、もう数十年以上食べてないですねぇ。

今度買ってみよ~っと!

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こんな「お茶漬けチキンラーメン」なるものが、この世にある事は今日の今日まで知りませんでしたぁ!(汗タラタラ)


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「昭和Nostalgia」(277)

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今日から仕事始めと言う方も多いんでしょうねぇ。

昭和も第4コーナーを回った頃、会社の正面玄関の受付の横に、こんな菰樽がデーンと置かれ、えらいさんによる鏡開きの後、年始回りにやって来る来客に、振り袖姿の女子社員が枡酒を振舞ってくれる、大盤振る舞いの景気の良い会社があったものです。

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ぼくも晴れ着姿の女子社員さんから、枡酒を頂戴し、天にも昇る浮かれようだったものです。

そしてお昼前にはゾロゾロと社員も退社し、そのまま昼呑みへと、ネオンのまだ灯っていないネオン街へと消え入ったものでした。

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晴れ着姿のまま、仕事始めなんて、職場も華やかでいいものでした。

こちらは電話交換手の方たちですねぇ。

現代では、仕事始めに振り袖姿でご出社される女子社員の方なんておいでになるんでしょうかねぇ?

さすがに会社のロビーで、鏡開きなんてぇ離れ業を繰り出す会社さんは、昭和の時代と共に滅んだんでしょうかねェ。


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「昭和Nostalgia」(276)

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昭和半ばの頃は、こんな風に晴れ着姿のまま、羽子板で優雅に遊ぶ女の子たちがおりましたねぇ。

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ぼくは羽子板で遊ぶ女の子を遠目に眺めて楽しんだものです。

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初詣の帰り道、参道の露店で射的をやらせてもらえたりすると、もうすっかり有頂天だったものです。

まぁ、めったやたらと命中などしませんでしたが、それでも何とも楽しくって仕方なかったものでした。

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ぼくは一人っ子でしたから、正月休みを持て余すと、家で一人こんな達磨落としをやったり、

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お父ちゃんと紙相撲なんかの相手をしてもらったものです。

近所の友が誘いに来てくれると、

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凧揚げをしたり、

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独楽回しなんぞもしたものです。

しかし不器用なぼくは、凧揚げも独楽回しも、とてもとても得意じゃなかったものです。

まぁ、凧揚げも独楽回しも上手く出来なくったって、ちゃんと立派に高齢者のお仲間入りが出来たんですから、まずもって良しとすべきなんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(275)

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もう福袋の争奪戦は終わった頃でしょうか?

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皆様も福袋をお求めになられたのでしょうか?

そもそも人混みの嫌いなぼくなんて、若い頃に1~2度、1000円程度のチープな福袋を買った事がある程度で、有名百貨店の福袋を買い求めようと、何時間も寒空の下並んだ経験はございません!

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でも福袋やバーゲン好きな方は、どんなに寒かろうが、どれほど長蛇の列が続いていようが、そんなこたぁお構いなし!

そんな強者もおいでですよねぇ!

まぁ、これも一つの正月らしい風景なんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(274)

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目出度いお正月と言うと、ぼくは何だか七福神を真っ先に思い浮かべてしまいます。

とは言え、罰当たりかも知れませんが、ぼくが存じ上げている神は、恵比須様に大黒様と布袋様の三柱(みはしら)くらいなもの。トホホ

参考

改めて今更ながら調べると、福禄寿、毘沙門天、寿老人に弁財天を加え、七福神となります。

恵比寿様を除き、他の神々はインドや唐、道教の神であり、異国からの渡来された神のようです。

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ぼくも機会があったら、一度でいいから、七福神の仮装でもして、拙歌「飛騨ひと達の、SOYAな SOYAさ」を歌ってみたいものです!


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「昭和Nostalgia」(273)

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よくよく考えたら、1月の2日って、結構大忙しな日なんですねぇ。

だって、事始めの書初めに、夜は夜で初夢を見なきゃいけないんですからぁ!

ぼくも子どもの頃、書初めをさせられました。

もう、何を書いたんだかなんて、到底思い出せもしませんが!

たぶんお母ちゃんに言われ、いやいや墨を磨った事でしょう。

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子供会で福笑いなんかがあると、罰ゲームでこんな顔にされるものもおりましたねぇ。

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そもそも書初めは、その昔、邪気を祓うとされる若水(わかみず)で墨を摺り、その年の恵方に向かって詩歌を書く習慣があったそうです。

その時に書く詩歌は「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅(ちょうせいでんりしゅんじゅうとみ ふろうもんぜんじつげつおそし)」という漢詩だったとか。

漢詩に疎いぼくには、さっぱり読み方も意味も分かりません。

調べてみると、「長生殿の中は季節の移り代わりに富み、不老門の前は月日の流れが遅い」、つまり『門をくぐると時がゆっくりと進む=歳をとらない』なんだそうです。

こんな書初めなんて、もちろんしたことありませんでした。

一方の初夢!

何と言っても、一富士二鷹三茄子ですよねぇ。

参考

ぼかぁ一度も見たためしがありません!

これ以外にも扇、煙草、座頭も、江戸時代から良しとされた夢なんだそうです。

参考

それに、朝日や太陽の夢、干支のヘビや、太ってしまう夢も縁起の良い初夢なんだとか!

参考

まぁ、酔っぱらって寝てしまうぼくは、夢も見ず爆睡もんでしょうねぇ!


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「昭和Nostalgia」(272)

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皆様、明けましておめでとうございます。

初日の出のご来迎はご覧になられましたか?

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今頃は、こんな豪華な三段重を広げ、一献と洒落込まれておいででしょうか?

ぼくは正直、子どもの頃から、いかに役物とは言え、おせち料理が苦手でした。お母ちゃんが「この酢レンコンは、今年一年見通しが良くなりますようにって、祈りながら食べなさい」とか、「海老は、腰が曲がるほど長生き出来ますようにって」とか、さんざん口酸っぱく言われ、渋々いただいたものでしたが、正直大喜びで箸を付けたとは言えそうにありません。

ですから高齢者となった今も、こんな豪華な三段重は無縁です。

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どちらかと言えば、こんな飛騨の汐ぶりで、超熱燗をキュ~ッとやる方が、何よりのご馳走でもあります。

そう言えば、30年ほど前の事。

年末の大晦日に、とある会社の女性社長様からお電話があり、「老舗料亭のおせちをご家族で召し上がっていただけないかしら?主人とこれからタヒチへ向かうものだから」と。

老舗料亭の三段重の立派なおせちをいただいて、意気揚々とわが家に持ち帰ったまでは良かったものの!

開けてみればあまりにも高価そうな料理がテンコ盛り!

元日になって三段重を開けて並べはしたものの、どれもこれももったいない気が先行して、明日に取っておこうとかってんで、なかなか箸が付きませんでした。

すると二日目にはもう、大半の物が傷んでしまっているようで、特に生ものっぽい物は変色してしまったりで、たいして食べないまま処分する羽目に!

ついつい高価そうな料理を、明日も明後日もゆっくり楽しもうなんて、そんな貧乏根性が仇となってしまって苦々しい思いをしたことがありました。

そうかぁ!お金持ちは、元旦の日に皆で一気に召し上がってしまうんだぁと、妙に感心したものでした。


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