「昭和Nostalgia」(350)

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子どもの頃の事。いかにもお金持ちってな感じの、洋風なお家の友達の家に伺うと、これまた立派なソファーのあるリビングの壁に、こんな手の込んだ鳩時計なるものがございました。

ちょうど3時のおやつの時間になると、友達ん家のオバちゃんが紅茶とクッキーを出して下さり、普段の一文菓子屋のトシ君家のオバちゃん家で、なけなしの10円で買い求める駄菓子とは異なり、得も言われぬほど上品で高級なクッキーの味に酔いしれたものでした。

そうしていると壁の鳩時計がボーンボーンとなり始め、屋根の下の小窓が開き、白い鳩が顔を出すではないですか!

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こんなお洒落な鳩時計なんて、それまで見たこともありませんでしたから、お伽の国でも覗き見たように大興奮したものです。

そうして家へ帰ると、ダメもとでお母ちゃんに鳩時計が欲しいと強請っては見たものの、鼻もひっかけてなんぞもらえっこありません。

まあ、どうせそんなことだろうと幼心にも分かっていましたから、それほど落胆するには至りませんでした。

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ところが今にして思えば、六畳間の中央に卓袱台がデーンと居座るわが家の壁で、お洒落なヨーロピアン調の鳩時計がボーンボーンと鳴った方が、どうにもわが家の和風な六畳間では、不釣り合いそのものであったに違いありません。


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「昭和Nostalgia」(349)

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三重の田舎の従兄妹のお兄ちゃんとお姉ちゃんの昔の家の、土間の台所にはこんな「おくど=お竈」がありました。

そりゃあもう、羽釜でご飯が炊きあがる時の匂いと言ったら、思わずお腹がキュ~ッと鳴ってしまうほど、馨しきものでした。

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でもわが家の台所には、そんな「おくど」なんてありっこありませんでしたから、こんなガス炊飯器でした。

でも同じ炊飯器であったにせよ、やはり従兄妹の家の「おくど」の薪で炊いた羽釜から立ち上る、ご飯が炊ける匂いとは大違いだった記憶が今でも鮮明に残っています。

ぼくはどちらかと言うと、白いご飯よりも、釜の底にこびりついたオコゲのご飯が大好きでした!

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従兄妹のお姉ちゃんも同様で、よく取り合いになったものでした。


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「昭和Nostalgia」(348)

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これが昭和半ば頃までの、冷蔵庫ならぬ保冷庫だと、もしあなたが瞬時にお分かりになられたとすれば、そいつぁ~もう押しも押されもせぬ、昭和半ば人間に相違ありません。

ぼくも子どもの頃に良く通った、一文菓子屋兼お好み・焼きそば屋であり、トコロテンやおでんもあって、そいでもって学用品から、チリ紙などの日用品も販売していた、今でいうコンビニ=萬屋的な、トシ君家のオバちゃんの店で見かけたものです。

冷蔵庫ではなく、保冷庫の中から、トシ君家のオバちゃんが氷の塊を取り出し、手動のかき氷機を回してくれたものです!が、しかし!

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トシ君家のオバちゃんは、お好み焼きや焼きそばを焼きながら、その片手間でかき氷を作ってくれるものですから、オバちゃんがその都度ちゃんと手を洗わないから、かき氷には青海苔やら紅ショウガが引っ付いていることもしばしばあったものです。

そんなかき氷に当たると、イチゴ味のシロップに青海苔やら紅ショウガの、何ともエキゾチックなテイストが加わり妙な味わいだったものです。


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「昭和Nostalgia」(347)

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こんな穴凹がビッシリと空いたベニヤ板が、子どもの頃の家の台所の壁に取り付けられ、そこに金具を差し込んで、お母ちゃんがおたまやフライ返しなど、調理器具をぶら下げていたものです。

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見てくれはともかく、ちょっと手を伸ばせば、その都度必要な器具を手にすることが出来、とても便利でさぞかし重宝したことでしょう!

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さすがに現代のお洒落なキッチンにゃあ、似合わないでしょうねぇ。

ぼくもこのボードの片隅に金具を取り付け、牛乳瓶の紙の蓋を開ける、牛乳屋さんでもらった牛乳蓋の蓋開け用栓抜きを吊り下げていましたねぇ。

この穴の開いたボードは、何でも「有孔ボード」ってぇ、ちゃんとした正式な名前があったようです!

まぁそんなこたぁ、どーだっていいんですが!


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「昭和Nostalgia」(346)

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昭和半ばの時代は、こんなプラスチック製品が、これでもかってぇ程、世を風靡したものでしたですよねぇ。

確かにぼくの子供の頃の家の台所にも、こんな調味料入れと小分けした醤油やソースにスパイスなどが入った、カスターケースのようなものがございました。

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食パンケースにバターケースや、わが家にゃあありませんでしたが、ゆで卵を立てるお猪口のようなプラスチック製品と、ありとあらゆるものが登場し続けたものでした。

まぁもっとも、今もプラスチック製品には、なにかとお世話になってばかりではありますが、あの調味料入れのようなケースは、いつの間にかわが家から消え去ってしまったものです。

ガラスの引き戸が付いた高級家具調の調味料入れなど、本物に手が出なかったわが家のような庶民は、プラスチックの安価な代用品で、洋風な暮らしの真似事をしていたのかも知れませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(345)

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これぞ昭和半ばの、和洋折衷のような、座敷文化の殿を務めたような家具の一つと言えませんでしょうか?

もちろんわが家にございました。

それももちろん、櫓炬燵のお母ちゃんの席の横に!

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座したまま、居ながらにしてお茶だろうがコーヒーであろうが、お母ちゃんはちょちょいのチョイ!

思えばなかなかのスグレモノでございましたねぇ!


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「昭和Nostalgia」(344)

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ぼくがまだ子どもの頃の回覧板と言うと、この写真の一番左、バインダーで閉じられたもので、しかも回覧板の書類も手書きか、ガリ版刷りだったように記憶しています。

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ぼくは回覧板の中身よりも何よりも、お隣さんへ回覧板を届けに伺う事に、愉しみを見出だしていたものでした。

なぜなら、昭和半ばの時代は、子どもたちが感心にも両親のお手伝いなんかしている姿を見かけると、ご近所衆の誰彼問わず、お手伝いに励む子どもたちを称え、「ほら、お小遣いだよ!」とか何とか言っては、チラシ広告やチリ紙に包んだ、飴玉や煎餅などをいただけたからです。

中にはこんな物騒な回覧板もあったようです!

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こんな愚策と、真剣に向き合わねばならなかったとすれば、敗戦して当然だったと思えてなりませんし、もう二度とこんな愚かな回覧板が、まことしやかに各戸に届くような時代となってはいけませんよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(343)

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そう言えばわが家にも、こんなマガジンラックがありましたですねぇ。

とは言え、洋風なリビングのソファーの傍らにあったのならともかく!

櫓炬燵が部屋の真ん中にデーンと居座り、お母ちゃんが鳴り物入りで、他所のご家庭の真似をしようと買い込んだマガジンラックは、その居所もどうにも定まらず、茶箪笥の前で違和感剥き出しのままうずくまっていたような?

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それに肝心要のマガジンラックに納まっていたのは、新聞や折り込み広告と、お隣さんから回って来た回覧板と言った類で、とてもとてもお洒落なファッション誌など、まったくもって見かけられなかった気がいたします。

するとやがてその内にマガジンラックは、お父ちゃんの孫の手やら、お母ちゃんの家計簿といった、身の回りの品々が独占するようになり、洗濯物がなかなか乾かない冬の日なんぞは、お父ちゃんのまだ生乾きの作業着が広げられていたりしたものでした。

残念ながらわが家のマガジンラックは、いつまでたってもわが家の景色に馴染めず、儚くもその務めを終えて行ったものです。

きっと皆様方のお宅じゃあ、そんなこたぁありませんでしたよねぇ。


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「昭和Nostalgia」(342)

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ぼくも小学校の何年生の頃だったかに、こんな地球儀を買ってもらったことがありました。

けっこう地球儀が好きで、まだ見ぬ国の位置や、指で触って標高の高低差を体感したものです。

そしていつの日か、地球儀で眺めただけの国に出掛けてみたい、そしてそこで暮らす人々に出逢ってみたいと、一人で夢を膨らませたものでした。

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同時に、地球儀の中のちっぽけな日本列島の、そのまたちっぽけな列島のさらにちっぽけな町で暮らしていることそのものが、にわかには信じ難く実に奇妙に思えてならなかったものです。

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そう言えば月に一度、お母ちゃんに連れられて名古屋駅の名鉄百貨店に出掛けると、市バスが笹島の交差点を曲がって名古屋駅前へと北上すると、大名古屋ビルヂングの天辺に、地球儀のように自動で回る森永の球体電飾看板が目に入ったものでした。

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それにしても懐かしい地球儀擬きの球体看板でしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(341)

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これまた昭和の頃に、会社の事務所や銀行の窓口とか、そこら中で見かけられた腕カバー姿ですねぇ。

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ぼくも小学生の頃、お母ちゃんお手製の端切れで作ってもらった腕カバーを、教室の中で着けていたものでした。

鉛筆で書いたノートの上に、袖口を載せると鉛筆の黒色が服に付いちゃうのを防ぐためだったのやら、水彩画の絵具が付いちゃうからだったのやら?

そんな腕カバーをしなきゃなんないような、高級な服なんて誰一人として着ていないのに?

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それとも腕カバー流行りだったのやら?

そう言えば30数年前、ニュージーランドの確かダニーデンにあった、コーンウォール・ジュニアスクールで、子どもたちがカカポの水彩画を描き、それをお母さん方が写真に撮り、赤や青の画用紙に貼り込み、お手製のポストカードを作って、街頭でチャリティー販売してカカポのドネーションを集めると言った催しがあり、その同行取材をしていた時の事でした。

教室にやって来る子どもたちは、みんな手に手にお父さんが着古したワイシャツを手にしてやって来るではないですかぁ!

するとそのワイシャツの背中側を自分の胸側に宛がい、前後反対のまま袖を通して、お母さんたちがワイシャツのボタンを子どもの背中側でとめ、それを腕カバーならぬ、お絵かき用のエプロン代わりとしていたのです。

そりゃあもう、子どもの体はお父さんの着古したワイシャツで、すっぽり首から下全身が覆われてますから、どんなに悪戯をして絵筆で悪さされたってヘッチャラ!

実に理にかなっていて、とても感動したものでした。


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