「昭和Nostalgia」(387)

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昭和の後半には、駅のプラットホームで傘をゴルフクラブに見立てて、周りに人がいようが居まいが、そんなこたぁお構いなしで、素振りをするサラリーマンをよく見かけたものです。

はてさて、今はどうなんでしょうねぇ?

あまり地下鉄とかにも乗りませんから、現在の様子は存じませんが・・・。

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中にはこんな、傘も持たずにエアーで素振りをする方も!

接待ゴルフやらコンペが近いんでしょうかねぇ?

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まだホームで傘を振り回すよりは、こんなエアーの方が、周りの方の迷惑にもならないかも知れませんが、それはそれで多分に奇異な目で見られたことでしょう。

こんなプラットホームでゴルフスイングに興じるのは、きっと日本人だけじゃないんだろうかと思っていたら、何が何が!

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熱心なゴルファーは、ちゃんと世界中にもおいでになるようですねぇ。

ぼくは20代後半の頃に、少しだけゴルフを齧りましたが、さして才能もなきゃあ上達心も乏しく、早々に止めてしまったものです。


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「昭和Nostalgia」(386)

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昭和半ばのご馳走は、こんな「壱銭洋食」なんぞと呼ばれ持て囃された、お好み焼きでもございました。

って、ぼくが「壱銭洋食」と言う言葉を知ったのは、岐阜市柳瀬のアーケード内にあるお店の看板を目にした時でした。

確か「一銭洋食◎ュン」とか言った屋号のお店で、いつか取材に伺いたいと思いつつ、そんな連載も終わってしまい、お訪ねする機会を逸してしまったものです。

それにしても「壱銭洋食」とは、実に巧みなネーミングですよねぇ。

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まぁ、昭和半ばの時代までは、ソースが掛かってさえいたら、何でもかでも洋食と呼んでいた気がしますものねぇ。

コロッケだって目玉焼きにしろ、焼き飯だって、ソースさえ掛かっていりゃあ、洋食だと思い込んでいたくらいですから!

参考

そう言えば子供の頃、母方の明治生まれだったお婆ちゃんから、壱銭硬貨や壱銭紙幣やらを貰ったことがありましたねぇ。

参考

でも、あの古銭はいったい何処へ行っちまったのやら?


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「昭和Nostalgia」(385)

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今でも時折思い出すことがあります。

月に一度くらいだったでしょうか?

お母ちゃんに連れられ、市バスに揺られ名古屋駅まで行ったのは?

お母ちゃんが好きだった、名鉄百貨店の地下の片隅にあった、80円均一と言う名?の店で、散々悩みに悩みぬいて手にしたり戻したりを繰り返し、やっとのことまるで清水の舞台から飛び降りるかのように、わずかばかりの日用品を買う、そんなお母ちゃんのお供をしたのは。

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そしてお母ちゃんとぼくの二人きりの時は決まって、サンロード地下街から都地下街をかすめ、笹島の交差点に出る手前にあった、女性と子ども専用の寿がきやへ連れて行ってもらえたのは!

まぁ考えてみれば、お父ちゃんが一緒の時には、その寿がきやへは入れなかったってぇ事ですけどねぇ。

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確か入り口で、寿がきやラーメン2杯と、ぼくのソフトクリーム、そしてお母ちゃんは確かクリームぜんざいの食券を買い込んで、テーブル席で向かい合わせで食べたものでした。

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まぁ、当時のぼくにとっちゃあ、お母ちゃんと二人きりでの寿がきやランチタイムであったにしても、非日常的で魅惑的なとてもワクワクする外食だったものです。

あの寿がきや独特のフォークのようなスプーンも、欲しくって欲しくって仕方なかったものでした。

今にして思い返すと、例え寿がきやであれ、お母ちゃんにしてみれば、とっても贅沢な時間であったのだろうと偲ばれてなりません。

何故子どもと女性専用だったかと言うと、当時はまだまだ女性が外で、ラーメンをずるずる啜って食べたり、甘味をパクパク食べるのが恥じらわれる風潮の名残が遺っていた時代でもあったのかも知れませんねぇ。

今度ショッピングモールで寿がきやを見かけたら、ラーメンを所望して幼い頃のお母ちゃんを偲んでみたいものです。


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「昭和Nostalgia」(384)

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子供の頃の体温計は、こんな水銀の入った体温計でしたですねぇ。

最後にこんな水銀の体温計で、熱を測ってもらったのはいつの事だったやら?

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平熱が35°半ばくらいのぼくは、なかなか水銀が上がって来なかったような?

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そして体温を測り終えると、体温計の太いお尻の部分を持って、何度も何度もスナップを利かせ振り下ろし、水銀を針先の方へと戻したりしたものでした。

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でも病院の看護婦さんなんかは、体温計をケースに入れ、ケースの紐を巧みに操り、体温計をケース毎グルグルグルグル回転させ、水銀を針先に戻されていて、それを家でも真似てみようとしたこともありましたですねぇ。

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しかし今や、水銀など使用しない、こんな電子体温計で瞬時に測定できちゃうんですから、あの手間だった水銀体温計がふと懐かしくも感じられます。

例え風邪などをひいて、体温計の示す体温が上がっていたとしても、病院で出される水薬なんかよりも、お母ちゃんの掌をオデコにあてがってもらう方が、何よりの特効薬だった記憶がよみがえってまいりました。


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「昭和Nostalgia」(383)

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この歯ブラシが、日本第1号のライオン歯磨きだそうです。

歯磨きの習慣は紀元前1500年頃のエジプト文明からだとか。
でも、現在の歯ブラシとは大きく異なる、歯木(しぼく)と呼ばれる爪楊枝のようなものだったようですねぇ。

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細い木の枝を、歯ブラシのように片方の端を噛み砕き、使用していたんだとか。

歯木にはニームという木が使われ、このニームの樹液には虫歯を抑制する成分がふくまれているとか。

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そして今でもインドやアフリカでは、ちゃんと歯木を使う習慣も残っているそうですから、ぼくが25年ほど前にインド取材の折に、片田舎を通った際に目にした少女の歯ブラシも、彼女とガイドのバサックが言った「ニム(ニーム)の木」の歯木だったと言うことなんでしょうねぇ。

参考

日本でも江戸時代には、房楊枝という物が商品化され、庶民の間でも歯磨きの習慣が広がったとか。


日本に歯ブラシが伝わったのは明治時代。インドから輸入したイギリスの歯ブラシを見本に、鯨のヒゲで柄を作り馬の毛を植えたものだったそうで、鯨楊枝と呼ばれたものが日本における歯ブラシの誕生だったようです。しかし、動物の毛を用いた歯ブラシは、なかなか日本人に受け入れられず、本格的な歯ブラシの普及は、大正時代に入ったからだったとか。

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家のお父ちゃんが使っていた物も、こんなブラシ部分が大きく長い歯ブラシだったものです。

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そう言えば歯磨き粉も、こんな鉛のチューブ入りか、缶入りのものでしたですねぇ。

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ぼくらの歯ブラシは、こんなものだった気がします。

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当時は、こんな可愛らしい歯ブラシがあるなんて、思っても見なかったものでした。

ところが今じゃあ!

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こんな電動歯ブラシですから、何とも便利で衛生的になったものですねぇ!

それこそ浮世絵に描かれた着物姿の女性に、こんな電動歯ブラシを使ってもらったら、ビックリ仰天かも知れませんねぇ!

電動歯ブラシ片手に、タイムスリップ出来たら、きっと腰を抜かすことでしょうねぇ!

って、江戸時代じゃあ、電動歯ブラシに充電できないかぁ!


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「昭和Nostalgia」(382)

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昭和半ばの腕白共は、そりゃあもうジッとなどしている子の方が稀で、みんなやんちゃを競い合ったものでした。

ご多分に漏れずぼくもその口で、継ぎ接ぎだらけの半ズボンに、黄ばんだランニングシャツのトレードマークで、町内を駆けずり回ったものでした。

そんなやんちゃばかりしていたからか、下着のパンツのゴムが伸びてしまって、半ズボンの内側でパンツがずり落ち、弛んでしまって股の辺りに固まっていたものでした。

そりゃあもう、何とも表現できない気持ち悪さと言ったら、ありゃしません!

そんな時は、お母ちゃんがパンツのゴム替え用の七つ道具を取り出し、チョチョイのチョイで、真っ新なパンツのゴムを通してくれましたねぇ。

中学に入ると学生服になりましたが、中学の入学時に3年間使えるようにと買ってもらった、3年後の成長時を見越した大きなサイズの学生服の上着とズボン。

中学入学時には、学生服の袖の長さも胴回りも、ズボンのウエストや裾の丈も内側に折って縫い付けられていたものです。

ところがお母ちゃんが見越した3年間の成長度合いよりも、スクスクと成長しすぎて、3年生の頃には学生服の上着もズボンもパンパカパン!

昼休みにふざけて馬飛びなんかやろうものなら、お尻の縫い目がピシピシッと音を立てて破れちゃうこともありました。

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その日は、破れたお尻のズボンを、女子に見られるわけにぁいかないって、学生鞄をお尻に押し当てて下校したこともありましたですねぇ。

まぁ、ちったぁ色気づいた証しだったんでしょうねぇ。

でも今じゃあ、お尻がはちけて破れた学生ズボンを履いた学生なんて、すっかり見かけなくなっちまいましたものねぇ。


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「昭和Nostalgia」(381)

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子供の頃は、お風呂で体を洗うスポンジ代わりに、こんなヘチマで背中を洗ってもらったものでした。

韓国風の垢すりのような、一皮めくれるような感覚が思い出されます。

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しかし・・・!

果たしてその時、ヘチマのスポンジに石鹸を付けて洗ってもらっていたのやら、何も付けずにそのままだったのやら?

もうとんでもなく昔の記憶から、その部分がなぜか抜け落ちてしまっております。

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ところがぼくは子供の頃から、どうやら今でいうアレルギー持ちだったせいもあり、市販の石鹸だと肌が赤くなつたようで、お母ちゃんが手拭いを袋状に縫い、そこに米糠を入れたもので体を洗ってもらっていた事を覚えています。

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もちろん優しい米糠の匂いまで!

そう言えば、日舞や歌舞伎の地舞台上に敷く、桧の所作台。

役者の足のすべりをよくするのと、足拍子の響きをよくするために使われるものですが、この所作台の表面を磨くのも、こんな☟

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ぼくの体をお母ちゃんが洗ってくれたものと同じ、糠を布でくるんだものを使用されるようです。

それにより、より所作台の音の響きも良くなるのだとか?

じゃあ、子どもの頃のぼくの背中も、パシーンっと叩けば、そりゃあもうこの世の物とは思えぬほど、いい音色がしたのかも知れませんねぇ!


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「昭和Nostalgia」(380)

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子どもの頃のわが家の居間兼寝室、それでもってぼくの勉強机も置かれ、卓袱台を広げて食卓にも早変わりした、そんな多機能な6畳間に、こんな座椅子が置かれていたものです。

確かお母ちゃんお手製の、座椅子カバーが被せられておりましたですねぇ。

しかも背もたれの角度が、手動で変えられ、夕餉のお伴にキリンラガーを気持ちよさそうに飲んだお父ちゃんが、ハイライトで一服した後、大きな鼾を轟かせながら居眠りを決め込んでいたものです。

ぼくもお父ちゃんが会社から帰って来るまでの間に、何度か座椅子を拝借したものですが、なかなかどうしてお父ちゃんのように、直ぐに居眠りとはいかなかったものです。

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一方のお母ちゃんは、お父ちゃんのように呑気に居眠りを決め込む暇などあろうはずもなく、絶えず台所の後片付けやら、洗濯物を畳んだりと、立ったり座ったり右を向いたり左を向いたり。

そんなお母ちゃんは、いつ頃からだったか、こんなラタンの回転式の座椅子を重宝していたようでした。

もうぼくなんて、和室で立ったり座ったりが難儀となってくいりまして、つくづく昔ながらの座敷生活はもう無理だ~と、いよいよ諦めムードの今日この頃でございます。


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「昭和Nostalgia」(379)

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♪有難や有難や 有難や有難や♪ と調子のいい曲調で始まる、この昭和半ばの名曲「有難や節」。

まさに昭和35(1960)年発表の曲とありますから、ぼくはまだ3歳の頃の曲と言う事になります。

さすがに3歳の頃の記憶ではなく、小学校の低学年の頃の記憶だと思いますが、家のお母ちゃんが何かにつけ口ずさんでいた曲でもありました。

その調子の良い出足の♪有難や有難や 有難や有難や♪のフレーズは、幼いぼくの耳にタコができるほど聞かされた、お母ちゃんの鼻歌がすっかりぼくの耳の奥底に居付いてしまったのかも知れません。

ところがその後の歌詞は、まったく記憶にありませんでした。

どうにも気になって調べてみると、こんな歌詞でした。

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♪有難や有難や 有難や有難や  金が無ければ くよくよします  女に振られりゃあ 泣きまする  腹が減ったら おまんま(御飯)食べて  寿命尽きれば あの世行き  有難や有難や 有難や有難や♪

でも50年以上経た今でも、ぼくにゃあ「有難や節」の歌詞の意味が難解すぎます!

果たしてお母ちゃんも歌詞をちゃんと理解して、♪有難や有難や 有難や有難や♪と口ずさんでいた事やら?

もしくはお母ちゃんも歌詞の意味など勝手に解釈し、調子の良い歌いだしの♪有難や有難や 有難や有難や♪と、そこだけを繰り返し口ずさんでいたのやら?

ぼくもいつも渋ちんなお母ちゃんが、よっぽどいいことでもあったのか、おやつを奮発してくれたりすると、真顔で「お母ちゃん、ありがとう」と言うのもこっぱずかしくって、お母ちゃんを真似、ぼくも♪有難や有難や 有難や有難や♪と、照れ隠しに鼻歌交じりに歌ったものでした。

みなさんも♪有難や有難や 有難や有難や♪と、口ずさんだりしませんでしたか?

この歳になって見ると、これまで生きてきた中における、喜怒哀楽全ての出来事すら、もう♪有難や有難や 有難や有難や♪でしかなくなったように感じられてなりません!


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「昭和Nostalgia」(378)

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昭和半ばの原っぱや工場の空き地には、あちらこちらにこんな土管が放置されていたものです。

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昭和半ばをわが物顔で駆け抜けた、筋金入りの腕白坊主やお転婆娘にとっちゃあ、秘密基地やらおままごと遊びの個室に早変わり!

でもいったい、何がそんなに楽しかったのやら?

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今となっては思い出すことも叶いませんが、ぼくが想像するには、勉強部屋と称した個室が与えてもらえるような裕福なご家庭とは違って、そんな個室への淡い憧れがあったような気がしないでもないものです。

まぁ今のぼくだったら、キリン晴れ風と酒の肴でも持って、土管の中に寝そべりながら、ポカポカ陽気の春を満喫しちゃうんでしょうねぇ。


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