「昭和Nostalgia」(531)

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今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

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公園の砂場で、友達と一緒に砂の山を築いて、トンネル堀りをした経験はございませんか?

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袖とズックを砂まみれにしても、平気の平左で!

しかし昭和の時代には、近所の小さな公園でも、必ず砂場があって、未就学児童やら低学年の小学生らが、砂場遊びを楽しんでいたものでした。

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ところが最近じゃあ、公園に砂場自体が無くなってしまっているような?

まぁ例え砂場があったにせよ、もう子どもたち自身も砂場遊びに興味を抱かないかも知れませんし、何より子どもたちの親が、不衛生だと一刀両断の元、砂場遊びを子どもらに勧めないかも知れませんですねぇ。

ぼくも娘が幼い頃に砂場遊びをしたのが最後。

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そう言えば、磁石を使って砂鉄集めなんてぇのもやりましたですねぇ。

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はてさて、面白がって集めた砂鉄は、その後一体どうしたものやら・・・。

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砂場遊びに興じる子も見かけない時代、砂鉄集めに興じる子どもたちは、なおさらいないんでしょうねぇ。

プロの手によるサンドアートとまでは行かなくったって、せめて不格好な砂の城なんぞ、一度くらい作って見たかったものです。

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って、やっぱり不器用なぼくにゃあ、そんなこと無理に決まってっかぁ!


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「昭和Nostalgia」(530)

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そう言えば子どもの頃、こんなカラフルなニッキ水を見かけると、飲んでみたいなぁと思ったものでした。

そしてついに初ニッキ水を買い求め、大喜びで口に含んだ途端!

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なんともエキゾチックな風味と刺激が、口の中で大騒ぎ!

それ以来、すっかりニッキ水は苦手になってしまったものでした。

でもぼく以外の子どもらには、すこぶる人気で、色んな色のニッキ水を飲んでは、色に染まった舌を出し、それを見せ合っている姿を目にしたものです。

昭和半ばのニッキ水は、合成着色料の強烈な色合いと、鼻を刺激するシナモンの香りが特徴で、舌や喉の奥がヒリヒリしたり、飲み終えた後もしばらく痺れが残るほどの刺激が、逆に怖いもの見たさの子どもらに人気となったとか。

しかし子どもが飲み干すには余りにも刺激が強すぎ、少しずつ舐めながら楽しみ、飲み終えると赤や緑に染まった舌を見せ、子供同士で笑い合う場面が定番であったとか。

そう考えると、子どもらの生態は、全国津々浦々、どこも同じだったようですねぇ。

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瓢箪に似たガラス瓶も特徴で、昭和20年代から30年代にかけては、縁日の屋台の人気モノだったとか。

肉桂玉なら舐められるんだから、今だったらニッキ水も平気かも?

でもさすがに何が何でも飲みたいってぇものでもありませんねぇ。


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「昭和Nostalgia」(529)

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これをご覧になって「懐かしい~っ」と思わず口に出てしまわれた方は、紛れも無く昭和半ばを生き抜いた、腕白坊主のお一人に相違ありません。

ただし、女子の方はご存じないやも?

ぼくも駄菓子屋で買って遊んだ記憶があります。

でも果たしてどうやって遊んだのやらと、調べてみてそうだったぁと思い出しました。

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そう言えばこんな紙の火薬を使ったものでした。

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でも空へ放り投げ、地面にぶち当たって火薬が爆発すると言う、至って単純な遊び。

今思うと、何がそんなに楽しかったのやら?

つくづく子どもの頃ってぇのは、そんな大人にして見たらなんてぇ事のないモノであっても、十二分に楽しかったのですから不思議でなりません。

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そう言えばこれまた、腕白坊主共の七つ道具の一つ、癇癪鉄砲です。

こんな紙火薬のロールをいくつもポケットに忍ばせ、仲間と打ち合いに興じたものでした。

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驚くなかれ、こんな地雷のオモチャもあったとか。

さすがに地雷なんて、ぼくは知りませんでした。

まぁそれにしても、昭和半ばには、何とも物騒なオモチャが子ども向けに売られていたものですねぇ。


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「昭和Nostalgia」(528)

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おまけの付いたキャラメルは、遠足用のお菓子にゃあ欠かせぬほど、それはそれは愉しみでならなかったお菓子の定番でした。

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食玩と言う名のおまけのオモチャ欲しさで、ついついキャラメルを買ってしまう子たちも多かったものでした。

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そんな中で、森永のキャラメルには、食玩は付いていなかったものの、ぼく的にはキャラメルの味が際立っていたように思えます。

参考

グリコが「一粒300m」なら、森永は「世界を3まわり半」と、広告のコピーでもしのぎを削っていたようですねぇ。

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いつかはこんな高級そうな、「フランスキャラメル」とやらを食べてみたいと思ったものでしたが、その夢かなわず、とうとう今さらキャラメル?ってな歳に成り果ててしまったものです。

昭和半ばの子どもたちを、魅了してならなかったキャラメルですが、国産キャラメルが誕生したのは明治の時代だとか。

その後、第二次世界大戦時に製造が中断。

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そして昭和28(1953)年に砂糖の統制が解除され、菓子メーカーが一斉にキャラメルを発売したようです。

メーカーの宣伝競争も激しくなるばかりで、ヘリコプターを使った広告宣伝も盛んに行われたようです。

なんだかぼくも空を仰ぎ見たような記憶が・・・。


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「昭和Nostalgia」(527)

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そう言えば子どもの頃、ご近所のお兄さんやお姉さんたちが、ジーンズにこんなWの穴の開いたベルトを、颯爽と着けていたものです。

もちろんぼくもご多分に漏れず、そんなW穴のベルトが欲しかったものでした。

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とは言え、まぁいつものことでしたが、そうそう簡単に等買ってはもらえっこ無いのが現実。

東映のヤクザ映画のチンピラ役で出て来る男優も、黒いパンタロンのようなパンツに、真っ白でピッカピカのエナメルのW穴ベルトを着け、白いエナメルのシューズを履いていたものでしたですねぇ。

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そんなW穴のベルトにも、ちゃんとした名前があったようで、その名も「ダブルピン パンチングベルト」ってんだそうです!

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ぼくも中学1年になった頃、やっとW穴のベルトを買い与えてもらったものです。

でもその頃は、もうとっくの昔にブームも過ぎ去っていたような・・・。


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「昭和Nostalgia」(526)

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ぼくも昭和の第4コーナーに入った頃、こんな風に車のキーを車内に残したまま、インロックしてしまい、大慌てをしたことがありました。

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当時は今のような、スマートキーやキーレスキーは無く、キーを車外に持ち出してボタン一つでロックする時代ではなく、どうしたものかインロックしてしまったのです。

気は焦れども、うんともすんとも、おいそれとドアロックは解除されません。

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「あっ、待てよ。そう言えば・・・」

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誰かが言っていた、ハンガーや指金を窓の隙間から差し入れ、ロックを解除するパーツに引っ掛け開錠すると言う手段。

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ところがそこら辺に都合よく、クリーニング屋さんで貰えるような、針金のハンガーなんて転がってませんし、ましてや指金なんてぇものは、荒物屋さんにでも行くか、大工職人さんでも無きゃ、そうそう滅多やたらに手に入る代物じゃあありません。

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車を止めていた脇のお宅を訪ね、コレコレしかじかと訳を説明し、クリーニング屋さんでもらった、安っぽい針金ハンガーをいただき、それを棒状に伸ばして先っちょを釣り針の様に曲げ、窓ガラスの隙間からそっと入れ、何度も何度も針金を上げたり下たりしていると、やがて「カチャ」と音がし、ドアのロックピンが持ち上がり運転席のドアが空きました!

すると俄かに拍手が巻き起こるじゃないですか!

そうです!

親切にも針金ハンガーを恵んでくださった、見ず知らずのご家族一堂が、ぼくのドアロックを開錠する一部始終、固唾を飲んで我がことのように眺め入ってくれていたようです!

まぁ差し詰め今風に言うなら、TV番組の「開かずの金庫」にご出演の、鍵師さながらだったのかも?

皆様も一度くらい、そんなご経験をお持ちなのでは?


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写真拝見

そう言えばこんな、チューインガムの手動の自販機も見かけたものでした。

さて、こんな洒落た自販機!

いったいどこで見かけたものやら?

写真拝見

間違いなく言えるのは、毎日毎日足蹴く通い詰めた、駄菓子屋の「トシ君家」の店じゃなかったことは間違いないはずです。

この自販機を初めて目にした時は、そりゃあもうカラフルな真ん丸のチューインガムに魅せられ、買って欲しくって買って欲しくって!

確か朧げな記憶によれば、10円玉を前面の窪みに投入し、レバーをガチャガチャの要領で回すと、チューインガムが一つ転がり出ると言う仕掛けだったような?

でも家のお母ちゃんは、頑として買ってはくれなかったものです。

「そんなもん、ガムが裸で出て来るんやで、汚らしい」とかなんとか、何だか偏見に満ちた言い訳の様でもあったものです。

だから初めてチューインガムの自販機にトライしたのは、反抗期に入ってからのことだったのかも知れません。

でも、もうそんな歳の頃になると、カラフルなガムが一杯入った自販機を初めて目にして、心ときめかせた頃とは異なり、もうすっかり色褪せて見えていたような?

ただただアメリカンな甘さを、半ば持ち余すかのように、仕方なく噛んだような記憶が!

写真拝見

なかにゃあこんな、ピーナッツのようなものの手動自販機ってぇのもありましたですねぇ。

ぼくは買った事がありませんが!


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参考

小学校の低学年の頃の事。

わが家の玄関先で、どこからか風に飛ばされて来たのか、洗濯物のような女子用の白いブラジャーが、落っこちていたのです。

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わが家は両親とぼくの3人家族でしたから、ましてや母は年がら年中下着はシミーズで、ブラジャーなんてぇ代物をしたことも無い人でしたから、ぼくにとっちゃあ女子用の白いブラジャーが、一体何者なのか、知る由も無かったのです。

「お母ちゃん、玄関にこんなもんが落ちてたー」と、家に駆け込んでお母ちゃんに見せると、「なんやー、乳バンドやないか!きっとお向かいの、サッチャン家のお姉ちゃんのが、風で飛ばされて来たんや」と、そう言うと白いブラジャーを掴んで、お母ちゃんはお向かいのサッチャン家へ。

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ですからその時点でぼくは、ブラジャーなる言葉自体を知らず、お母ちゃんが言った「乳バンド」と言うその言葉だけが、ぼくの心の中に記憶されてしまったようです。

しかし小学校の高学年になって、保健体育の時間だったかに、女子のブラジャーの事をさも知ったかぶりで「乳バンドやぁ!」と囃し立てちゃったものだから、まわりのクラスメイトから「なんやー、その乳バンドってぇのは?」なんて、散々いじられたものでした。

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しかしまぁ、「乳バンド」という名は、あまりにも色っぽさに欠ける、実用的な商品名であったものです。

ぼくのお母ちゃんは、結局終生乳バンドならぬブラジャーを、身に着けることはありませんでした。


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子どもの頃は、今の様にスマホもLINEのような、そんなお手軽な通信手段を持たなかったのに、「今度の日曜日に、どこそこの家で上棟の餅投げがあるぞ!」とか、「どこそこで嫁入りの菓子撒きがあるから行くぞ!」ってな情報が、瞬時に町内を駆け巡ったものでした。

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上棟式の持ち投げともなれば、割烹着姿のオバチャン達や、捩じり鉢巻きに鯉口シャツ姿のオッチャン達、それにタモやグローブを手にした子どもらで、大賑わいだったものです。

もちろん紅白のお餅のお裾分けにあやかりたい想いが、そりゃあもう大半だったに違いありませんが、上棟式の餅投げや嫁入りの菓子撒きってぇのは、地域の一つのお祭りのようなモノでもありました。

でも大半の紅白餅にしろ、嫁入りの菓子にせよ、割烹着の裾の両端を両手で掴んで、パラシュートの様に広げて、餅なり菓子などを一網打尽に物凄い形相で掬い集めるオバチャンたちには、子どもらなんて手も足も出なかったものでした。

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もともと上棟式での餅撒きは、「散餅散銭(さんぺいさんせん)の儀」という、土地の神に対するお供えの意味があるのだとか。

またそれには、厄祓いの意味も含まれていて、餅を撒くことで厄を祓うことが出来る、つまり餅を拾った人が厄を持ち帰ってくれるとも、考えられていたと。

ってぇことは、割烹着の裾を広げて、誰よりも沢山餅を拾い集めていた、あのがめついオバチャンは、人よりそれだけ多くの厄を持ち帰ってくれたってぇ事か!

そいつぁーそいつで、感謝しなきゃ!

でもこの上棟式の餅投げは、ご近所衆に対し、建前をした施主が、「今後仲間入りをさせていただきます。よろしくお願いいたします」の意味を兼ね備えて居たんでしょうねぇ。


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これこれ!

ぼくはこの塩味と食感が大好きでした!

森永の「スピン」ですねぇ!

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まだこの前食べたばかりなのに?と思い、それがいつの事だったのやら思い出せずにいましたが、調べてみて何ともはやビックリ仰天!

2020年に製造工場の閉鎖にともない、販売が終了していたとか!

じゃあ、ぼくが最後に「スピン」を食べたのは、いったいいつの事だったのやら?

果たしてそれは、大人になってスナックとかで、酒のつまみとして供されたのか、はたまたそれよりもずっと昔、中高生の頃に食べたのが最後だったのか?

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少なくとも2000年よりも、やっぱりずっとずっと前だったような?

不鮮明な記憶の欠片は、川面に浮かぶボールを、竹竿でこちらへと手繰り寄せるようなもので、思い出しそうになったと思ったら、また竹竿の先からボールが素抜け川の真ん中へと揺蕩ってしまうようなもの。

まぁ、こんな齢になりゃあ、そんな事ばっかりでございます。

それにしても、この「スピン」は好きなお菓子の一つでしたねぇ。

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何でも「スピン」は、昭和44(1969)年に、カレー、バター、チーズ味の3種類の「スピン」として発売されたようです。

と言う事は、発売当時ぼくは、まだ小学5年生の頃の事だったってぇ事になっちゃうんですねぇ。

まったく嫌ですねぇ。

記憶は薄れゆくばかり!


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