「昭和Nostalgia」(381)

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子供の頃は、お風呂で体を洗うスポンジ代わりに、こんなヘチマで背中を洗ってもらったものでした。

韓国風の垢すりのような、一皮めくれるような感覚が思い出されます。

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しかし・・・!

果たしてその時、ヘチマのスポンジに石鹸を付けて洗ってもらっていたのやら、何も付けずにそのままだったのやら?

もうとんでもなく昔の記憶から、その部分がなぜか抜け落ちてしまっております。

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ところがぼくは子供の頃から、どうやら今でいうアレルギー持ちだったせいもあり、市販の石鹸だと肌が赤くなつたようで、お母ちゃんが手拭いを袋状に縫い、そこに米糠を入れたもので体を洗ってもらっていた事を覚えています。

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もちろん優しい米糠の匂いまで!

そう言えば、日舞や歌舞伎の地舞台上に敷く、桧の所作台。

役者の足のすべりをよくするのと、足拍子の響きをよくするために使われるものですが、この所作台の表面を磨くのも、こんな☟

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ぼくの体をお母ちゃんが洗ってくれたものと同じ、糠を布でくるんだものを使用されるようです。

それにより、より所作台の音の響きも良くなるのだとか?

じゃあ、子どもの頃のぼくの背中も、パシーンっと叩けば、そりゃあもうこの世の物とは思えぬほど、いい音色がしたのかも知れませんねぇ!


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「昭和Nostalgia」(380)

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子どもの頃のわが家の居間兼寝室、それでもってぼくの勉強机も置かれ、卓袱台を広げて食卓にも早変わりした、そんな多機能な6畳間に、こんな座椅子が置かれていたものです。

確かお母ちゃんお手製の、座椅子カバーが被せられておりましたですねぇ。

しかも背もたれの角度が、手動で変えられ、夕餉のお伴にキリンラガーを気持ちよさそうに飲んだお父ちゃんが、ハイライトで一服した後、大きな鼾を轟かせながら居眠りを決め込んでいたものです。

ぼくもお父ちゃんが会社から帰って来るまでの間に、何度か座椅子を拝借したものですが、なかなかどうしてお父ちゃんのように、直ぐに居眠りとはいかなかったものです。

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一方のお母ちゃんは、お父ちゃんのように呑気に居眠りを決め込む暇などあろうはずもなく、絶えず台所の後片付けやら、洗濯物を畳んだりと、立ったり座ったり右を向いたり左を向いたり。

そんなお母ちゃんは、いつ頃からだったか、こんなラタンの回転式の座椅子を重宝していたようでした。

もうぼくなんて、和室で立ったり座ったりが難儀となってくいりまして、つくづく昔ながらの座敷生活はもう無理だ~と、いよいよ諦めムードの今日この頃でございます。


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「昭和Nostalgia」(379)

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♪有難や有難や 有難や有難や♪ と調子のいい曲調で始まる、この昭和半ばの名曲「有難や節」。

まさに昭和35(1960)年発表の曲とありますから、ぼくはまだ3歳の頃の曲と言う事になります。

さすがに3歳の頃の記憶ではなく、小学校の低学年の頃の記憶だと思いますが、家のお母ちゃんが何かにつけ口ずさんでいた曲でもありました。

その調子の良い出足の♪有難や有難や 有難や有難や♪のフレーズは、幼いぼくの耳にタコができるほど聞かされた、お母ちゃんの鼻歌がすっかりぼくの耳の奥底に居付いてしまったのかも知れません。

ところがその後の歌詞は、まったく記憶にありませんでした。

どうにも気になって調べてみると、こんな歌詞でした。

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♪有難や有難や 有難や有難や  金が無ければ くよくよします  女に振られりゃあ 泣きまする  腹が減ったら おまんま(御飯)食べて  寿命尽きれば あの世行き  有難や有難や 有難や有難や♪

でも50年以上経た今でも、ぼくにゃあ「有難や節」の歌詞の意味が難解すぎます!

果たしてお母ちゃんも歌詞をちゃんと理解して、♪有難や有難や 有難や有難や♪と口ずさんでいた事やら?

もしくはお母ちゃんも歌詞の意味など勝手に解釈し、調子の良い歌いだしの♪有難や有難や 有難や有難や♪と、そこだけを繰り返し口ずさんでいたのやら?

ぼくもいつも渋ちんなお母ちゃんが、よっぽどいいことでもあったのか、おやつを奮発してくれたりすると、真顔で「お母ちゃん、ありがとう」と言うのもこっぱずかしくって、お母ちゃんを真似、ぼくも♪有難や有難や 有難や有難や♪と、照れ隠しに鼻歌交じりに歌ったものでした。

みなさんも♪有難や有難や 有難や有難や♪と、口ずさんだりしませんでしたか?

この歳になって見ると、これまで生きてきた中における、喜怒哀楽全ての出来事すら、もう♪有難や有難や 有難や有難や♪でしかなくなったように感じられてなりません!


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「昭和Nostalgia」(378)

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昭和半ばの原っぱや工場の空き地には、あちらこちらにこんな土管が放置されていたものです。

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昭和半ばをわが物顔で駆け抜けた、筋金入りの腕白坊主やお転婆娘にとっちゃあ、秘密基地やらおままごと遊びの個室に早変わり!

でもいったい、何がそんなに楽しかったのやら?

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今となっては思い出すことも叶いませんが、ぼくが想像するには、勉強部屋と称した個室が与えてもらえるような裕福なご家庭とは違って、そんな個室への淡い憧れがあったような気がしないでもないものです。

まぁ今のぼくだったら、キリン晴れ風と酒の肴でも持って、土管の中に寝そべりながら、ポカポカ陽気の春を満喫しちゃうんでしょうねぇ。


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「昭和Nostalgia」(377)

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線路のレールに耳を当て、機関車の軌道音に耳を澄ましたことはありませんでしたか?

危険極まりない遊びで、決して褒められる事ではありませんが、ぼくも半世紀以上前の中学生だった頃、一度だけ友に誘われレールに耳を宛がったことがありました。

しかも友が、「10円玉のD51(デコイチ)プレスしてみよう!」と言い出し、愚かなるぼくも10円玉をレールの中心において、線路からちょっと離れた茂みに身を隠したものでした。

ぼくが通っていた中学校のすぐ北側を、関西線が通っていて、当時はまだD51が白煙を巻き上げ、現役で走っていたものです。

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ドキドキしながら茂みで隠れていると、遠くから蒸気機関車の汽笛が聞こえてまいりました。

すると友が、「でもどうしよう?もし俺たちの10円玉で、D51が脱線でもしちまったら大変だぞ!国鉄から物凄い賠償金を請求されるんじゃないか?」と、真顔で言うじゃないですか?

そんな事、今さら言うなよ!

ぼくはそう思って、レールに載せた10円玉を取りに行こうとしたものの、もうD51は目と鼻の先まで迫っているじゃないですか!

万事休す!

D51が脱線する轟音から耳を守らねばと、両手で耳を塞いで、薄目を開けてD51の雄姿をドキドキしながら眺めたものです。

ところがD51は巨体を唸らせながら、長い貨物列車を何十両も従え、走り去ってしまいました。

ヤレヤレと、冷や汗を拭い、やっとのこと安堵したものです。

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その時の戦利品「10円玉のD51(デコイチ)プレス」は、その後いったいどこへいっちまったのやら?

あんなに罪悪感に苛まれながら、肝を潰す思いをした10円玉だったのに!

時効とは言え、当時の国鉄の皆さんに、やんちゃな遊びをしたことを、心よりお詫び申し上げます。

どうか良い子の皆さんは、こんなやんちゃなオッサンの真似はなさらないで下さいね!


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「昭和Nostalgia」(376)

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子どもの頃の家の台所の壁にも、こんな束子が吊り下げられていたものです。

お釜を洗うもの、フライパンや鍋を洗うもの、茶碗や湯呑を洗うものと、お母ちゃんはお母ちゃんなりのルールを定めていたのでしょう。

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木製のまな板も、こんな風に束子で擦っていたものでした。

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そう言えば、こんな棕櫚で出来た長めの束子もあったような?

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そして台所の片隅には、こんな紙の容器のクレンザーなるものが鎮座していましたねぇ~っ!

でも紙の容器のため、水に濡れて円柱の筒がブニュブニュになっていたのを覚えています。

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はたしてお母ちゃんがお気に入りだったクレンザーは、どれだったのやら?

しっかり者のお母ちゃんでしたから、スーパーで一番お安く購入できた物に違いないでしょうが!


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「昭和Nostalgia」(375)

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これまた昭和の年の瀬の年賀状作りで持て囃された「プリントゴッコ」!

って言っても、芋版ばかりだったわが家にゃあ、ありませんでしたけどねぇ!

昭和52(1977)年の発売だったとか。

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ってぇことは、ぼくが20歳の年に誕生していたってぇことになります。

でももうその頃は、年賀状をやり取りする興味もまったく失せてしまっていて、結局娘が年賀状をやり取りする年になって、初めてプリントゴッコデビューを果たしたような覚えがあります。

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それでも平成20(2008)年まで発売されていたそうですから、ロングセラー商品の一つであった事には違いなさそうです。

まぁ今の世は、PCでチョチョイノチョイですものねぇ。

って、ぼくは2000年を最後に、年賀状も中元歳暮も止めちゃいましたけどねぇ。


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「昭和Nostalgia」(374)

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昭和も晩年を迎えた頃、こんな使い捨てのカメラ「写ルンです」が登場し、実にビックリしたものでした。

そんな頃は、今のようなスマホで気軽にパチリと言う時代ではなく、カメラを持ってくるのを忘れて来たのに、そう言う時に限って、どうしてもこの風景が写真に納めたいとかってぇ事があったものです。

でもそんな時、この「写ルンです」は救世主でもありました。

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何でも昭和61(1986)年7月の発売とかで、24枚撮りでお値段は1.380円だったそうです。

そりゃあフィルム1本分の値段に比べたら、割高感は否めなかったでしょうが、カメラが無くったってその場で写真が撮れちゃうってぇ手軽さで、瞬く間に圧倒的な支持を得たのも頷けます。

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さらに「写ルンです」はその後も進化を続け、フラッシュまで内蔵されたものまで登場!

そう言えば観光地などで、こんな自販機も目にしたものでした。

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これまたすっかり見かけなくなってしまったものの一つです。

でもこのところ、若い方がスマホのカメラではなく、昔ながらのアンティックな二眼レフカメラで、桜の木を仰ぎ撮影されている姿をお見掛けするようになりました。

スマホカメラ全盛の時代に、敢えて逆行するようなそのお姿には、如何にも「さぁ、写真を撮らせていただきますねぇ~っ!」と言った、被写体に対する畏敬の念のようなも感じられ、そんな謙虚さが何とも素敵でした。


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「昭和Nostalgia」(373)

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何だよ~っ!またトイレネタかよ~って、どなたかお嘆きになられませんでしたか?

そいつぁ~朝から申し訳ございません!

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でも昭和も後半の頃には、トイレの中でこんな芳香剤のスプレーを噴霧し、前の方がご使用になったトイレの中に蟠る悪臭を、花の香りのような匂いで覆い隠そうとする、そんなスプレーが設置されていたものでしたですよねぇ。

どなたかのお宅にお邪魔した時なんて、そんな芳香スプレーなどどこにも見当たらないのに、どこからともなく優しい花の香りがして・・・。

どこからこの匂いがするんだろうと考えながら用を足し終え、トイレットペーパーをカラカラと回して手に取ると、その香りが一際漂い出してビックリ!

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何と何と、トイレットペーパーの芯を通すバーに、芳香剤が仕込まれていて、なるほどなぁと唸った記憶があります。

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ところが最近では、そんな消臭スプレーはとんと見かけなくなり、コロナ以降便座を消毒する消毒液に挿げ替えられてしまったようです。

そう言えば昭和48(1973)年には、第一次オイルショックが勃発し、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えて大騒動となったものでした。

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って言っても、わが家はまだその頃、ボットン便所でしかもトイレットペーパーなんぞと言った、ハイカラなものではなく、徳用のチリ紙でしたから、お母ちゃんが血相変えてトイレットペーパーに群がったと言う記憶はありません。

昔も今も、ちょっとした噂話が発端となり、それがやがて大騒動に発展するってな事が、いつの世になっても大いにあり得そうで、何とも物騒な気がいたします。


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「昭和Nostalgia」(372)

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またしても昨日に引き続き、今日もトイレの話題となり大変失礼いたします。

それはそうと、昔は喫茶店やレストラン、それにバーとかでも、トイレにはこんなダスキンのロール状のタオルが設置されていたものです。

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自分が手を洗い、このロール状のタオルで手を拭ったら、次の方のために上から下へタオルを引いて、新しいタオルを手前に引き出したものです。

ところが中にゃあそんなこともお構いなしで、濡れた手を拭ったものの、新しいタオルを引き下げずにいる方もしばしば見かけられたもの。

嫌~な気分で、誰が手を拭ったか知れぬ使用済みのタオルを引き下ろし、もう一度手を洗い直してから真っ新なタオルで手を拭ったものでした。

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運が悪いと、1ロールのタオルが全て使用済みになると、新しいタオルを引き下ろそうとしても、ロールがもう回転しなくなり、誰が使ったか、何人が使ったかも分からないビタビタのタオルの、辛うじてまだ濡れていない奇麗な部分を見つけ出し、そこで指先を拭う事もありましたねぇ。

しかもロール状のタオルが使用済みとなった事を、お店の方が察知されない限り、新しいロールと取り換えていただけないため、それはそれで厄介極まりないものでした。

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でも自分のハンカチを濡らさずに済むと言う点と、ハンカチを忘れてもちゃんと手を拭くことが出来ると言う点では、実に画期的で素晴らしいものでもありました。

しかしコロナ以降、感染症のリスクもあってなのか、ほとんど見かけることが無くなっちゃいました。

そんな話を、先日の飛騨市での取材の夜、古川町の駅近くにある居酒屋さん「志摩茶屋」さんで、関係者の方々と一献酌み交わしていた時に、何気にぼくのブログの話になり、「昭和Nostalgia」と題した記事で、最近頓に見かけなくなったダスキンのロール状のタオルの話を取り上げようとしているという話をしたところ、昭和の記憶が微かに残っている方の間で盛り上がったものでした。

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そしてビールから白真弓の真宗寺燗(「しんしゅうじかん」とも「しんしょうじかん」とも地元では呼ばれる、65°に近い超熱々燗)に切り替わった頃、先のビールで催した尿意を処理せねばとトイレへ。

用を足し終え、手洗いをしていると、何と何と!

現役のダスキンのロール状のタオルが待ち受けていらっしゃるじゃあないですかぁ!

そりゃあもう大感激で手を拭い、昔を懐かしみながら、ロールを上から下へと次の方のために新しいタオルを引き下ろしたものです!


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