新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
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今日の「昭和Nostalgia」は、コチラ!
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子どもの頃、近所に市営住宅の庭に掘っ立て小屋を作り、そこで一文菓子屋兼お好み焼きを商うお店がありました。
そこにぼくより二つ歳下だったかの息子がおり、周りからトシ君と呼ばれていたこともあり、ぼくらはみんな放課後になると「トシ君家(ち)へ行こう」が合言葉だったものです。
文字通りくじ付きの一文菓子から、文房具に日用品、そして冬場は味噌おでんに、夏場はところてんまであった、当時の子どもたちにとってのテーマパークさながらでもありました。
雑然と並べられた商品棚の中央に、テーブルを兼ねた鉄板が置かれていて、額にタオルを巻いたトシ君のオバちゃんが、不機嫌そうな仏頂面で、お好みやら焼きそばを焼いていたものです。
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壁に掲げられた油染みだらけの品書きには、お好み焼きやら焼きそばの並みから、肉玉やらイカ入りの料金が表示されていたはずですが、もういくらしたのかもさっぱり思い出せません。
ただしわが家のお母ちゃんが、トシ君家でお好みや焼きそばを食べに連れて行ってくれるのは、一月にわずか一回あるかなしか。
しかもお母ちゃんのご機嫌がすこぶるいい日に限っていたような。
だからして、一日10円の当時のぼくの小遣いじゃ、おいそれと手の届かなかったほどの料金だったはずです。
そんな中、一番値の張る高級なメニューは、「モダン焼き」という代物。
たまたま居合わせた客の親子が「モダン焼き」なるものを注文したことがあり、見たことも無いその「モダン焼き」がいかなるものかと、ぼくらは遠巻きに鉄板を覗き込んだものでした。
するとトシ君のオバちゃんは、鉄板の片側で焼きそばを焼き、片側にお好み焼きの生地を焼いてそこに焼きそばを乗せ、再びお好みの生地を垂らしてひっくり返して焼き上げ完成。
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見るからにどこが「モダン」なのかさっぱり分からないながらも、とっても美味しそうに見え、いつかはぼくも「モダン焼き」を食べるぞと、夢が膨らんだものでした。
そしてお母ちゃんがすこぶる機嫌がよく、内職の手間賃が入った日だったか、トシ君家でお好み焼きランチと洒落込むことになったのです。
もちろんお母ちゃんの機嫌の良さに乗じて、ここぞとばかりに一番高価な「モダン焼き」を注文。
この時ばかりは、特等席のかぶりつきでオバちゃんのお手並みを拝見。
お母ちゃんと半分こにして、人生初となる「モダン焼き」を完食。
そりゃあもう、美味しかった事この上なしでした。
が!
オバちゃんが鉄板の上を鏝でこそぎ、油染みだらけの台拭きで、鉄板の汚れカスを取り除いていたその時!
見てはいけないものを目にしてしまったのです!
お母ちゃん、アレッ!
ぼくはオバちゃんが手にしていた台拭きを指差しました。
すると・・・
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お母ちゃんは支払いをさっさと済ませ、ぼくを店から連れ出したのです。
「ああ、気持ち悪っ!もう二度と、トシ君家でお好みも焼きそばも食べたらいかん!あの台拭きの縫い合わせ、あれきっとトシ君家のオジちゃんの古なった下着やで!」と。
いずれにしても昭和半ばは、とんでもなく緩い時代でございました。
まぁ、どこやらの「紅麹」よりは、まだましかもしれませんが!
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