飛騨市の「広報ひだ」2月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も飛騨びと言の葉綴り~河合町・岡崎賢一郎さん – 飛騨市公式ウェブサイト併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!
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昔の車には、こんな数珠のようなシートカバーを着けている車があったものでした。
一般車はもちろん、タクシーの運転席や後部座席でも見かけたものです。
ぼく的には、お尻や背中に数珠玉が当たり、ゴリゴリとしてあまり快適であった記憶はありませんでした。
ところが昭和の時代が終わり、平成の世となり、取材でインドを訪れた時の事。
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アンバサダーと言うタクシーで、ガイドと共にあちこちを巡ったものでした。
そのタクシーの中が全くその昔の、昭和の時代そっくり!
もう数珠玉が連なったシートカバーが、運転席やら後部座席にも辺り一面に張り巡らされ、それでなくとも凸凹道でガッタンゴットル揺れて大変なところへ持ってきて、シートカバーの数珠玉が背骨やらお尻に当たって痛いのなんのって!
でも暑い国ですから、シートと数珠玉との間に僅かな空間が生じることで、エアコンの無い車内の暑さが凌げていたようにも思います。
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一方こんな清潔感漂う、レースのシートカバーなんてぇのもございましたねぇ。
でも手入れの悪いタクシーなんかだと、レースが汚れて黒ずんだままだったり、日に焼けてレースが黄色く変色しているものもあったりして、そんなタクシーに出くわしてしまうと、ゆったりと背もたれにもたれることも出来ず、ちっとも落ち着かなかったものでした。
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中には、レザー張り風に、こんなシートカバーをする若者もおりましたねぇ。
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そう言えば、何でもござれのバブルの時代になろうものなら、こんな企業の宣伝広告がビッシリと貼り付けられたタクシーもございましたですよねぇ。
ぼくだったらこんなタクシー、後部ドアーが開いた途端、「あっ!ゴメン間違えましたぁ」とかって言って、乗車するのをきっと辞退したことでしょう!
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