いよいよ飛騨市の「広報ひだ」で、「飛騨びと 言の葉綴り」の連載が始まりました。広報ひだ 2024年4月号 – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
飛騨びと~言の葉綴り~ – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)
広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も波岡孝治さん(神岡町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)中谷節子さん(宮川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
新たなシリーズ「昭和Nostalgia」が始まりました。懐かしくって恋しい「昭和」の懐かしい商品や、当時の事象など、勝手気ままに記憶をたどりながら綴ってまいります。
まずはぼくの新曲、「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」、ぜひ今日もお聴きください!
甚だ勝手な㊗飛騨市制20周年記念song「飛騨びと達の、SOYAな SOYAさ」をyoutubeにアップしました~っ!記念ムードで盛り上がる、飛騨市の雰囲気を歌い上げま~す!
今日の「昭和Nostalgia」『小学校の想い出シリーズ⑮』はコチラ!
写真は参考
小学3年の時に、隣の席の女の子が赤痢にかかったことがありました。
そりゃあもうクラス中どころか、学校中が大騒ぎ!
ぼくなんてお隣の席に座っていたんですから!
とにかく担任の先生が、「赤い血の付いたウ〇チが出たら、赤痢が疑われるので、申し出る様に!」との事。
その日は、確か1時限目で、みんな下校させられたと記憶しています。
家に帰ると赤痢患者の近くの席に座っていた生徒の家に、保健所から係りの人が来て、わが家のいたるところに消毒薬を巻かれ、近所の方々になんだか白い目で見られたような!
写真は参考
ちょうどその日、昼前に下校すると、わが家のボットン便所の汲み取り口が開いていて、バキュームカーの汲み取りが回って来る日でした。
写真は参考
写真の左下の木枠の扉のような口が空き、そこへバキュームカーの太いホースが差し込まれ、肥え甕の中を奇麗さっぱりと吸い込んでくれたものでした。
確かバキュームカーの太いホースの口先には、作業が終わると草野球でお世話になった国際ボールがスポッと嵌められていましたねぇ。
写真は参考
ぼくは夏休みの間とか、バキュームカーが来て、汲み取り口が明けられ、外の光が肥え甕に差し込むのを、ボットン便所の中から眺めるのが楽しみの一つでした。
だから赤痢事件で1時限目で家に帰った日も、わが家のボットン便所から、陽が差し込んだ肥え甕のわが家の作品を眺めていたものです。
するとどうでしょう!
なんと赤いウ〇チのようなモノがあるじゃないですか!
「あああっ!」
でも犯人がぼくじゃない事は確かです。
だって用を足してお尻を拭くと、ぼくは必ずそのチリ紙をチェックする癖があり、拭き残しが無いかを確認していたからです。
となれば、3人家族のわが家、犯人は父か母と決まっています。
とても心配になり、すぐさまお母ちゃんを問い詰めました。
すると「はぁ~っ?そんなもんお父ちゃんに決まっとるわぁ!」とケンモホロロ。
夕方父の帰宅を玄関前で待ち伏せ、問い詰めました。
すると「???はぁ~っ、そんなんお父ちゃんやないでぇ」と。
結局幸いにもわが家から赤痢患者は出ることも無く、クラスメイトにも感染せず、なんとか凌げたものでした。
そしてそれから中学へと進学し、保健体育の授業で、その謎が解明したものでした。
参考
とは言え、そんなこと今更お母ちゃんの前で蒸し返すなんて、とてもとても出来ませんでしたけどねぇ。
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