飛騨市の「広報ひだ」6月号「飛騨びと 言の葉綴り」が掲載されました。
「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらの25710.pdf (city.hida.gifu.jp)
残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も勝田萌さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。
今日の「昭和Nostalgia」はコチラ!

ぼくにはこんな「岩おこし」が、それはそれはご馳走だったものです。
きっと関西からの客人が、手土産にと持ってきてくださったものでしょう?

たくさんいただいても、三人家族のわが家では持て余すことになり、おこしも湿気てふにゃふにゃになるのが定めとも言えました。
そうなると「まぁ~こんな湿気たおこしなんて、うもないわ!」と、父も母もお手上げ!
しめしめぼくの独り占め!
何を隠そう、ぼくは湿気てふにゃらかふにゃおになったような、お父ちゃんもお母ちゃんも見向きもしなくなった、そんなおこしの方が大好物と来たからさあ大変!

たとえ一度に食べれ無くたって、日に日に湿気てふにゃふにゃ感が、ぼく好みに増すばかり!
おこしのオジちゃんだったかオバちゃんがやって来るのが楽しみだったものです。

そして芋栗南京が苦手なぼくではありますが、大好物だったのが栗を模した栗饅頭。
栗そのものは苦手ながら、この栗饅頭ならツルッと2~3個平らげちゃったものです。

それ同様だったのが、こちらのしっとり仕上げの栗ボーロ。
これも大好物でしたねぇ。
きっと栗粉より他の混ぜ物の方が多く、本物の栗のようなパサパサ感を感じなかったから、ぼくは好きだったのかも?

それとボーロと言えば、こちらの玉子ボーロ。
片手で鷲掴みにして、何十個といっぺんに頬張ったりしたものです。

玉子ボーロを調べているとビックリ!
こんな一斗缶入りのものや

こんな押入れ奥に仕舞い込んだ、衣装収納箱のような、ブリキの巨大な缶ケースに入っていたものもあったようです!
いったいどんな人が、こんな超徳用箱の玉子ボーロをお召し上がりになったのやら?
もしかしたらぼくのように、湿気た玉子ボーロ好きの方だったんでしょうかねぇ?
さすがにぼくは、湿気た玉子ボーロはまだ食べたことがありませんけどねぇ!
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