
美濃乃蔵のキャッシャーを通り越すと、まるであの日のままのカッチャンが、真っ黒に日に焼けた顔を綻ばせ、しわがれ声で出迎えてくれるような錯覚を、ついつい抱いてしまいました。
この日は、35年ほど前から、人生の折り目折り目で何かと力になってくださった、大先輩と昔話を肴に何も気負うことなく差しつ差されつ。
在りし日のカッチャンなら、ぼくらの席に陣取って話に加わり、厨房から持ち込んで来たお気に入りの酒を手酌でグビグビやっていたものです。

店のあちらこちらには、カッチャンが集めた昔の農具やら、釣りの道具やらが、もう戻ることのない主を待っているように感じられ、ちょっぴりセンチな気持ちにさせられました。
そう言えば、この美濃乃蔵。普段の営業は、昼のランチタイムと、夜のディナータイムだけなのですが、やんごとなき方が東京からおいでになられると、その方たった一人のために、朝早くからカッチャンが一人で店を開け、和朝食を振舞われたものです。「そうやったわねぇ。主人はUさんの事が大好きで、せっかく岐阜においで下さったんだからって、嬉しそうにしてましたもの」と女将さん。
ぼくも東京にお住いの、Uさんには大変可愛がっていただけ、ぼくの「天職一芸」で紹介した、東海三県の職人さん巡りの旅を、何度も何度もご一緒させていただいたものです。そして岐阜泊りの夜は、必ずこのカッチャンの美濃乃蔵で、夕食をご一緒させていただいたものでした。
ところがUさんは3年前の春、一足お先に天国へと召されました。享年78。「ってことは、カッチャンもあれだけ慕われたUさんと、一緒の歳に亡くなられたんですね」とぼく。すると女将さんが、「今頃は天国で、また主人は嬉々として、Uさんのお食事の世話をして、昔話に花を咲かせていることでしょうね」と。

この3点のピンズは、Uさんの遺品です。左のピンズは、本当はピンズではなく、150年前に作られたスコットランドのキルトの留め具です。メノウがあしらわれ、銀細工と象嵌もほどこされたもので、ぼくもずっとUさんを忘れないように、ジャケットの左胸に付けておりました。しかしこの所、すっかりジャケットを着る機会も無くなってしまいましたが…(苦笑) 真ん中は、アルパカの毛で出来たアルパカのピンズで、Uさんがいつも洋服を仕立てられていた、銀座のテーラーでいただかれたものを、ぼくに下賜くださったものです。そして右側は、興福寺の阿修羅展が東京で開催された折に、お土産として賜ったピンズで、いずれもぼくの護符そのものです。
何時の日か、Uさんやカッチャンと、あの世でお目に掛かれた時に、ぼくも恥ずかしくない生き様を遂げようと、美濃乃蔵にお邪魔して改めて心に誓ったものです。
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