「昭和Nostalgia」(221)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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ぼくは晩秋になると、ご覧の練炭や豆炭を想い出してなりません。

小学校から帰ると直ぐに公園で草野球!

ところが晩秋はつるべ落としで日が傾いてしまいます。

公園には蛍光灯の街灯も無く、電柱の上に取り付けられた裸電球だけが、オレンジ色にわずかに燈るだけで、もうとても白球を追い駆けられる状態じゃなくなっちゃって、みんなトボトボと家路に向かったものでした。

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「ただいま~っ」と玄関を開けると、「お帰り~っ」の代わりに、「玄関先で豆炭に火熾してや~っ」と、いつになく猫なで声のお母ちゃんの声がしたものです。

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いきなりどやしつけられるよりも、猫なで声の方が、ぼくには不気味でならなかったもので、古新聞と枯れ枝を焚きつけにして豆炭や練炭を熾したものでした。

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家にもこんな練炭用の器具がありましたねぇ。

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ぼくは火鉢の側がとっても好きでした。

熱すぎず、それでいてほんわかとした温もりがあって!

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でもそれから数年もすると、火鉢は庭の片隅へと追いやられ、こんな火鉢のような石油ストーブが茶の間に鎮座するようになったものでした。

このストーブは、暖を取ると同時に、お母ちゃんが煮物やら小豆をコトコトコトコトと煮ていたものでしたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(220)

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そう言えばもう何十年と、こんな剥き出しの側溝はお目に掛ったことがありませんねぇ。

ぼくが子供の頃の昭和半ばなんて、家の前もそこもかしこも、こんな剥き出しの側溝ばかりで、家の前の側溝にだけ、お父ちゃんが手作りした木製の蓋が覆っていたものです。

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だから月に何度か、ご近所さんと一緒に、側溝に溜まった泥や落ち葉を「どぶさらい」と称して、日曜の朝になるとお父ちゃんやお母ちゃんが「どぶさらい」に向かったものでした。

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今のようなマンションなどどこにもなく、ご近所さんとの協調性は随分高かったものでした。

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確か家には、こんな「どぶさらい」用の器具が物置に置いてあったものです。

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「昭和Nostalgia」(219)

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この写真をご覧になって、男たちが何をしているのかわかりますか?

ぼくは子供の頃、運河沿いでこんな光景を何度か、バスの窓越しに眺めた記憶があります。

それと同時に、その記憶のシーンには、ボットン便所の香りまでセットになっていて、この写真を見るとバスの窓からそこはかとなく忍び込んできた、あのボットン便所の香りまで鼻先を霞めるかのようでなりません。

ぼくらは確か、「ウン〇のポンポン船」とかって、勝手に呼んでいたものです。

バキュームカーが市中を巡回し、回収した糞尿は運河に係留された「ウン〇のポンポン船」に移し替えられ、それを河口付近まで運んで当時は海洋投棄していた、そんな緩い時代だったのです。

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伊勢湾の河口付近に集まる魚の群れにとって、人間の排泄物は格好の餌となったことでしょう。

そして近海物の漁師の手にかかり、それらの魚が再び食卓へと上ったと言うわけでありましょう。

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何かにつけ、今ほど誰も目くじらも立てず、疑うこともせずそうしたものだと受け入れていたんでしょうねぇ。

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確かに令和の今ならば、環境団体から抗議の声が上がった事でしょうねぇ。

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「昭和Nostalgia」(218)

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こんな風にかかしを公園やアスファルトの上に書いて、ケンケンパをしたものですねぇ。

なんでも正式かどうかは分かりませんが、この遊びは「かかしケンパ」と呼ばれているようです。

ぼくの子供の頃は、「ケンケンパ」とだけで呼んでいた気がしますが・・・。

ところが遊んだ記憶はあるものの、どんなルールで遊んでいたものやら、さっぱり思い出せません。

参考資料

こんなルールだったんでしょうかねぇ?

公園の土の上なら、そこら辺に落っこちている木の枝でかかしを描けましたが、アスファルトには石っころを力任せに押し付け、それでかかしを描いたりしたものでした。

でも石で引いた線では、細くって見にくくって!

そんなある日、ぼくは閃いちゃったんです!

白墨の代わりになりそうなものが家にあったって!

お母ちゃんは洋裁の内職をしていて、裁縫道具箱の中に、ズボンの裾上げなどのための線を引くために使っていた、白墨を平べったくした三角形のギターのピックのような「チャコ」ってお母ちゃんが呼んでいるものを持ち出して、それでかかしを描いたのです。

写真は参考

まるで白墨のように滑らかに線が引けたものの、チャコ一枚なんてあっと言う間に無くなっちゃったものです。

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みんなにゃあ喜ばれましたが、それがお母ちゃんの知るところとなり、二度とチャコに触らせちゃもらえませんでした。

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「昭和Nostalgia」(217)

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こんな五右衛門風呂に入った事はありませんか?

ぼくは三重の田舎の、従兄妹のお兄ちゃんとお姉ちゃんの昔の家で入ったことがあります。

最初は釜の周りが熱くって火傷しないかなんて心配したものですが、ぜ~んぜん平気だったものです。

底には木製の踏み板があり、とってもまろやかで体全体が温まったものでした。

写真は参考

果たしてお兄ちゃんと一緒に入ったのか、或いはお姉ちゃんと一緒だったのか?

その湯加減たるや心地よくって、わが家のお風呂とも銭湯とも異なり、お兄ちゃんだったかお姉ちゃんだったかと、キャッキャキャッキャと長湯を決め込み、はしゃぎたくっていたものです。

写真は参考

すると窓の向こうから、オジちゃんの声が!

「どうや?ぬるうないか?もうちょっと焚いたろか?」と。

朝晩秋らしく少しヒンヤリし始めましたから、ついつい五右衛門風呂の温もりが恋しくなってしまいました!

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「昭和Nostalgia」(216)

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こんな三角牛乳も懐かしいですねぇ。

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今でもあるようですが、ぼくはとんと目にしなくなってしまいました。

なんでも細長い紙を折り紙のようにして、三角形のテトラパックを作るんだそうで、製造費もローコストだったそうですが、梱包して運搬するにはいささか難点もあったようです。

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ぼくにとって最初の三角牛乳との出逢いは、小学校の社会見学の時に、給食として焼きそばパンと一緒に配られた時だったように記憶しております。

そしてしばらくすると、通常の給食でも、瓶入りの牛乳から三角牛乳へと変わっていった記憶があります。

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「昭和Nostalgia」(215)

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子供の頃から今も、滅法ズボラなぼくではありますが、理科の実験室での様々な実験をする授業は興味津々だったものです。

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まずもって家ではお目に掛れないような実験道具が居並び!

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顕微鏡を覗き込むときなんて、結構興奮したものでした。

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何かの重さを量りで測定する時も、分銅をあれこれ選んだり、ピンセットで小さく軽い銅板のようなものを挟んで、そっと息を吞みながら秤の上皿に載せたものでしたねぇ。

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ビーカー、フラスコ、スポイト・・・。

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アルコールランプなぁ~んてぇのもございましたねぇ。

でも、骸骨の模型と、解剖された人体模型だけは、なかなか直視できずいつも目をそらしてばかりでした。

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ある日のこと。

下校時に気付いたんです。

理科の実験の時間に、実験室の席に忘れ物をしたことに!

ぼくは勇気を出して、たったひとりぽっちで、西日に染まって薄暗く静まり返った理科の実験室の引き戸を開け、骸骨の模型と解剖された人体模型から目をそらしながら、忘れ物を手にして一目散で実験室から逃げ帰ったものでした。

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「昭和Nostalgia」(214)

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こんな当時としてはハイカラな、バラの花のような香りのするガムを噛んで、口元から爽やかで馨しい香りを漂わせる、おませな女子がいたものでしたねぇ。

ぼくもハイカラなガムを噛んでは見たかったものの、そんなことを男坊主仲間に知られようものなら、今となっては差別用語だとそしられる様な「あっ、おとこおんなだぁ~」などと言われたことでしょう。

でも本当にいい香りがしたものです。

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何でも「食玩」と呼ばれるそうですが、こんなおまけ付きのガムもあったようですねぇ。

まだぼくが子供の頃には見かけなかったような?

それともぼくが通った「トシ君家のおばちゃん」の一文菓子屋には、そんなこれまたハイカラなガムが置いてなかっただけだったかも知れませんねぇ。

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こんなおまけが付いているなら、おまけ目当てでついつい買ってしまうんでしょうねぇ。

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「昭和Nostalgia」(213)

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これって、現代の若者が見たら、何だと思うでしょうねぇ?

ぼくも昭和も第4コーナーを回った頃、仕事の関係でこんなショルダーフォンをNTTさんからレンタルしていただき、使っていたものでした。

まぁ、とにかく2.5kgと糞重たくって、あちこち行くのに担いでいくには、肩が凝ったものでしたし、とにかく通話料金がこれまた糞高くって往生したものです。

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昭和の終わりには、こんなにスリムになった携帯が登場し、契約料も随分と高かったものの、利便性優先で所持したものでしたねぇ。

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ところがわずか30数年の間に、小型化が進み多機能さも充実したものですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(212)

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これに見覚えはありませんかぁ?

さすがにこのタイプの留守番電話は、まだとても高価だったようで、わが家にはありませんでした。

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でも商売屋さんの友達の家では、こんな旧式の留守番電話なるものを拝ませていただいたこともありました。

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でも大人になってからは、自分用にマイクロカセット型の留守番電話を設置したものです。

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今思えば、便利ではありながらも、いたずら電話のメッセージなんかも結構あったりしたものでしたねぇ。

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しかしそれをいちいち消去するのも、それなりに面倒だった記憶があります!

今ならスマホの留守電機能で十分なんですものねぇ。

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