「いよいよ貴婦人がやって来たあ!その②」

SLの貴婦人 C-57

年代を感じさせる重量感満点の機関車です。ボディに触ると、煤煙と油で手が真っ黒になりそうなほど、黒光りしています。

もうぼくなんて、大興奮です!

他に撮り鉄の方とかがいなかったのも幸い、独り占めでした。

こんなお洒落な客車です。

ぜひとも次回は、新潟市の新津駅から喜多方を目指し、あの「喜多方ラーメン松」のチャーシューメンを食べに来たいものです。

こんなド迫力です!

ついつい旅をと考えると、あれもこれもと欲張りになってしまいがちですが、シンプルな目的を主軸に、そこで手に入れた地元情報を元に、次のディスティネーションを探すッてぇのも、気ままな小旅ならではの醍醐味ですよね。

喜多方ラーメン松の入り口です。

きっとまた来るから、待っててね!「喜多方ラーメン松」さん!

「いよいよ貴婦人がやって来たあ!」

来た来たあ「SLばんえつ物語」だあ!

力強い蒸気のドラフト音を轟かせ、「SLばんえつ物語」の貴婦人が、喜多方駅構内へと徐々にその姿を現します。

待った甲斐があったあ!

もう石炭の匂いがホームまで忍び寄ってまいります。大迫力そのものです!

この美しい姿!さすが貴婦人!

7両の客車を従え、堂々の入線です。俄か鉄ちゃん気取りのぼくも、さすがに鳥肌が!

客車もお洒落なこと!

この「SLばんえつ物語」号は、およそ週末の土日に上り下り各1本、新潟の新津駅~会津若松駅まで運行されているそうです。

時期によっては、車内で地酒が振舞われたり、山都そばの振る舞いやら、たんぽ焼きまで振舞われるようです。

新潟県新津駅を10:05に出発し、ここ喜多方駅には13:08着。それから喜多方ラーメンに舌鼓を打って、喜多方駅発15:51の下りに乗れば、新津駅に18:40着。

その晩は、新潟市のへぎ蕎麦で一杯煽り、翌日のFDAで戻る、そんな旅をまたぜひ味わいたいものです。

貴婦人の話題は、明日へと続く!

「喜多方駅で思わぬ逢瀬が!」

喜多方の地酒の酒樽

喜多方ラーメンを食べ終え、宿のお迎えが来る喜多方駅へと戻りました。

すると駅員さんの案内放送で、会津若松行の列車のホームが、貴婦人の試運転のため変更になると流れ始めました。

改札の駅員さんに尋ねると、あと10分ほどで貴婦人が目の前のホームに入って来ると言うではありませんか。

そうとなれば、入場券を自販機で買い求め、再びホームに入って待つことにしたわけです。

喜多方駅に到着したときは、乗降客も多くゆっくりホームも眺められなかったので、スマホのカメラをパシャパシャ。

この1番線に、間もなくあの貴婦人が!

このホームの案内にある、走るカフェ「フルーティアふくしま」ってぇのも、乗り鉄気取りのぼくも、気になって仕方なかったものです。

「この世にたった二本だけ作られたという、40数年前のK.YAIRIオベーションモデルの木製ギター」

日本でたった二本しか製造されなかった、約40数年前製造 K.YAIRIオベーションモデルの1本。40数年前からのぼくの愛用の1本です。何度もボディーが割れたり、ブリッジが外れたり…。その都度修理を経たそんな痛々しい跡が、今も残っています。
オベーションのボディの裏側は、ヘリコプターの羽根に使われる、グラファイト製ですが、 K.YAIRIの裏側は、ローズウッドの木製です。

『五条川』

詩・曲・歌/オカダ ミノル

枯葉二枚重ねて君は 五条橋から流した

二人の恋を弔うように 軽く手を添え

その行方をしばらく見つめ 君は歩き始めた

川沿いに枯葉を追って 口数少なに

  長者橋 舟入橋 想い出は拭い去るんだと

  君の声はわずかに掠れた 折からの風のせいじゃなく

君よ許せ男はみな 少なからず旅人

果てしもない夢など追い 恋もろくに出来ず

不器用な男だったと 深く胸に刻んで

忘れるためにましな男と 恋をしてくれ

  巡礼(じゅんれい)橋(ばし)の袂(たもと) サヨナラ本気だったわと

   繰り返す君がいたいけなくて ぼくは返す言葉失った

  五条川へ枯葉流し 一つの恋の終わりを告げた

  風が落とした波紋の渦に 枯葉二枚巻き込まれただけ

この曲を最初に披露したのは、ぼくがアルバイトをしていた花屋のご夫婦の前でした。

当時21~22歳の頃だったでしょうか?

ぼくが第二の両親と慕った、花屋のご夫婦の花屋さんは、普通の店売りの切り花の店ではなく、葬儀のお宅の玄関にある、提灯の下に小さな庭飾りを施す仕事でした。

ぼくはその日の午前中、新川町の辺りのお宅に庭飾りを施し、それから午後1時の清州のお宅の出棺を待って、庭飾りを撤去してくる、そんなミッションでした。

新川町の飾りを終え、清州の五条川縁にトラックを止め、そこでささやかな昼食です。

今のようにあちこちにコンビニがある時代じゃないので、母が作ってくれた手弁当を、五条川の流れを眺めながら平らげ、出棺までの時間に鼻歌を口ずさみながら、この「五条川」を作ったものです。

ドライブマップを広げ、五条川に架かる橋の名前を一つずつ拾い出し、その橋の名の持つイメージを膨らませながら、2~3日で仕上げた気がいたします。

そしてその30数年後、たった中一日で、ご主人のコウチャの後を追うように他界した、奥さんのヤッチャンの前でこの歌を、弾き語りして聞いた頂いた記憶があります。

その後この曲を引っ下げ、文化放送主催の「ハッピーフォークフェスティバル」と言うコンテストで、中部北陸地区大会で優勝し、サンプラザ中野の決勝大会に出場したこともありました。

その時も、このK.YAIRIのギターと一緒に、サンプラザ中野のステージに立ったものです。

それから7~8年後くらいだったでしょうか?

NHKの「ナゴヤ・マイ・ソング」と言う曲の募集があり、この「五条川」を応募すると何と何と優秀曲となり、あの「青葉城恋歌」のさとう宗幸さんに歌っていただけたものです。

当時のパンフレットです。
ぼくには書けない、読めない五線譜です(汗)

その後もこのギターとは、各地の色んなステージを共にしたものです。

傷だらけのギターは、このギターと共に歩んだぼくの人生そのものです。

★Happy Birthday(ウメピョンさん、ほうずきさん、あいうえおばさん)

Happy Birthday Ms.Umepyon,Ms.Houzuki,Ms.aiueobasan

このバックのタペストリーは、ぼくがNZの絶滅に瀕した飛べない夜行性の鳥「カカポ」のプロジェクトに加わった、1989年の頃にオークランドのクィーンズストリートにあったマオリの伝統工芸品のお店で、特注して作っていただいた宝物です。

カカポのオリジナル・タペストリー
一応、ぼくの名入りです。

★ここで新企画のご提案です。深夜放送では、毎週特集のテーマを決めて、昔話の思い出話をメッセージとしてお書きいただき、リクエストいただいておりましたが、今ではそうはまいりません。

そこで毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今週の「昭和の懐かしいあの逸品」は、デパートの食堂などのテーブルの上で見かけた、あの『卓上占い機』。10円玉を入れ、灰皿付きの卓上占い機の下部から、占いの書かれた巻紙を取り出すというもの。『卓上占い機』に関する皆様からの思い出話のコメント、お待ちしております。

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「残り物クッキング~絶品!肉じゃがグラタン」

絶品!肉じゃがグラタン

たまには無性に肉じゃが食べたくなるものです。

しかしこれがまた、1回で鍋一杯に出来てしまうため、何日かかって来る日も来る日も肉じゃがが続くと…、もう3日目ともなると、さすがにあんぐりしてしまうものです。

でもだからと言って、少しだけ作るとこれまた美味しくないから、不思議なものです。

今回は、残り物の肉じゃがをレンジでチンと温め、これまた残り物の天丼の具として作った、カボチャの天ぷらを小口切りにして入れ、皿に移してとろけるチーズをたっぷりと乗せ、焦げ目が付くまでオーブントースターで焼き上げれば完了。

たったこれだけ!

また肉じゃがに茹でたマコロニを加えてグラタンにすれば、お子様にもきっと大好評だと思います。

ぼくはNZマールボロ産のソービニヨンブランのあてとして、一杯やらせていただきました。

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「喜多方へよぐきらったなし!」

ビジターを迎える喜多方駅のウエルカムゲート

ぼくの目的は、喜多方ラーメンと地酒と温泉でした。

名古屋から片道約6時間を経て、午後1時過ぎに喜多方駅に降り立ったわけです。

喜多方ラーメンのために、片道6時間の旅の途中、ビールもお弁当も随分控えめにしていましたから、もーそりゃあ腹ペコです。

事前にネットで調べた人気のラーメン店へと、さっそくタクシーで向かいました。

ところがネットでは大人気と言われ、朝早くから行列が出来、整理券があっと言う間に配り終えられると言う、イタリアンレストランのような小洒落たラーメン屋さんは、既に午後1時半の時点で店の前に「売り切れ」の看板が!

タクシーの運転手さんに伺い、次に人気のあると言うラーメン店を目指したものの、あいにくの定休日ではないですか!運転手さんによれば、この店も古くからある有名店とのことで、県外からのお客さんも多いのだとか。「こまったなぁ・・・」とぼくが呟くと運転手さんは、ネットで有名かどうかはわからないが、自分がちょくちょく食べに来るのは、定休日だった有名店のすぐお隣の「喜多方ラーメン松」とのこと。

そこはお客さんも入り口に列をなしているわけでも無く、町場のラーメン屋さんの佇まいです。ちょうどその時に、店から出て来たお客さんも、県外からの観光客ではなく、何処からどう見ても、この地の職人さん風のいでたちではないですか!「ここに決めたあ!」。ぼくの心も直ぐに決まりました。

「喜多方ラーメン松」の入り口
この有名店「ばんない」さんの向こう側が、「喜多方ラーメン松」です。

ぼくは自分を五感を信じて、この「喜多方ラーメン松」の暖簾を潜りました。

シンプルな店内

ぼくは迷わず、瓶ビールと4つしか品書きの無い、その一つのチャーシューメンを所望。

おばちゃんが、熱々のチャーシューメンを運んで来てくれました!

これですよ、これ!

名古屋から遥々6時間、長旅を掛けながら食べに来ただけのことがありました。

キリリとしたスッキリ味の醤油が、鶏ガラと煮干し出汁のスープに絶妙な味わいを醸し出し、やわらかなチャーシューがこれまたたまりません!

熟成多加水ちぢれ麵の中太にスープがまったりと絡みつき、箸が止まらぬ程です。

また、具も刻みネギとメンマにチャーシューだけですから、しっかりと麺とスープを堪能できるはずです。

小さな町に犇めく喜多方ラーメン店。恐らく日本広しといえども、これだけラーメン店が集まっているのはここだけではなかろうかと思えるほどです。

その後、喜多方駅前の売店の方や、駅の観光案内所のおばちゃんとお話しをしていると、地元の方もぼくがたまたま入った「喜多方ラーメン松」に食べに行かれるほどとのこと。ラッキーだったかもしれません。

味は人それぞれでしょうが、人気店と言うだけのレッテルに惑わされてはいけない気もいたします。

小さな町に犇めく喜多方ラーメン店。恐らく日本広しといえども、これだけラーメン店が集まっているのはここだけではなかろうかと思えるほどです。

「さて、盛岡からいざ南へ」

盛岡駅前です。

小牧を午前7時10分に発ち、午前9時30分にはもう盛岡駅前です。

3年前の東北の旅では、花巻市の駅から南へと平泉を目指したため、ここ盛岡まで北上せず仕舞いでした。

浅田次郎著「壬生義士伝」の主人公、二駄二人扶持の足軽組付けの貧乏侍 吉村貫一郎。彼は足軽組付けの貧乏侍ながらも、文武両道に優れていて、南部藩の藩校で助教を務め、藩道場では師範代を務めたものの、貧乏から脱することは叶わず、己が妻子を飢えから救わんと脱藩。その後新選組隊士となり、国許の家族に己の命を的に仕送りを続けた南部男の中の南部男。その盛岡城 不来方(こずかた)のお城のある、盛岡の駅前にやっと立つことが出来たと、ぼくはただただ感無量でした。

「はやぶさ」と「スーパーこまち」の連結
あと20cm

新青森駅から来たはやぶさと秋田駅から来たスーパーこまちが、盛岡駅で連結されます。

子どもたちも興味津々で、列車と列車の接吻を眺めておりました。

ぼくはここからはやぶさで仙台へ、そして仙台からはやまびこに乗り換え郡山へと向かいます。

磐越西線の普通列車

そして郡山からは、磐越西線の普通に乗り換え、会津若松へ。

黄金色の稲穂

この日は、薄曇りの天気でしたが、ご覧ください!黄金色に色付いて大地を覆いつくす稲穂を!これですよこれ!この風景が見たかったのです。

会津若松駅のホーム

いよいよ会津若松です。前回の東北旅は、ここ会津若松まではやってまいりました。しかし今回は、ここ会津若松で磐越西線をさらに乗り換え、今度は野沢行に揺られて2駅目。喜多方を目指します!

「黄金のジパング!花巻へ」

県営名古屋空港から花巻へ~緑色のFDAです。

朝一番で、約3年ぶりの花巻行きのフライトです。

黄金色の稲穂に彩られた花巻市上空

そうなんです。

約3年前の花巻は、FDAの機材こそ、「黄金の國ジパング花巻」と書かれた、金色の機体でしたが、12月初旬の頃でもうすっかり刈り入れも終わっていて、黄金に染まる大地を見られませんでした。

ちょいと小旅をと思い立った時、ちょうど今頃であれば、花巻市上空から黄金色に輝く東北の大地が眺められるだろうと、もうそれ一心で機上の人となっていました。

するとどうでしょう!

前回の12月にはついぞ見られなかった、黄金色に輝く稲穂が眼下を染め上げているではないですか!

JR{花巻空港駅」

前回の旅では、ここからJRで花巻市行の電車に揺られたものです。

しかし今回は、花巻空港からバスで一路盛岡駅へと北上し、東北新幹線を乗り継いで再び南の郡山を目指します。

この「花巻空港駅」は、3年前と何も変わらず、そのまんま3年前のスナップ写真のままでした。

いつまでも変わらずにいられることの偉大さを感じつつ、変わらずには生きて行けない、そんな人生もあるのだと、自分に言い聞かせるように、ちょっぴりと3年前を懐かしんで見ました。

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「陸奥(みちのく)穢れ落とし旅から戻りましたあ」

FDA機内から~青森空港の滑走路

ふと思い立ち、一路空路で花巻へと旅立ったのは、水曜日。

本日無事に青森から戻りましたあ!

色んな意味ですっかり穢れも落とせ、新たなパワーを手に入れて戻​る事が出来ました。

青森空港の搭乗口

行ってよかったあ、プッハアと陸奥珍味の味に酔いしれた、3泊4​日の束の間の小旅でした。

行く先々で観るもの聴くもの、味わうもの全てを五感で感じる事が​出来、色んな意味での再発見も出来ました。

これからこの思い付きの小旅の雑感は、追い追いブログでご紹介さ​せていただきます。

何と言っても、喜多方ラーメンの地元愛に満ちた皆さんが、挙って​食べに訪れると言うラーメン店にたまたま入る事が出来たり、青森のねぶ​た茶屋で初フジツボを味わえたりと、なかなかのものでした。

そして何と言っても一番は、南部盛岡で石割桜をこの目で見る事が​出来たことです。何物にも代え難い、勇気をいただけた気がいたします。

留守中にも関わらず、ブログへの皆様からの温かなコメントをいた​だき、これまた感謝感謝です!

これが名古屋小牧行の機材です。

「さてさて、次はいずこへ!」

まだまだ、着の身着のまま、ゆるり旅。

それからこのブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。