「昭和Nostalgia」(231)

「広報ひだ」の『飛騨びと 言の葉綴り』がこちらのP20kotonohaのコピー (city.hida.gifu.jp)

残念ながら広報ひだの本誌は、紙面のスペースに限りがあり、掲載文は抜粋版となっております。文字数制限のないweb版も日根野 壽子さん(古川町) – 飛騨市公式ウェブサイト (city.hida.gifu.jp)併せてご覧いただければなによりです。

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こんな鎖の梯子のような遊具もあったような?

仮面の忍者赤影に魅せられていた頃、忍者が鎖の梯子を伝って城壁を登るシーンを真似て、赤影ゴッコなんてぇのもしたものでした。

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こんなうんていとか呼ばれた遊具もありましたねぇ。

雲梯(うんてい)ってぇのは、何でも長い梯子のことだとかで、城を攻める際の攻城兵器だったとか。

だとすれば、まんざら赤影ゴッコも的外れじゃあありませんでしたかぁ!


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「昭和Nostalgia」(230)

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そう言えば、最近の公園では、とんとこんなジャングルジムを見かけなくなってしまいましたよねぇ。

ぼくも子供の頃は、よく遊んだものでした。

小さく身軽な子どもの体だから、ジャングルジムの中を縦横無尽に移動できたのでしょうねぇ。

しかしメタボなオッサンじゃあ、体が鉄枠の中に挟まって身動きできなくなっちゃうでしょうねぇ。

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そう言えばこんな、回転式のジャングルジムもありましたねぇ。

正式名称はなんてぇ名前なんでしょう?

いずれの遊具も近頃お目に掛れないのは、やっぱり子どもたちの安全第一を考えてのこと何でしょうかねぇ?

それにしても昭和半ばを駆け抜けた、やんちゃ坊主もお転婆娘たちも、少々の擦り傷や打ち身などへっちゃらで、遊び回ったものでしたねぇ。


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「昭和Nostalgia」(229)

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公園の遊具の中で、なくちゃぁならないものの一つは、滑り台じゃないでしょうか?

ぼくが足蹴く通った公園にも、こんな滑り台が設置されていて、子どもたちの列が出来ていたものでした。

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さすがに家の近所の公園には、こんな富士山型の滑り台はありませんでしたが、少し足を延ばした大きな公園には、公園のランドマークの様にこんな富士山型の滑り台がデーンと設置されていたものでした。

片側のボルダリングのような石の突起のある方から登って、反対側を滑り降りると言うものですが、ぼくが子どもの頃に見かけた、大きな公園の富士山型滑り台には、そんなボルダリング風の登り口の突起が無かったように記憶しています。

だからみんな、裾野の手前から助走を始め、勢いをつけて駆け上がろうとしたものです。

ところが低学年のぼくの脚力なんてヘタレで、7合目くらいまで駆け上がれても、そこで失速。

底のすり減ったズックではブレーキもかからず、そのままズルズルと後ろへと滑り落ちてしまったものです。

でもまぁよくよく考えたら、前に滑るも後ろへ後退して滑り落ちるも、滑り台だからそれはそれかぁ!

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小さな頃の娘も、滑り台が大好きで、キャッキャキャッキャと喜んでいた幼い顔を思い出しました。

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「昭和Nostalgia」(228)

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子供の頃のぼくの家から、ほんの1分もかからない所に、ちょっと大きめのドングリ広場がありました。

そこには砂場やジャングルジムに鉄棒、滑り台からうんていの器具まで設置されておりました。

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ぼくはこんなシーソーがとっても好きでしたねぇ!

でもぼくらの時代は、こんな金属製の握り手ではなく、麻縄のロープの輪っかだったような?

しかも当時は誰一人、シーソーなどとは呼ばず、ぼくらは「ギッタンバッコン」と、そう呼んで親しんでいたものでした。

皆々様のところでは、なんとお呼びになっておられましたか?

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「昭和Nostalgia」(227)

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昭和半ばの男坊主どもは、TVの人形劇「サンダーバード」の虜となったものでした。

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この番組は、1965年から1966年(日本では、NHKで1966年4月10日 – 1967年4月2日)にイギリスで放送されてた、パペット(人形)劇による1時間枠の特撮テレビ番組だったそうです。

つまりぼくが小学3~4年生の頃。

クラスの男坊主どもに絶大な人気を誇ったものでした。

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なかでもぼくが最も憧れたのが、このサンダーバード2号。

胴体に別の兵器を格納して空を舞う姿が忘れられません。

友達の一人が、このサンダーバード2号のプラモデルを買ってもらい、羨ましそうにぼくらも見せて貰いに出掛けたものでした。

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どんなにお母ちゃんにせがんでみても、とても買ってはもらえませんでしたねぇ。

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「昭和Nostalgia」(226)

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昔はこんなストロボの付いたカメラでの撮影でしたねぇ。

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一度シャッターを切ると瞬時にストロボが光り、フラッシュが煌々と光、ランプはその一度切りで役目を終えたものでした。

次の撮影には、また新しいフラッシュランプを装着しなければならないと言う、何ともまどろっこしいものでした。

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ぼくが新聞の連載を始めた頃は、まだ新聞社の編集局の一角に暗室があり、撮影したばかりの写真がいち早く現像されていたものです。

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特に社会部では、スクープ写真の現像など、特ダネを競うわけですから、一刻が勝負を分けたのでしょうねぇ。

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こんな風に現像された写真やネガが、吊るされて乾かされていたものでした。

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こんなアナログなフィルム写真も、今となっては味わい深いものですねぇ。

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「昭和Nostalgia」(225)

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こんな電化製品をご存知ですか?

ぼくはこんな電動の缶切りがあろうなど、恥ずかしながら存じませんでした。

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ぼくの家にあった缶切りと言えば、こんな昭和のスタンダードタイプのものでした。

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ハイカラなお家でこんな缶切りを見かけた時は、果たしてどうやって使うんだろうと、興味津々だったものでした。

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それからこんなコンビーフの専用缶切り!

こいつぁなかなか上手く巻き取れず、いつも苦労ばかりでした。

今じゃあ簡単なワンタッチ式ですから、もうそんな心配も無用ですけどねぇ!

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「昭和Nostalgia」(224)

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ぼくが17歳の終わり頃だったか、18歳になった頃だったか、こんな繋ぎルックが当時の若者に人気だったものです。

もちろんそれは、ダウンタウンブギウギバンドの影響に他なりませんでしたが!

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白い繋ぎルックにコンバースのバッシュ!

胸元のポケットには、一文字の漢字をマジックで手書きして!

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仕上げは、ミラーレンズのサングラス!

ぼくも安物を買って真似たものでしたねぇ!

レイバンなんてとても手が出ず、そこら辺のバッタ物のサングラスでお茶を濁したものでした。

でも直ぐに飽きちゃいましたけど!

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「昭和Nostalgia」(223)

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ぼくの薄らいだ記憶ですから、そもそもいい加減なものかも知れませんが、こんな「ロシア」のような感じの、長さ40cm・幅20cm・厚さ3cmほどの巨大な黒糖仕立てで、この「ロシア」のように白い砂糖蜜がパンの上辺に固められた、「ボルガ」とかって名前の付いたパンをご存知ありませんか?

写真は参考(ボルガはもっと幅が広かったものです)

ぼくの家では時折お母ちゃんが買って来て、そのおおきな「ボルガ」を千切ってオヤツに出されたものでした。

なんとも黒糖の香りがして、ぼくは好きだったものです。

記憶の中の「ボルガ」の写真が無いかと検索していたら、こんな不思議な菓子パン「シンコム3号」とやらを見つけてしまいました。

何でも鹿児島県南さつま市のイケダパンで製造されているものだそうでして、昭和36年発売の素朴な味わいのブッセにバニラクリームをサンドしたものとか。

まだアイスクリームが一般家庭でなかなか食べられなかった時代、冷たくひやしたシンコム3号は子どもたちに大変人気だったと。

そりゃあ頷けますねぇ。

この商品名は、世界初の静止衛星『シンコム』が打ち上げられたことを記念して名付けられたとか。

一度味わってみたいものです。

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「ボルガ」探しの途中で、こんな「よつわり」と呼ばれる菓子パンを発見!

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この「よつわりパン」は、福島県南相馬市のソウルフードだそうで、老若男女に70年以上にわたって愛され続けてきた逸品なんだとか。

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こちらも「シンコム3号」同様の経緯を経て誕生したようにも思えます。

全国菓子パン巡りの旅、なぁ~んてぇのも乙なものかも知れません。

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「昭和Nostalgia」(222)

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子供の頃のわが家にも、こんなお母ちゃんの鏡台なるものがありました。

この一角を通ると、ほんのりとお母ちゃんの化粧品やら整髪料の残り香がしたもので、お母ちゃんが買い物に行ったり用事で何処かへ行って帰りが遅いと、一人っ子のぼくはついつい心細くなり、お母ちゃんが恋しくってたまらず鏡台の前に座り込んでいたものです。

未だに覚えているのは、化粧水のような明色アストリンゼン!

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ほんのり香りを覚えている気がします。

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それやらたった1本しかなかったお母ちゃんの口紅!

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金色だったか銀色だったかのケースに入っていて、まさに1本こっきりのお母ちゃんの宝物の口紅だったものです。

とは言え、お母ちゃんが紅を挿すなんて、それこそ盆暮れくらいのものでした。

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こんな椿油をお母ちゃんは髪の毛に薄っすらと塗って、和服姿に合うように髪を上げていたものでした。

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なんだか僅かにいまでもその香りを思い出せます。

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それからこんなヘチマコロンなるものも置いてあったような気がします。

さすがにこちらは、どんな匂いだったか、さっぱり思い出せませんが!

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